雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

THE Empty 四話

 


 翌日。

 どんよりとした灰色の空が、二人を重く見下ろしていた。

 雨になることはなさそうだが、陽を嫌う生物たちが活発化することを考慮して足を急がせる。

 今までは険しい岩山が点在し、荒野にしては見通しが悪かったが、緑が増えるにつれ徐々に開けた土地となった。

 草原と丘が多い地形で、不明瞭ではあるが道らしきものも視認できる。

「ようやくか」

「うむ。まだ人里まではあるが、道に出れば迷うことはないじゃろう」

 氷極は息を一つついた。

 未だに襟の通信機は沈黙を保っている。

「あと少しの辛抱か……行こう」

 そう自分を奮い立たせ、いつまでも続く低い丘陵を歩む。荒野と違い、生物による危険性は薄れたが道標もなければ、飲み水も尽きかけている。

 街にたどり着くか、体力が先に無くなるか。

 そんな明暗が浮き彫りになりかけた頃、氷極が不意に立ち止まる。道の離れにある林めがけて目を凝らした。

「ん? どうしたのじゃ」

 一番に急いでいた氷極が足を止めたことに、シュエは訝しむ。

 彼は確かめるように目線の先へと指をさした。

「あの林……人影が見えないか?」

 シュエは言葉に従い、目を凝らす。確かに人の頭髪らしきもの動いている。数は二人ほどだろうか。よく些細な変化に気づけるものだと、同時にシュエは感心した。

「……しかし、妙じゃのぅ。わざわざこんな人里離れた場所で密会か?」

「きな臭さはあるな。だが現状を見れば無視する余裕も俺らにはない」

 シュエは恨めしそうに麻袋を睨み、肩を落とす。

「流石に後先を考えていなかったの」

「すまない。俺が急がせてしまった」

「仕方なかろう。わしも早い段階で言うべきではあった。ぬしだけの責任ではない」

 先ほど、最後の携帯食も終わってしまったばかりだ。今の二人にとって他の人間は、オアシスのようなもの。

 迷うことなくその林を目指して歩き出した。

 林に到着しても人影は動かなかった。一旦様子を見ようと、茂みに身を潜めながら近づくと聞こえてくる会話も鮮明になっていく。

 先行していたシュエは、氷極を止め茂みの隙間からその密会を見聞し始めた。

「……えぇ。何度も言いますが報酬は……」

「我が言葉は"騎士団"の総意による言葉です。嘘偽りも、二言も決してありません」

「そうですか! よかった……。これで妻子が飢えずに済む…」

 何かの取引現場なのだろう。

 男女の応酬で男の身なりは一般人だが、白銀の鎧と肩まで切り揃えた銀髪の女は異質な気配を纏っている。何よりこんな辺境で、この組み合わせというのも不穏だった。

 二人は静かに耳を澄ます。

「では、契約内容を復唱します。貴殿らはドルゾートにおいて、我々"VICE"の構成員の手引き、また駐在する英雄機関等の補給部隊の撹乱に動いていただきます。あれは補給線なのでこちらが本命ですね。本来は"異開王"の領分ですが……まぁ特例ですからね。報酬は後日、しっかりとお渡しますので」

 女騎士の発言に、氷極の表情が強張った。

「何やら心当たりがあるようじゃな」

「……貴方の前で言いたくはないが、あの騎士の言った通りだ。"ドルゾート"とはここから先の西部戦線における補給線を担う街。それなりに防御も硬く、容易には陥落しない。だから、スパイを買収したんだろう」

 氷極は歯を噛み締めて、取引を見つめる。

 これまで彼が相手にしてきた存在。VICEという悪がいかに、人を道具としてしか見ていないのか。これまでの経験が、今ある現場に対し強い義憤を湧き上がらせていた。

 そんな彼を見てシュエは冷静に宥める。

「じゃが、ここで割り込もうとは思うな」

「……分かってる。あの一般人を巻き込むし、ここでの消耗はなるべく避けたいからな」

 小声でのやり取りだが、明らかに彼の声には躊躇いの色が濃い。

 頭では分かっていても、見過ごすことへの抵抗で体が動かない。

 シュエはその事態を重く受け止める。そして思考を働かせた。この状況で自分が取るべき行動に、どう組織と自分を内在させるか。

 氷極に対し、何をもたらすべきか。

 短く考えた末、いまだ逡巡する彼に語りかけた。

「……少し自分の立場を無視して言わせてもらう。まだ時間はあるじゃろう。それにぬしの隣にいるのはわしだけではないはずじゃぞ」

 脳の沸騰が急速に止まり、氷極はシュエと視線を合わせると冷静に思考を巡らせた。

 彼女の言う通りだ。防御力のある街を一つ落とすのにも、時間はかかる。VICE側も不安要素への対応は徹底するだろう。

 別の街を何度か守った氷極の実績も、その根拠に自信をつけていた。

「それなら、今はいち早くドルゾートに目指し先んじて組織にこのことを伝えれば」

「……うむ。わしらの目的地も、ドルゾートではあった。都合はいいじゃろう」

 迷いは消え失せた。複雑な表情をするシュエの立場に同情しながらも、内心で謝意を示す。

 彼女も何事か深く考えている様子だが、今は従う事こそが彼女への返礼だろう。

 氷極は林の入り口へと指をさし、シュエと共に現場を後にしようとする。

 目的に囚われすぎた結果、音への配慮を忘れるまでは……。

「誰だっ!!」

 その声がした時には遅かった。氷極が足元を見れば、そこには二つに折れた枝。絶妙な数も伴って、気づかせるには充分な音を立てていた。

 あの女騎士を欺ける気はしない。

 氷極は手のひらに冷気を凝縮させ、近づく女騎士の前に巨大な氷壁を作り上げた。

「ぐっ!? なんだこれは!!」

「逃げるぞ! シュエ!」

 動揺する隙をつき、逃亡を図ろうとする。

 シュエが頷き逃げようとするが、氷壁は一撃で薙ぎ払われてしまった。その時にはもう体は動いていた。

 小規模故に林は簡単に抜けられる。だが、抜けた先は見晴らしがいいので見つかるのも早いだろう。時間を稼ぐ必要があった。

 氷極は何度も壁を作りながら、悠然とそれを破壊して進む女騎士に眉を寄せる。

「いい状況とは言えぬな」

「このままだと捕まるだろうな。どうにかして逃げる必要がある」

「しかし、どうするのじゃ。あやつは只者ではない上……腰のマントの紋章を見る限り『狂』の連中じゃぞ」

「『狂』、上位派閥の構成員か!」

 氷極は爪を噛む。女騎士はすぐそこまで迫っていた。

「何故、取引を行っていたかは不明じゃが、上位派閥が関与となると刻を争うな」

「……なら、いい案がある。シュエ、このあたりで目立たず目印になる場所はあるか?」

 シュエは思案顔になる。

「無理筋な注文じゃの。じゃが、ここから北に小さな湖がある。ドルゾートからは離れるが、身を隠すのには丁度いい」

「分かった。そこで合流だ」

「……何をする気かは知らんが、無茶はするでないぞ」

「誰に言ってるんだ」

 シュエはそういって林から抜け出していった。

 それを見届けつつ、鋭利な氷塊を射出して女騎士を牽制する。見た目に反することなく氷極の散発的な攻勢に、女騎士は腹立たしそうに声を張り上げた。

「私を侮辱しますか! このような攻撃で私を倒そうとは浅はかにも程がある!」

「お前とまともにやって勝てるわけがないだろう……!」

 林の中を縦横無尽に動き回る。敵はまだこちらの姿をしっかりと認識できていない。

 女騎士は力任せな一撃で、氷極の攻撃を次々と薙ぎ払う。見方によればジリ貧だが、ダメージを与えることが目的ではない。

 氷極は女騎士の鈍さを利用し、上手くその場所から移動させないよう誘導していた。女騎士も苛立ってはいたが、その計算された攻撃に翻弄されている。

 その間に氷極は一つ一つの樹木に、"触れて"回った。

 触れ回った樹木たちが"冷気"を発しだし、充分だと判断すると、女騎士から一気に距離を取る。

 素早く林を抜け出すと、氷極は手を目の前に出し、叫んだ。

「"解放"ッ!」

 瞬間、円を描くように生えた林たちが分厚い氷壁となってその空間を包み込む。これならば女騎士も手間取るはずだろう。

 この林に群生する樹木は水分を多く含むもので形成されていることを、氷極は乗り込んだ時に察知していた。

 最悪な想定の下のプランだったが、まさか使うことになるとは思わなかった。

 急いでその場を後にする氷極。かなり離れた場所からチラリと林を一瞥する。まだ氷壁は傷一つついてはいない。だが、油断はできないだろう。

 シュエが無事であることを祈りつつ、氷極は丘をただ駆け続けた。

 


『続』