雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

THE Empty三話

 


「ぬ、ぬし……なにをしておる?」

 その問いかけに彼は応答しない。代わりに真っ黒な視線がシュエを捉えた。美しかった紫は変色し、生気が干からびている。冷ややかで、ただ機械的にその意志を実行していた。それを感情と呼べるものなのか、それすらも怪しい程に。

「どうしたのじゃ、ぬし。しっかりするのじゃ!」

 その声掛けに氷極の瞳は元の色を取り戻していく。掴んだシュエの腕を見て、最初は驚くも、表情は自嘲へと変わっていった。

「……すまない。やってしまった」

 ゆっくりと手を離す。

 赤みを帯びた部分を見て、氷極も罪悪感に項垂れた。

「訳ありのようじゃの。気づいてはいたが」

「なんだ。それなら言ってくれればいい」

「大切な事は本人から話すのが筋じゃろう。好奇心で引き出しても、後腐れは目に見えておるからの」

「確かにその通りだな。言い出せずすまなかった。ちゃんと話そう」

 力無く座る氷極の影が頼りなく揺れた。シュエは目を瞑る彼を見ながら、次の言葉を静かに待つ。

「俺には呪いがある。別の存在から継承した"善性"という呪いだ。俺も昔はまともじゃなかった。本来の自分と呪いが混ざった結果歪な形を得たんだ」

「呪い、か。あまり良い生き方は望めなさそうじゃが」

「そうだな。ひたすら呪いに振り回されてきたよ。俺の意志がまるで無視されてきた。俺のはずなのに、俺じゃない。中途半端な善性は俺の自意識を混乱させるには充分だった」

「あの過剰な守りも、その善性が理由か」

「そうなるな。歪な善性は物を選ばず、俺は身を賭してその命を守ろうとする。……これまでの罰と言えば聞こえはいいかもしれない」

 半分だけ開いた目。その奥で様々な回想が、重く爽やかに脳裏を過ぎていく。

「だが、まともではなかった分、そうして得た経験も大きい。今を形作ったのがそれと思えば、過去の自分や経験を憎めなくなった。自分の意志とは無関係でも、自分の行いは無かったことにはならないからな」

 蓄積されたものは無駄ではない。自らが見てきたもの全てが未来への投資となる。

 その希望的観測を語る口調は、明敏で一切の迷いはなかった。

「だから俺は"結果"を尊重した。自分の行いが英雄的であっても、利敵であっても、それを肯定しなければ未来は見れない。発端がどうあれ、それで迎えた死だとしても、今までの自分はその結末を後悔しない。恐らく自分はその死すらも尊重できてしまうからな」

 悲観にも、場合には楽観とも取れる。

 彼が未来に固執する理由。いつかの氷極も言っていた。それは組織が見据える未来のためと。

 だが、シュエはその言葉を聞き氷極の覚悟を今一度認識しようとする。

「その未来が悲惨なものであればどうする」

「明日の為の戦いに悲惨は一々考慮しない。今の時代に俺はいるが、その先の役者は俺じゃない。未来を生きる命を繋ぐ戦いの結末が、組織と俺の終着点だ」

「……では、その結末が尊重しがたい、悲劇的で残酷なものであってもぬしはそう思えるのかの?」

 自分にとって都合のいいものばかりが世界ではない。シュエが見てきたものもいつだって、幸福と苦難の連続だった。平等にある壁に対し、それでも結果を尊重すると言い切る氷極には少し不安を覚える。

 だが氷極は硬い表情筋を初めて、柔らかくした。

「思える。俺はきっと、尊重してしまうだろうな。組織の未来が見れなくとも、誰かがその未来を見るのなら、俺という存在は組織に準じたと判断するだろう。生きた痕跡に執着はない。繋げられたのなら、それで本望だ」

 シュエはその言葉を噛み締め、胸を撫で下ろすように目を閉じる。

 歪ではある。だが、その生き方は彼に即している。何より"先"ばかりを見すぎていた。自らの考えに影響されていると言えばそうだ。

 それでも、自分を見失うより先んじて形を作る氷極に彼女は納得していた。

「なるほどのぅ。またぬしのことを一つ知れたわい。これまた面白いものを拾った」

「そうか? まぁ、短い間だが好きに使ってくれ」

「遠慮なくそうさせてもらう。それと……そうじゃな。ぬしが一方的というのも不義理なもの。わしの素性も少し明かそう」

 綺麗な布を麻袋から取り出すと、その布からキセルが顔を覗かせる。昨日とは別のものだ。手際よく準備をすると、紫煙をくゆらせる。その姿には魔性を帯びた妖艶さすら感じさせた。

「わしもある組織に属する一員。言っておくがぬしの組織とは恐らく性質が真反対じゃ」

 氷極はその言葉に黙って耳を傾ける。

「だからこそ相容れぬ気持ちはあった。それも既に表に出たがの。ぬしの志に根負けしたのも事実じゃ」

「……分かってはいた。シュエが選んでいたのは、なんとなくな」

「ぬしに見破られるとは落ちぶれたの。結果的には乗り越えられたが」

 口惜しそうにシュエは煙を吸って、吐き出す。氷極も表情には出なかったが、内心は苛烈な情動が全くないことに驚いていた。

 不意にそんな彼の中で、立場の違う者への問いかけが心の中で湧き上がってきた。

「シュエ。貴方は、組織に利用されていると思ったことはないのか?」

「……利用じゃと?」

 彼女の動きが止まった。

 重たい沈黙が支配する。

 シュエがプルプルと震え出した時、氷極は自らの失言を悟った。

「すまない……。シュエの組織を貶したいわけではなかった。配慮不足だったな。申し訳な」

 瞬間、彼女はケタケタと笑い始める。

 大笑いというほどではなかったが、その快活な笑い声は洞穴を満たす。

 ひとしきり笑うと、尻尾を軽く左右に振った。

「……っはぁ。ぬしがそれを言うか! お主が」

「そんなにおかしかったのか? てっきり失言かと思ったぞ」

「いやはや、酔狂な男じゃ。苛立ちより、愉快が勝るとはな。ぬしのことだと合点するわしも何より滑稽ではあるがの」

 氷極は未だ符合がいっていないようだが、シュエは気にせず煙を吸って気持ちと場を持ち直す。

 そして悠然と質問に答え始めた。

「そうじゃな……利用されたら負けという風潮はわしは好かぬ。個人の力というのは有限じゃ。故に利用し合うのは必然。じゃが利用されるうちが華よ。組織は価値を失った宝石をわざわざ磨く必要がない。なればより輝きを得る為に互いに利用する。そこに疑問や不服を感じれば、命は短いじゃろうな」

 そういってキセルをしまうと、煮ていた鍋を火から避け、スープを皿によそいはじめる。

 薄々気づいていた。敵は意思疎通の取れない化け物ばかりではない。守るもの、信じるものは、お互いの中で渦巻いている。シュエの当たり前なはずの考えに、心が距離を測りかねていた。

 肉がゴロゴロと入ったスープを渡され、氷極はその水面を見つめている。シュエは自分のスープを啜りながら、ペロリと舌で唇を舐めた。

「あまり、考えすぎぬ方がいい。戦における事情とはいつだって平等なものよ」

「……そうだな」

 そう呟き氷極もスープを静かに啜る。

 少し、塩味を強く感じた。

 


『続』