雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

Road of Revive 二章 『星撒きの巫女』/第五話 過ちの泥濘

 

「えっと、大丈夫? ここでなにしてるの?」
 努めて柔らかい口調で戦争孤児の女の子に声を掛ける。だが顔を足にうずめ丸まった状態の彼女は情報の一切を遮断していた。自壊寸前の自分を維持する為の現実逃避だろう。
 女の子は何を見て、どんな悲劇を背負ったのか。アルデスがその背景を馳せると、胸に鋭い痛みが走った。
 だが、弱っている人間の前でこそ、気丈であるべきだ。

 再び女の子へと、優しく語りかける。
「迷っちゃったかな? よければ一緒にパン食べない?」
 アルデスがパンを見せると女の子は緩慢に顔を上げる。酷い表情だ。腫れた目元に、乾いた唇、光が抜け落ちた瞳と、痩けた頬。ある程度の治療は受けた筈だが、栄養失調気味でもあるのだろう。
 女の子はパンを受け取ると、求めた栄養を貪る。アルデスは安堵と不安を抱えながら、彼女の隣に座ってパンを齧った。
 ペロリとパンを平らげるのを見届けていると何気に目線が交差する。暗い底を映すような真っ黒な彼女の瞳だ。思わず息を呑む。
 なんと切り出せばよいか悩んでいると、女の子から喋りだした。
「……あなた、変」
「え、へ、変?」
 唐突な感想に面食らいながらも、アルデスは笑顔を保つ。
「えっと……何が変かな?」
「存在」
「そこまで言わなくても……」
 女の子はかぶりを振る。
 どうやら齟齬があるらしく、アルデスは言葉を待つ。
「あなたは、あなたじゃない。根っこは、あなただけど、いっぱいある茎とか葉っぱは全然違う、別物」
 その口振りには弱っているとは思えない程の強かさがあった。
 直近のロドルスとの会話を想起し、自分は異なる色を帯びているという実感が徐々に浸透してくる。

 何よりもこの女の子の異質さにも、アルデスはどこか恐れを抱く。
「なんでそう思うの?」
「……わかんない」
「君には、俺がそれ以外にどう見えてる?」
「…….普通の人」
「他に何かわかること、あるかな?」
「……わかんない」
 これ以上の問答は、彼女に負担をかけるかもしれない。そう思い閉口したのを皮切りに、応酬も減退した。

 気になるのは当然だ。自分が不安定な存在であると客観視されれば、結果はどうあれ裏付けて安心はしたい。ただ、自己満足の為にこの少女の傷を広げるリスクは犯せなかった。

 隣でパンをちびちび齧っていると女の子は再び顔をうずめ、ポツリとこぼす。
「……リイナ」
「え?」
「リイナ。私の、名前……かもしれないもの」
 漠然とした発言に、アルデスは訝む。
「かもしれないものって……」
「分からないから。何も。何も思い出せないから。何も無い」
 自分の素性が曖昧。アルデスは違和感を覚える。

 近隣の村で保護された子供という話だったが今まで平凡な生活を送っていた子供が、ここまで自分に無頓着になれるものだろうか。環境の影響も否めないが、それにしては記憶が乏しすぎる気もする。
 アルデスが戸惑っていると、リイナの喉から滑るように言葉が出た。
「私、死にたいの」
 パンを食べる手が固まる。
 サラリとこぼしたその言葉は、まだ幼い子供が発したものとは思えず衝撃を受ける。

 昨日出会った子供たちの太陽のような表情が浮かぶ。

 しかし、リイナは暗黒だ。月光すら輝かない荒野。無人で孤独で、冷たく乾き切っていて、すりきれた喉は、苦痛も悲嘆も叫ぶことすらできず、生きる限り消化できない痛みが、形を失いかけた心に何度も響く。その痛みはこんな幼い子供が背負うには不相応すぎる傷だった。
 その願望を聞きアルデスは唇を噛みしめ、リイナへと向き合う。

「それは、ダメだよ」
「……」
「生きるんだ。俺たち人間は失うことばかりだけど、取り戻せるものもある。それは生きている者の特権なんだから」
 本心からアルデスはそう思う。
 だが同時にそんな言葉は、本物の絶望を経験した者にとっては何の慰めにもなっていないことも理解していた。
 死が安寧なのなら、今の彼女に必要なのは本当に……。アルデスは最悪な理想を振り払い、今度はありふれた理想を語ってみせる。
「無責任かも、しれないけど。……俺が、俺たちが君たちが幸せに暮らせる世界を作ってみせるよ。だから、生きて待ってて欲しいんだ」
「……そう。そうなると、きっといいね」
 リイナは悲観的にそう述べた。
 幼い子供の未来を奪うVICE……アルデスは憎悪に宙を睨む。

 そして徐ろに目を閉じ、深呼吸をした。
「その、そろそろ戻ろっか。きっとみんな君のこと心配してると思うよ」
 リイナとの交流はやり場のない感情を生む。
 それに支配され、本来の立場を見失うのは本意じゃない。苦しいが割り切るべきだろう。
 だが、力無く彼女は顔を垂らした。
「いい。まだここにいさせて」
「……分かった。ちゃんと戻るんだよ。何かあったら近くの人に聞いてね。みんな、きっといい人たちだから」
 そういってアルデスはその場を後にする。
 その中で決意も固めていた。彼女が幸福になれる世界を作る、しょせんは口約束だ。だが、これまでのやり取りを経て口約束で終わらせたくないという思いが生まれたのも事実だ。

 あの少女が笑顔になれた時、きっとその時自分も何かを得られる。アルデスの中で、どこか少女と在り方のありようを重ねた部分はあったのかもしれない。
 指定された持ち場へと、やはり割り切ることのできない想いを抱えながら走った。

 

ーーー

 

「どうしたアルデス。辛気臭い顔してるな」
「すみません。どうにも頭がボーっとしちゃって」
 要塞内に唯一ある酒場。
 戦士たちの憩いの場だ。
 戦闘時の鬼気迫る気迫とは相反し、穏やかで緩い空気が酒場を満たしている。何より皆、一様に濃い疲労を顔に滲ませていた。
 ロドルスとミュルグレス隊も例外ではない。特にロドルスに至っては前線で剣を振るいながら、後方支援の指揮も担当している。その内容も歴戦と伺わせる要素が節々にあるが、彼にも限界はあるのだ。こうやって気丈に振る舞うが、幾ばくかの心労は明らかに体を蝕んでいた。
 ロドルスはたてがみを撫でながら、嘆息を吐いた。
「お前はよくやってる。レヴォとリリも同様にな。未来ある若者がしっかりしてりゃ、俺たち老兵も安心して後を任せられるってもんだ」
「老兵だなんて……そんな風には思えませんよ」
 アルデスはかぶりを振る。
 一方で鉤爪を樽ジョッキに這わせながら、ロドルスは穏やかに否定した。
「そうでもねぇよ。実は俺にも、アルデスと同じ歳の子供がいるんだ。同じナイツロードに所属してる。俺が衰える一方で、戦術や戦法なんて幾らでも進化する。自分の子供に一本取られた時はそろそろ引き際かなとも思ったさ」
「……ロドルスさんは、それでも強いわ。多分私も勝てないと思う」
 隣でジュースを飲むリリが擁護する。
 ロドルスは豪胆に笑ってみせた。
「ありがとよ。ま、戦場で培った勘だけは誰にも負けねぇつもりだ。それ頼りになってる現状は情けないが、そこをお前さんたちがフォローしてくれりゃこっちもやりやすい」
 一気にロドルスは酒を呷る。自分の弱音を飲み込んでいるようで、リリとアルデスは心配そうに顔を見合わせた。
 そんな気持ちをさておき、ロドルスは赤みを帯びた顔で二人と目線を合わせる。
「なぁ、アルデス、リリ。俺はお前さんたちを信頼してる。だからこそ背中を預けられる訳だが……少し心配事があってな」
「心配事、ですか?」
 アルデスは思い当たる節があり、小首を傾げるリリとは対照的に冷や汗が背につたう。
 ロドルスは頷き、その直感を語った。
「あぁ。レヴォ・グレイヴルだよ。悪いが、どうにもあいつからはきな臭さが拭えねぇんだ。やたらと単独行動が多いのも引っかかりやがる」
「……確かにそうね。戦闘中もレヴォのこと度々見失ってたかも。何をコソコソしてるのかは興味なかったけれど」
「悪い想像は、悪い連想を生む。だがあながちその連想もバカにはできねぇ。仲間を疑うなんてのは尚更だ。……スパイってのはどの戦場でも等しくいるもんだからな」
 その直感の鋭さにアルデスは総毛立つ。
 レヴォが密告者。それを裏付ける証拠が記憶の中にある。裏切りという言葉と、不可解な行動は既に水面下で重なり始めている。
 だが、アルデスは信じたかった。信じたからこそ預けたものを、敵意に変えられるのはつらい。揺れ続けるアルデスの思考は顔にも出ていたのか、ロドルスは片眉を上げ、不審そうに問いかけてくる。
「アルデス、何か思い当たることでもあるのか?」
「えっ……あ、その……えっと」
 リリとロドルスの視線が刺さる。
 自分は真っ直ぐに生きてきた。だから、一度仲間になった者を、密告者として報告するのを非常に躊躇わせていた。
 愚考だろう。所属する組織の利益より、自らの倫理や信念を優先するのは。
 けどどちらも納得はいかなかった。
 悩みに悩んでいると、唐突に向かいの席から大声がその思考を途絶えさせた。
「ロドルス〜!! なにやってんの? 早くこっちきて飲もー!!」
「おーう、ジジ。ちょっくら待ってろ。酒の相手ならいくらでもしてやるから」
 黒髪の猫耳獣人が、ロドルスを熱烈に酒の席へと誘っている。
 弱々しくロドルスは笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「悪ぃな。昔からの友人で、あいつを前にするとどうにも弱い。移動させてもらうな。今日はお疲れ」
「お疲れ様です」
 リリとアルデスがそう返すと、ロドルスは席を立ち猫耳獣人の下へと去っていく。
 一段と賑やかになる酒場の中で、アルデスは重い沈黙を保っていた。
「……アルデス。何かあったら、言って? 私は何があってもずっと貴方の味方だから」
「うん。ありがとう、リリさん」
 だが、こぼれ落ちた本心はそれで最後だった。
 そんな二人を無視して夜の酒場は眠る気配を見せない。
 まるで、思い悩むアルデスを飲み込んでいくように。


ーーーーー

 自分が誰かは覚えていない。ただ、リイナと呼ばれた気がする。或いは、"スペア"。
 どんな意味かは興味はない。どうせ切り捨てられるだけの存在に、高尚な理屈など不必要なのだ。
 いつの間にか、見知らぬ子供たちと一緒だった。けれど"匂い"は全部同じだ。
 鳴り響く銃声を聞き流していると、屈強な兵士たちが取り囲んだ。保護という目的で、小規模なテントに連行される。精密検査を受け、問題ないと言われ巨大な要塞まで連れられた。
 しかし、彼女は息苦しくてすぐに抜け出した。押し込まれた部屋を出て徘徊する。しかしどこかも分からない。
 うんざりして座り込んでいると、男の子が喋りかけてきた。
 不思議な人間だった。内側にある見たものを溶かし尽くすような虹色の魔力があまりにも鮮烈に輝いている。
 明らかに見た目と不釣り合いで、不相応。それに気づき、扱う素振りも見せない。
 彼女は初めて興味を持って気まぐれに会話に応じた。
 何もかもが青二才だった。くだらない、たまらなく情けない腰抜けにも見えた。他の人間と違うのは、その愚直すぎる程の瞳だ。あらゆる物事に影響され、揺れながらも自分自身を見失っていない。そんな本質故の理想論は掃き捨てたくなるくらいに愚かだった。
 なのに、"悪くない"。そう思う自分が彼女の中にもいた気がした。
 少年が去り、一人になる。ゆっくりと面を上げて、視線を巡らせたその時だった。
 体の内側から張り裂けそうな程の熱が上がってくる感覚を覚える。組み替えられた体の仕組みが、再構築されていくような違和感や痛みと苦しみが支配する。理性が、どす黒い泥のようなもので覆い尽くされていく。
「さなきゃ。殺さなきゃ。指揮官、指揮官を指揮官? をきゃな殺すさなゃ殺、指揮、ゃ殺殺殺殺」
 少女、いや"少女だったもの"は不安定な足取りで歩み始める。
 紅に爛々と輝く瞳に、獲物を射るような獰猛さと本能を携えて。
 苦しみに喘ぐような声を上げながら、喉をひっかき、そして嗤った。

『続』