力無く倒れ伏すロドルス。重要な臓器を貫かれたようで、アルデスが駆け寄る頃には絶命していた。
遺言も残せず、謝罪することすらできず、自らの感情がロドルスを呆気なく殺した。豪快に笑っていた獅子頭は、静謐なままただ血の池を作っている。
怒りもない。憎しみすら沸かない。移り変わる戦場の中で、アルデスは取り残されていた。頼みのロドルスは死に絶え、邪魔者を消したリイナは愉快そうに目を見開き笑っている。
「……なんなんだよ、これ」
自分の判断が招いた結果。受容を拒んでも、現実は冷酷に突きつけてくる。嘆くことも、叫ぶことすら馬鹿らしい。ありえないほどに頭が真っ白だ。いや、脳がそうなるようにはたらいている。そうしないと今にも発狂して、暴れ、泣き叫んでいただろう。
リイナが足音を立ててアルデスの前に立つ。
憐憫すらない、無慈悲な刃は容赦なく彼の胸に突き立てられようとした。
「氷群(ブリザード)」
だが、その刃は届く前に凍てつき質量を保てず自壊した。リイナが驚愕に退歩し、その魔法を放った主を見る。
「アルデス!」
リリだった。既に傷や汚れだらけだが、余力は充分で茫然自失のアルデスへと駆け寄る。
「……っ、ロドルスさん……」
その目の前に横になるロドルスの遺体をみてリリは全て理解する。
ゆっくりと光を失ったアルデスの瞳と目線を合わせた。切り替えの早さは彼女の取り柄だ。そして、その視点を共有することも。
いつも通りのハキハキとした口調で彼女はアルデスに語りかける。
「ここで弱くなったら負けよ、アルデス」
ピクリとアルデスの身体が反応する。絶望色に染まった脳内に、凛とした強かな言葉の心地を覚えた。
リリは続け様に、彼の手を握る。
「いい? 確かにロドルスさんは死んだ。それは間違いない現実。でも死んだからって全部片付くわけじゃない。私たちは、今なんで生かされてると思う? この人たちの意思を継いで戦い続けなきゃいけないからでしょ」
唇が震える。零れ落ちそうな涙を必死に耐える。
だがその涙をリイナは待ってくれない。再び泥の武具を展開し、二人に襲いかからせる。
「堅固(リレ・ブロック)」
リリが魔法を唱えると碧色の障壁が二人を包む。衝突した瞬間に武具はことごとく泥へと還るが、障壁にも明らかなダメージはある。
時間の問題だ。
焦ること無く、アルデスへ言葉を紡ぐ。
「……見てたわけじゃないから分からないけど。助けられた命、守られた命の使い方を考えて。それを誤った瞬間、ロドルスさんの死も、貴方の気持ちも理想も信念も、全部意味を失っちゃう。それは貴方が望むことじゃないはずよ」
そのとおりだ。今は打ちのめされている場合じゃない。見失うよりも、前を向かなくてはいけない。きっとロドルスも、やることやってから泣け……そう叱咤するだろう。
脚が震えている。貫かれた肩の痛みのせいで脈動がうるさい。けれど、剣はまだ握れている。
その事実だけで充分だろう。
アルデスの表情に生気が宿る。
リリは安心したように頬を綻ばせ、お互いにリイナへと視線を移した。
「……リイナ、じゃなかった。カルデラの弱点とか特性は把握してる?」
「口頭でだけど大体は。魔法への耐性が弱いから、多分私の魔法で押し切れるかも。でも……」
不安気にリリはキュッと唇を締める。
「魔力がもうほとんど残ってない。多分、援護射撃くらいが精々だと思う」
アルデスは唇に指を当て思案する。あの強力な個体に近接戦闘での決着を望むのは無謀だ。
魔法が有効打である限り、リリの残存魔力は勝敗を左右する。適した状況で使うのが妥当な判断だ。だが、ロドルス程の場数が自分にあるかと言われればそんなことはない。
どうにかして、魔法を叩き込む隙を作らなければならない。
「リリ。あのカルデラは異質な個体だ。並の個体と同一視しちゃいけない。だからこそ不意をついてリリの一撃で仕留める必要がある」
「分かってる。そんな悠長な事できる余裕が私たちにないことも」
展開した障壁に亀裂が走る。もうすぐ、安全地帯が瓦解しリイナの攻勢が一帯を飲み込むだろう。
アルデスは冷や汗を伝わせながら冷静に伝える。
「一つだけ、提案があるんだ。確実に魔法攻撃で決められる瞬間を作る方法が」
「それは?」
「……俺自身が、囮になること」
リリは驚き、アルデスを睨めつける。
「それって、貴方ごと魔法で貫けってこと?」
「そうなると思う」
「ふざけないで! さっき命の使い方を考えろって言ったばかりでしょ!?」
「でも、このままじゃ共倒れだ! どちらか一方でもいい! 生きて帰る為の確率が少しでもあるならそれに賭けるしかないだろ!」
「だからってそんなの、できるわけないでしょ!?」
彼女の握った拳が怒りに打ち震える。
自らの恩人を犠牲にこれから生き続けろと。癒えない傷を負って人生を歩めと。そんな冷酷な運命を背負わされるのか。
その悲嘆がアルデスにも伝わる。
……申し訳無さはある。万が一自らが死ねば、その責任にリリが押しつぶされる可能性もきっとある。
アルデスは目をつむり、冷静に思考を回した。
「……ごめん。無責任なことだと思う。でも、君を置き去りになんて絶対にさせない。俺は生きて帰ってみせる。だから、俺を信じてほしい」
その言葉を聞き届け、彼女は胸に手を当て痛ましく強く握り逡巡する。
やがてリリは弱々しくアルデスへと潤んだ瞳を向けた。
「……約束よ。ちゃんと生きて私たちのところへ帰ってきて」
「約束する。絶対に」
アルデスはリリの手を両手で握る。リリも両手で握り返す。お互いの温もりを最後まで感じながら、それを解いた。
障壁はもう破られる。
そのタイミングを狙いすまし、アルデスは構えを取った。
「リリさん! 最大火力でお願い!」
「……っ。言われなくてもっ!!」
ついに障壁が完全に破壊される。
それを契機に真っ向からリイナへと突撃を敢行する。
意表はつけたようで、一瞬攻撃の勢いが弱まった。すかさず俊敏の魔法を重ねがける。
難なく目前まで辿り着き、アルデスの剣に今度は雷が帯びる。
「付与(コネクション)ッ!」
毛ほどもない火力だ。ヒットはしたが相手に与えた傷は浅い。
だが、"炎刃"をリイナの脳に焼き付けておいた甲斐があった。バターに熱したナイフを落とすように、強化されたはずの部位に刀身が入った。
大きくリイナは体勢を崩す。アルデスは好機とみて剣を振りかぶる。
すると再び彼女の泥の体に、グレンの腕が出現した。苦肉の策なのだろうが、動揺を誘う要素としては強いと判断したのだろう。
しかしアルデスの表情はピクリとも動かず。
迷いなく、グレンの腕を切り落とした。
「……もうやめろ。これ以上、グレン教官の命をもてあそばないでくれ」
続けざまに対応できなくなったリイナの肉体を思い切り貫き、壁へ激突させ固定する。拘束された彼女は必死に抵抗を始めた。
大量の血を失いながら、アルデスは力の限り合図をした。
「リリさんっ! 今だっ!!」
アルデスは信じる。彼女は強かだ。自分のように迷いを断ち切れないような脆弱な精神ではない。心のなかでリリに謝意を述べ、そして感謝した。生き残ったらちゃんと伝えないとな。
リリは苦痛に目を閉じ、そして唱え放った。
「豪刃(レイズ)!」
空中に刃が踊り、標的に向かい唸りそして確実に仕留めきる。
鮮血が散った。
『続』