雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

もろびとの黒 破

 ドーグの目線が左上に向く。

 厄介事を押し付けるのが、あの派閥の性格なので今更難癖をつけようとは思わない。

 胸に飛来するのは「またか…」という、しけた感情だけだった。

 困惑する盗人シスターを下ろし、怪人と相対する。薄ぼやけた月光が、その姿形をより歪に仕立てていた。

「さて。どうする? 元名探偵。"稲穂狩り"ってのはそう上手くいかないみたいだ」

「ただの取引に作戦名のおまけ付き。上の人間も暇なのか、俺たちに信用が置かれてるのか」

「クソガキのせいでめちゃくちゃだけどな。結局、お前も"あの事件"以来だろ。子供を見ると弱くなるの」

「……」

 ザドールはおもむろに葉巻を取り出す。夜風から守りながらマッチで火をつけると、蒼白の色が憂う心を灯した。

 飢えたストレスを宥めるように、心地の良い有害物質を肺に落とす。

受動喫煙だぜ」

 咎める気のない声色に、わざとらしく大きな紫煙を吐く。

「いいんだよ。目の前の化け物の方がよっぽど教育に悪い」

「違いない。で? あの奴さんはどうするんだ」

 ドーグが顎を向けた先では、微動だにしない怪人が寒々しい呼気を漏らす。

「放置すれば潜伏する構成員に影響が出る。監視体制を強化されると始末が悪い。解体して核を回収だ」

「了解」

 眉を吊り上げ了承する頃には、ドーグの動作が始まっていた。

 脱力した両手を軽く振ると、力強く手を合わせる。

 そうして前腕に展開した魔力を敵意と認識した怪人は、雄叫びをあげた。

「知能は低いみてぇだな。始末するだけの兵器ってことか」

 ザドールは少女に視線を移し鼻白む。

「ああいう命知らずの手に渡った時の保険だろう。杜撰とは言ったが、同じ役割が点在していると考えれば"いつも通り"だな」

「ケッ。札束ってのは積まれるほど胡散臭く感じるもんだが、俺たちも学ばないな。こんな目に会うたびにメアリーとの一夜が恋しくなる」

「お前……まだあの高級娼婦と関係持ってるのか。いい加減、現実見ろ」

「ザドール、お前こそ不倫をやめたらどうだ? 俺の方がよっぽど健全だぜ。丁度そこの義賊サマにアリアとの関係を懺悔したらどうだ」

 シスターを指した親指には、ドーグの軽薄さが詰まっていた。

 葉巻を一気に灰にする勢いで、大胆に吸い上げる。肺の悲鳴を押し殺して、大げさな嘆息と一緒に煙を吐いた。

 それは一夜限りと誓った関係。暴露を人質に迫られ続ける泥沼な交際。日に日に膨れ上がるアリアからの情熱的な愛。冷めていく妻との家庭……。

「悔い改められる人間ってのはな。悪を呵責できる良心がまだ残ってるやつだけだよ」

「流石は冷血漢。人の心がないと、やたら含蓄がある」

「覚えてろよ」

 乱暴に壁へと葉巻を押し当て、懐から出したマッチとすり替える。

 それを親指と人差し指に擦れば、魔力の火花と共に狼犬が現れた。

「駆けろ」

 ザドールの命令に反応した狼犬は、顎下まで伸びる異質な牙群で怪人を襲う。

 容赦なくその肩口を噛みちぎった。痛々しい断面から肉が溢れるが、その魚のような目には苦痛よりも静かな敵愾心を湛えている。

「……一つ思ったんだが、言っていいか?」

 不自然に佇む敵意をザドールが睨むと、ドーグはその言葉の意味を察し頷いた。

「お前の言いたいことはわかる。こっちがわざとベラベラ喋ったのに、静観"された"理由だろ?」

「私たちの一手を潰した時点で、知性の有無はハッキリしたな」

 鋭い眼光が怪人へと振り返り、唸りながら大口を開けて飛びかかる。

 喰らい尽くすという本能を滴らせた牙。そこに付着する食いちぎったはずの肉片。

 鈍く光りを放つ肉片は次の瞬間、白光と共に強烈な爆風を轟かせた。

 黒いコートが背筋までめくれ上がるが、二人は無感動に爆心地を眺める。

「なるほど。奴の肉片に仕掛けがあるらしい」

「その方が助かるな。何事にも手応えってのは必要だ」

 合わせていたドーグの手のひらに顕現した球体。軽く力を入れて握れば、ガラスのように魔力が弾けて鋭利に四散した。

 結晶の洞窟のように路地裏を埋める魔力の刃群を、彼は鼻歌混じりに物色する。

「今日は、これだな」

 ゴミ箱に刺さった光が、手に触れると物体として形成された。

 刀の形を帯びたそれを、ドーグは手で柄を返して満足げに構える。

「……よう。腐肉の中にも新鮮な脳味噌があるみてぇだな。熟成度合いを見てやるよ」

 刀を縦に裁つ。寸分違わぬその軌道は、裂いた空間へ歪に残像を走らせる。悲鳴のような突風と、怪人の腕が軽々と舞った。

「対価はお前の命だがな」

 だが、宙を漂う腕が突然脈動を始めたかと思うと先ほどの怪人の姿が形作られる。

「マジかよ!」

 斬られた怪人は泥のように地に溜まる。

 腕からの復元が完全になると、肥大化させた拳をドーグの頭上から振り下ろした。

 それを避けて懐の拳銃を放つと、今度は弾けた肉片が次々と爆発する。

「アホ! お前の両耳は空洞かなんかで繋がってんのか」

「生憎、血が昇っちまったら鳥頭なんでな! 赤信号ってのは他人を巻き込んで渡るもんだろうがよ!」

 硝煙の中では激しい剣戟が、四方八方に亀裂を走らせていた。

 激しい戦闘をぼんやり傍観する盗人シスターに、緩慢な足取りでザドールは近寄る。

「楽しい楽しい殺し合いをご観覧中のようだがここで招待状の確認だ」

「し、招待状?」

「お前、誰から鞄の中身を聞いた」

 新しい葉巻を咥える一方、シスターは肩を震わせ視線が泳ぐ。

「それは…言えない……」

「なら、殺すしかないな。情報ってのは案外繊細なんだ」

「いやっ、死にたくない!」

「なら情報を出せ」

 目まぐるしい現実からの影響か、大口を叩く間もなくシスターは怯えている。

 ザドールは肺に満たした紫煙を、震える金髪へと吹きかけた。

「あぁ言い忘れてたな。もし情報を吐かなければ、"とある場所"に一夜城ができる。私たちの性格上、住み心地も整えるだろうな」

「一夜城……って……」

 爆風で薄ぼやけた視界。路地裏に備え付けられたウォールライトの明滅が描いたのは鐘の影だった。

 侵入口から望める教会。それに向けられた二人の視線の明暗はくっきり分かれる。

「この悪魔! 私だけにしてよっ! なんで教会まで巻き込むの!?」

「お前が情報を吐けばみんな救われるけどな」

「絶対に、許さないから…!」

 シスターは涙目になりながら顔を真っ赤にしている。

 だが、ザドールの瞳から覗くのは無感情だけだ。次第に圧に負け始め、ついには叱られた子供のように体を萎縮させていく。

「……変な眼鏡の人」

「眼鏡? 何か特徴はないのか。他に」

「特徴って! そんなこと言われても……お昼にパンを届けてくれた人ってだけで」

 ザドールは顎に手を当てる。

 わざわざ教会に来て、何故このシスターに取引のことを伝えたのか。何者なのか、意図すらも掴めない。

 眉をしかめて、話を掘り下げる。

「それを受け取ったのか?」

「うん。あ、でも……手を怪我してたのか知らないけど"縫い目"がいっぱい見えた。あと肌の色が白かったり黒かったり焼けてたり…」

 鳥肌とは久々の感覚だった。咥えようとした葉巻が、硬直する。

 ザドールの培った推理力はその異質な容姿に一つの派閥を重ねていた。

 『死』の派閥。だが、実際に会った訳ではないのでエビデンスは弱い。仮にこれを基に話を進めるのなら、死の派閥がこの仕事を委託した理由はなんだ。何故、派閥の息のかかった自分たちとこの少女を接触させた?

 震えるシスターを見やる。ただの少女だ。どこからどう見てもまだ幼さとあどけなさの残る、どこにでもいる金髪の……。

 金髪? 思考が一気にクリアになる。本気なのか、あの派閥は。

 ザドールは耳に響くほどの歯噛みをした。

「……クソッタレが。趣味の悪いことをしやがるな」

 葉巻を懐へとしまうと、ザドールは火花が散る硝煙へと声を張り上げた。

「聞こえてるか、メアリーのカモ! 予定変更だ。そのクソ野郎を核もろともぶっ壊せ」

「はぁ〜? 正気かよ! 相変わらず子供に弱いな。健気な瞳に絆されたか?」

「死滅願望と受け取っておこう。あともう一つだ。この依頼の裏の目的は、"囮"ってだけじゃないらしい」

 忌々しげにシスターを見やる。

 八つ当たりと分かっていても、気持ちのやり場に困った。

 杜撰だと見下したこの作戦には、ザドールとドーグを試し……それに指をさして笑う非道な存在の計画が息づいている。

 ザドールはマッチを五本取り出す。

 無駄はないが、感情が鮮明に表れた動作。

 利き手ではない手の指を抉るように擦り、そしてぶちまけるように吐き捨てた。

「"稲穂狩り"ってのは、俺に"子供をぶっ殺させる"ための計画なんだよ」

 

 

 

続く……?