「……投降しろ。"グレイ・ジャック"。お前に逃げ場はない」
グレイ・ジャックと呼ばれた男は後退る。
数歩のところで、その先に足場が存在しない事を察知した。悔しさに奥歯を噛み、目前の集団、KR特殊部隊"E5"の面々を恨めしそうに睨みつける。
「ほんっとに往生際が悪いこと。わざわざダストリアスまで追う羽目になるなんて」
「ま、まぁまぁ……『紅』そんなに怒らなくても……」
「私にも予定がありましてよ!?」
赤髪の女が八つ当たりのように、恰幅のいい青年に怒声を飛ばす。青年は涙目になりながら、肩を縮ませた。
「こうなったら『紅』は聞かないぜ。諦めろ、『鋼』」
背後で控える中年の男は、煙草をふかしながら肩をすくめた。煙は強く冷たい風に攫われ、間近の白雲に吸い込まれていく。
林立するビル群が見渡せる、一際高いビルの屋上。対峙する二つの勢力は局面にある。
それを感じさせぬ温度差の中、E5のリーダーである少年は若さに似合わぬ風格をもってグレイ・ジャックへと歩む。
「……VICEとの仲介役を担ったのも判明している。言い逃れは首を絞めるだけだ」
「ふ、ふざけんな……っ。そんなので俺が"あの方"の居場所を吐くと思うのか?」
「いいや思わない。だからわざわざお前の命を脅かしている」
グレイ・ジャックは背後を一瞥し冷や汗をかく。
思えばここまで追い詰められたのも、自分が欲をかいたせいだった。撤退するE5を見て、ついこちら側が狩る番だと錯覚させられていた……巧妙な罠だったのだ。
「くそっ! こんなの、どうすれば……」
グレイ・ジャックは欲望に忠実な人間だ。
金も立場も同時に失うことを一番に恐れ、心も瞳もその選択に大きく揺れていた。
「もうお前に、何かを選ぶ余裕はない」
少年の左目の氷が肥大化する。並行して手のひらに雷がほとばしった。
「言うんだ。"異開王オルム"の根城を」
名前を出され、グレイ・ジャックの焦りはピークを迎える。
少年はその情動を見逃さない。畳み掛けようとした、その時。
突如グレイ・ジャックの動揺が落ち着き、今度は不気味に口角を吊り上げはじめた。
「……ハッ! 悪りぃな、"E5"。お前らにその情報は死んでも渡せねぇ」
「何を……」
少年は眉間に皺を寄せた。
明らかに異常な態度の変化。余裕すら感じる物言いは唐突に、その理由を開示させる。
「じゃあな」
グレイ・ジャックは勢いのまま、屋上から飛び降りたのだ。一同に驚愕が走る。何より早く動いたのは『紅』と呼ばれた女だった。
固まる少年の隣を抜き、魔力で重力に抵抗しながらビルの壁面を駆ける。その表情には鬼気迫るものがあった。当然だ。落下する男は今まで追い続けた"全ての元凶"に対する情報源なのだ。ここで失ってしまえば、今まで積み上げてきたもの全てが水泡に帰す。
それは避けなければならない事態だった。
「もう! 追いつけないっ!!」
魔法の重ねがけは技術がいる上、『紅』の体には負担になる。既に頭打ちの加速度だが、グレイ・ジャックはそれを上回る自由落下をしていた。
「『紅』!!」
「ダメ! 間に合わない! お願い『氷極』!」
先ほど、グレイ・ジャックに詰め寄った少年『氷極』は紅の援護を受け、垂れ幕のようにビルにかかった氷塊を滑り対象へと接近する。
「捕まえたッッ!」
グレイ・ジャックの体を受け止め、援護魔法により着地する氷極。どうやら難を逃れたようだ。
安全を確かめるべく男へ目線を向ける。
……その瞬間、周囲に異常な風が、異常な密度と勢いを帯びて突発的に発生し始めた。
強風は氷極の体を包み始め、当惑するのも束の間腕から抜け出したグレイ・ジャックの右脚が既に顔面に迫っている。
「ケヒャハハ!! 消えちまえぇえ!!」
蹴りの衝撃と共に氷極は風に巻き込まれて、彼方へと飛ばされていく。威力と勢いが凄まじかったのか、軽々と吹っ飛ぶ体は空気も音すらも切り裂く。体がバラバラにならないように、なんとか氷で全身を包んでいるが、着地できる隙は一向にない。
「クソっ!! こんな大事な時にっ!」
悪態をつくも、風に包まれ抵抗もできなくては何もできない。
氷極は仲間の無事を祈りながら、氷の中でただ耐えるしかなかった。
『続』