雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

人理冠絶 前日譚

 アルデスは考え事が尽きない。

 主に任務に役立つ知識ばかり吸収している。野営の準備や監視、都市や街、不特定多数の雑踏に入り乱れる時の立ち回り、流転の研究、今後の訓練や自らの身の振り方など。

 しかし、時折大きな暗雲が彼の心を覆う。

 考えていた全てを投げ出してでも、優先したい事項がある。ただ、それは異質というより逸脱、強いては組織内に於ける進退を示唆する内容だ。

 VICEに持ちかけられた結託と、同調を推し進める自身の心理。

 要するに誰にも相談できない、アルデスだけが抱える問題であった。

 彼は悩み出すと決まってとある場所に行く。

 広い海洋移動型要塞レヴィアタンの廊下を進み、二つ厳重なドアを抜けた先にある。

 三つ目の自動ドアが開く。一目で雰囲気が変わるのが分かった。

 大きな窓と、機械に仕切られた部屋。椅子に座り、タイピングを披露する人間と、仕切られた窓の向こう側には眠り姫が寝息を立てる。

「…ラーラさん」

「……なんだ。また感傷にでも浸りに来たのか?」

 クルリと回転椅子が廻る。

 黒い羊角に、KRの制服。その上から白衣を纏っている。

 コーヒーを軽く嚥下すると、カップを横長な机の上に置いた。

「ゴートさん。ラーラさんは…」

「バイタルは依然問題ない。だが厄介なものに魅入られた少女だ。私があちら側にいた時はこんなものはなかった」

 ゴートと呼ばれる男。目の下に隈のあり、不健康そうな体つきをしている。

 何より、彼は訳ありな人間だった。

「…初めてです。VICEの人と触れ合える機会なんて」

「俺は一度試されているからな。あのKOR…大魔女のおかげで匿って仕事をもらっている身ではあるが。俺のスタンスは変わらん。英雄機関もVICEももう懲り懲りだ」

「じゃ、なんでKRに…って話は野暮なんでしたっけ」

 ゴートは肩をすくめる。

「俺の本質は人を救うことだ。決して、世界を破滅に導く欲求ではない。『業』の派閥が瓦解して目が覚めたんだ」

「なぜ業の派閥と合流を?」

「ドジを踏んだんだ。命令ではない。侵略していた世界で勇者に敗北して、気づいたらゲートに落ちていた」

「それで…この世界に魔の派閥が来る前からいたんですね」

「業の派閥に味方という概念を期待する方が無意味だからな。それこそ死に物狂いだった。生きるためにな」

 ゴートは椅子を仕切られた窓へと移す。

 機械が数値を行ったり来たりさせていた。その不安定さが逆にアルデスの傷心を加速させる。

「この少女も死に物狂いだ。よく耐えている。まだ、お前たちに伝えたいことがあるんじゃないのか?」

「伝えたいこと……」

 それはアルデスも同じだ。まだ伝えたいこと、伝わっていないことはお互い山ほどある。

 だから、くだらない感傷の為にラーラと出会うのは卑怯な気がした。

 一方的に感情を押し付けて、言葉を紡げない少女を拠り所にする。帰ってこないから、何かに不安がるリスクがない。卑劣だ。けれど、その自己嫌悪が不思議と自身を同情させる。

 あれだけ、仲間を信頼し、背負いあうと約束して、また勝手に背負い込むのは身勝手だ。

 しかし、この悩みを誰にぶつけることができる?

「……」

 ラーラしかいない。

 言葉が帰ってこないから、こうしてここにきている。

 誰も幸せにしない事実をありのままに言語化できる。

 誰にも伝えたくない孤独は逆に彼の心を孤立させた。

 


ーーー

 


「やぁ、アルデスくん」

「レルムさん……お久しぶりです」

 何気ない戦友、先輩との邂逅だった。それなのにアルデスからは後ろめたさが先行している。

 がむしゃらな訓練の休憩中、自販機で買ったドリンクを飲んでいた時である。

「まだ気にしてくれているのかい? キミは優しい子だね」

「……すみません。本当は」

 口が裂けていも言えなかった。

 ヴィ・アントという怪物に変質させられ、ルフス・アルカヌムと手を組んだVICEの手中にあるなど。

 レルムは眉尻を下げた。

「あまり、触れない方がいい話かもしれないね」

「すみません……」

「謝ってばかりじゃ、自分の価値を下げてしまうよ」

 華のような笑顔。レルムからは責める意志が感じられない。

 それが何より、アルデスをより惨めに仕立てた。

「そういえば次の任務は"アヴルへイム"なんだっけ?」

「はい。本来なら特務課の案件ですが、色々事情ができて、アイギス班も出動します」

「悪くない段取りだ。けれど、戦力は余裕があった方がいい。という訳で、その戦力に僕も含まれてるからよろしく」

 名乗り出るようにスッと手を挙げるレルム。

 驚愕しながら、アルデスは座っていたベンチから立ち上がった。

「えぇ! 初めて聞きました」

「内緒にしていたつもりはないけど、言う人もいなかったし。でも理由はあるよ。……いや、因縁って言葉の方が正しいかな」

「因縁、ですか?」

「最近僕、ストーカーにあってるんだよ。流石にKR内だと感じないけど、外に出るとずっと視線を感じるんだ」

「その視線が、レルムさんの因縁と関係があるって事ですか?」

「う〜〜ん。確証はないけれど、視線に呼ばれているんだよ。早く会いたい、ってね」

「……なるほど。正体が分かるなら、それから問い詰めても遅くないですし」

「丁度、アヴルへイムに来いって言われてたんだ。よろしく頼むよ」

 レルムは鼻歌を唄いながら、ポケットから紙切れを取り出す。

 どうやらアイギス班の面々に報告してそれをメモ書きしているようだ。

「それはメモですか?」

「僕くらいになれば記憶領域くらい魔力でなんとかなるんだけど。アウトプットは大事だからね」

「……アウトプット」

 今まで無かった発想、といえば嘘になる。

 実際に効果を感じたり、聞いたりしていないので関心は薄かった。盲点を突かれ、不思議と浮き足立つ。

「言語化、可視化。それをするだけで状況を俯瞰できる。客観的に物を判断できるんだ。大きいよね」

 するとレルムが差し出した人差し指が顔を横切る。

 突然の挙動にアルデスの目が点になった。

「っていうのが収穫。本当は不完全さを演じてるんだ。王様が庶民の暮らしを体験して実情を認知するなんて創作物、あの視点は意外と大事なんだよ」

「演じてるって……」

 それ以上の追及は野暮な気がした。

 誰かに関心を持つのは意外と疲労するものだ。余裕のない今はアヴルへイムに集中することが先決かもしれない。

 なんとか喉から出かかった言葉を飲み込んだ。

 押し殺した時の態度が露骨だったのか、レルムは申し訳なさそうに眉を寄せる。

「話を聞いてくれてありがとう。アヴルへイムではよろしく頼むよ」

「あ、はい! こちらこそ」

 わかりやすい性格は直す努力をしてもいいかもしれない。

 


__

 

 

 

「でさ〜。もうこれが超酷くて」

 レヴィアタンにもカフェのような一息つけられるスペースがある。

 コーヒーの芳醇な香りが空間を席巻していた。向かい合うように並べられた椅子、その真正面にはヒートがいる。

 机に散らかった無数の砂糖入れの紙、あとはノート。

 報告書を片付けようとカフェに来たアルデスは、いつのまにかヒートと同席していた。彼女の嫌味ったらしい響きのない、女の子らしい口調と性格でアルデスは離席したいとは思わない。お世話になっている先輩なので、話を真面目に聞いていた。

「おや? 私の話を差し置いて考え事かな?」

「いえ! そんなことは決して!」

「ぬはは! やっぱり考えてたな?」

 頬杖をつきながら、ヒートが微笑む。

 これ以上逆らえないが、余計な心配を与えたくないので苦笑で答える。

「アルデス君さ。表情作るの苦手なんだね」

「え……でてました?」

「全然? でも、ほら。警戒心なさすぎね」

 上手く誘導されて、アルデスの口が開きっぱなしになる。言わされてしまった。

 ヒートは頬を二度指で突いた。

「ぼーっとしてるというか、考えが回らない時点で囚われてる。アルデスくんは真面目すぎてその傾向が強いんだ」

「そうなんですか…? 考えたことなかったです」

「自分に興味持ってこなかったでしょ」

「それは…」

 アルデスは意識的に首肯した。

 あまり認めたくない自分だった。他者を優先して、自分は二の次にする。それが当たり前で、心地よかったから続けていた。

 だが、視界が他人に囚われていると、自分が泥まみれなのか清潔なのかが分からない。誰かに見せる自分があるから、他人に求められる。分かっていてできていないのは、ヒートの言葉が真実だからだ。

「酷い人に見てもいいけど、私は肯定も否定も言葉にしないよ。他者に偉そうに語って何様って思うかもだけど」

 ヒートは砂糖入りのコーヒーで唇を湿らせた。

「線引きがあるんだ。私は皆に生きていてほしいからその術や、立ち回りは振る舞える。けど、考え方や信念はその人が集積するものだから」

「俺は…酷いとは思いません。干渉しすぎるのは、逆効果ですから」

「自然とその人の意識や生き方に引き結ぶのは自由だよ。けど、だからって責任を私に押し付けられても困るからね」

 アルデスは何度かヒートの言葉に背中を押されたが、だからといって彼女を責めようとした過去はない。

 ヒートが語るのは何か遠因があるからだろう。

 アルデスは資料用のペンを撫でて、心を落ち着かせた。

「アルデス君はさあ、筆談とかしないの?」

「筆談ですか? したことないです」

「ふうん」

 意味ありげな返答で、再びマグカップを傾ける。

「筆談、おすすめだよ。なんなら日記とかでもいいんじゃないかな」

「日記?」

「うん。私はさ、要領いい方じゃないと勝手に思ってるからこうして記して、残してるけど。方法はいくらでもあるよ。要は言語化することに意味がある」

 ヒートは自分の持ち物を漁り、アルデスの前に一枚のノートを差し出す。

 それを受け取ると、喉がなった。

 無地の何の変哲もない表紙なのに、緊張する。新しいことに踏み出すといつも失敗がよぎるのはヒートの言う集積なのだろうか。

 頭を振ると、彼女の穏やかな目線とぶつかった。

「まずはやってみるのがよーし! 書き方とか教えるからさ! レッツ、日記ライフ!」

 能動的なヒートの言葉に逆行できない。

 本音が出かけたところで、言葉が喉の奥に引き摺り込まれる。

 はじめにアルデスを襲ったのは恐れだ。保管方法はじっくり考えればいい。しかし万が一それが見つかった時、どう弁舌すれば周囲は納得するのか。

 ヒートにすすめられたペンの進みは悪い。

 ここに記すことは、違う誰かを巻き込み不幸にする。虹の力を想起して、食いしばる歯を見せないようにするのが精一杯だった。

 


ーーーー

 


「やっぱ……こうなるよなあ」

 日記を勧められて、三日ほど経った。

 筆が進まないのは分かりきっていた。本音を必死に押し殺すのも苦痛である。

 くしゃくしゃと自身の金髪を握る。言葉がでないのではなく、形にすることが恐怖だった。

 考えていても、堂々巡りだ。次第に諦めて、今いる自室を出ようとした。

「あ…ユキネ?」

「こんにちは。マイマスター」

 マイマスターという単語はジーナに吹き込まれたらしい。

 ユキネもしっくりきたから使用していると思うと、今更やめてほしいとも断れない。 

 彼女の純心な瞳を見つめていると、不思議と雑然とした感情がまとまった。

「ありがとう。掃除してくれるの?」

「はい。アイギス班で残っているのはアルデス様だけです。念入りにやりたいので失礼ながら後回しに」

「いやいや。畏まらなくていいよ。いつも助かるよ! ありがとう」

 ユキネは見返りを求めない。他者への献身と尽力が彼女の報酬なのだ。

 言葉にしなくても、自然と満足している。

 一抹の寂しさはあるが、本人が納得しているのなら何も言う必要はないだろう。

 ユキネは部屋に入り、早速掃除を始める。

 丁寧に埃を払っていると、机の上に差し掛かったようだ。静かになったユキネに、アルデスは首を傾げた。

「アルデス様。日記を書いているのですか?」

「うん。先輩に勧められてさ。頭を整理できて客観的に物を見れるんだって」

「ヒート様ですね。確かにあの方らしいお言葉でございます」

「そこまで分かるか……」

 勘がいい、というよりよく人を見ている。

 推測でしかないのに図星までいくのはアルデスも驚いていた。

 底冷えする感覚を苦笑で誤魔化しつつ、会話を続ける。

「始めたはいいけど、何を書けばいいか分からないんだ。結局、考えるだけでアウトプットは時間がいりそう」

「時間は有限ですが、有限だからこそ価値があるものです。価値は摩耗させるものだと、レヴォ様がおっしゃっていました」

「……そうだね」

 思わず、感情が表面化する。沈痛な面持ちをユキネが見逃すはずがない。

「アルデス様? 何か、抱えていることがあるのですか?」

「いや、違うんだ。ちょっとまた別の考え事だよ」

「アルデス様。それも違うと思います」

 はっきりとユキネに否定されて、アルデスは体が固まる。

「アルデス様は、私を肯定してくれました。貴方の前では本物の私を見せていいと。私はたくさんのことを学び、集積してきました。今はちゃんと自分の引っ掛かりを言葉にできます」

「ユキネ……」

「アルデス様も私の前では、自分らしくいていいと思います。私は共有ができます。望むのなら内密に処理します。だから言葉にする事を躊躇わないで下さい」

 そこまで言われてしまうと、彼女の厚意を無下にすることはできない。

 渋面を作りながらも、思考は止めなかった。今、優先することは何か。

 ユキネの表情は静謐だったが、こちらをジッと見つめている。考える暇は与えてくれなさそうだ。遂にアルデスは折れ、ぽつぽつとこぼし始めた。

「俺さ……言葉にするのが怖いんだ」

「どうして怖いと感じるのですか?」

「なんというか…後戻りができなくなる予感がしてさ。やっぱりどこかでセーフティな思考が勝手に働いて、ブレーキをかけてるのかも」

「かけるのは悪いことではないと思います。しかし、アルデス様」

 ぐいっと、ユキネは両頬を手のひらで持ち上げる。

「最近笑えていますか?」

 アルデスは息を呑んだ。

 感じたことのない緊張感が背筋に走る。

 ラーラの一件から、孤児院のことまで。アルデスは自分を、はたまた他者を幸せにした記憶はあるだろうか? 否、そんなものはない。

 知らないうちに知らない誰かをアルデスは傷つけていて、人生を踏み躙り、不幸を増殖させている。幸せを与える立場など、今の自分は傲慢がすぎる。だから仲間に寄り添ってもらえるだけありがたいと思っていた。

 こんな時にも仲間に感謝するだけで、自分を気遣う素振りはない。

 目の前のユキネは言外にそれを伝えようとしていた。

「ないかも」

「そうでしょう。アルデス様のことは私が一番知っています」

「…そうなの?」

「だから私はそんなアルデス様も受け入れたい」

 先ほどの言葉はなかったかのように、ユキネは両手を合わせた。

「この日記はアルデス様が必要だから書こうとしたものです。今のアルデス様が頼れるのが人でなく自分自身なら、筆を執るべきです」

 なぜ書くのか。曖昧な目的のまま、真っ暗な闇に手を伸ばしても望んだ答えは返ってこない。 

 なら光がある方に手を伸ばせばいい。そんな単純で明快なこと、すぐに分かれば苦労はしない。こうして視界が狭まったとき、いつも隣にいるのはやはり仲間の存在なのだ。

「ユキネ…そうだね。俺は誰かを救う前に、自分を救わなきゃ」

 アルデスは両手で顔を覆った。

 自分のやること、その方針がはっきりしたと思う。

 息を吐いた。長く、溜まったものを綺麗に排出するような吐息だった。

 ゆっくりと前を向く。

 一瞬、ユキネの頬が綻んだ気がした。こんな自分で笑顔になってくれるのなら…そう思うと自然と頭が回る。

 アルデスは日記と向き合うように、机へと体を向けた。

 

 

 

____

 


「?」

 こうして、物語は幕を開ける

「これは…アルデス様の?」

 誰もが陥る絶望の残響が

「日記…?」

 鳴り響く

「これは…」

 望まないまま開いたページが

「VICE……?」

 物語に結末を齎す

 

 

 

next…

 


Road of Requiem

『 人理冠絶篇 』

剣課 デュエル隊

 人には末路がある。

 人生を賭けて何かを成し遂げようと己を磨き、目的に向けて邁進する。それは平等にある選択の積み重ねで、多くの人間が挫折して、成功を掴む果報者は一握りだ。故に、人は挑みたがる。自分という人間がどこまで昇れるか試したくなるのだ。

 それは承認欲求かもしれない。自尊心かもしれない。関わり合いが生きる為に必要な本能として刻みつけられているから、無意識に優生思想に囚われるのだ。

 


 けれど、俺たちは自分を試した後のことは考えているのだろうか。

 挫折した後、成功した後、何かを完遂した後。

 一つの衝動に駆られ、多くのものを道端に置き去りにして、射幸感の為に走った後。

 その時、自分の手元に残されたものを見て何を思うのか?

 


 かくいう俺には何も残されていなかった。

 KRに入団し、剣課“デュエル”を設立し、隊長を務めて多くの名声と戦果を挙げてもなお、“復讐を終えたこの身にあるのは燃え尽きた灰だけ”。

 感情も知識も交友も、なにもかも炭化している。

 復讐を完遂し、生き甲斐に飢えてKRに入っても。復讐以外の目標に生きた心地を見出せないからただの徒労だ。だが、人は支え合わなければ生きていけない。利用のために、人間関係を虚ろに続ける。そろそろ悲劇の主人公を演じるのにも疲れてきた。だから、生きた心地が欲しい。

「そうよね。貴方のことだからそう考えるに違いないわよ。どう? 不満なら私の完璧な理屈を精査してみなさい? “アラン”」

「…いや。ちょっと引いてる。そこまで俺のこと理解しててまだ“俺を救おう”とか考えてるわけ?」

 俺はコーヒーの缶を呷る。人が微塵もいない休憩所によく通る声で、目前で立つシスター風の女が自信満々に叫んでいた。

「“懺悔室のジェイミー”とは私のこと。この世に私に本音を吐いて、救われなかった者はいません。アラン、貴方は私が絶対救ってみせます」

「懺悔室? 救済者気取りの間違えじゃない? 変にキモい信念押し売りしてもそれだけじゃ無意味だよ」

「ああああああああああ?????????? あらあらあら。その臭い口を閉じなさいカトリーナ。私の拳が飛ぶ前に」

 ジェイミーの手の甲に青筋ができると、ヒッとカトリーナは肩を縮める。

 そのまま押し黙るとぼそぼそと呟き唇を尖らせた。

「な、なんなの…そんな詰め方で納得なんて絶対するわけないよ」

 カトリーナは内気な表情をチラつかせる、魔法使い風の女の子だ。ぼさぼさの金髪を触りながら、ギリギリ視界に入らない部屋の角まで後退りする。

「ジェイミー。そんな言い方はないだろ。なあ、カトリーナ。そういえば目的の人は見れたのかい?」

 カトリーナは内側を見透かされ、顔を紅潮させる。

 ツンツンと人差し指を突きながら顔を逸らした。

「…うん。“アルデスさん”今日もかっこよかった」

 ルスベ・アルデス。カトリーナが憧憬を抱く、盾課所属のエリートらしい。

 エリートかどうかは、カトリーナが一人で言ってることなので大した根拠はないが彼女も場数を踏んだ傭兵。妙にその言葉には説得力を持たせていた。

「ルスベ・アルデスね。妄想も程々にした方がいいじゃないかしら。夢を見すぎても醒めた時のギャップは計り知れないものです」

「は? じゃ、じゃあ…ジェイミーは、そういう感情を持ったこと、あるわけ?」

「憧れは私には不要です。何より、憧れられる立場だからこそ! そういった感情は下々が持つに限ります」

「はあ…? 経験したことないものを、さもしたかのように振る舞ってるの?」

「黙りなさい。私の拳は硬いですよ。脳天が砕けてもいいなら続けなさい」

「ヒッ……いやっ」

 カトリーナは脳筋のジェイミーには逆らえない。どこで学習したかはしらないが、内気なのとトラウマが彼女を縛っている。

 俺は見ていることしかできなかった。

「なあ、そういえばリンジーはまだ来てないのか?」

 リンジーはデュエル隊に所属するオペレーターだ。

 幼い頃から優秀で、KRにも鳴物入りで入ったと聞いている。ただ、それは自我がデカすぎるだけの作り話だと全員が気づいている。

 なにしろリンジーは…。

「いるじゃない。リンジー」

「うん。そこにいたよ」

「嘘でしょ? 私気づかれないなんて…やっぱり隠密行動への適性があるってわけね! ワクワクしてきた!!」

 声の方向へと視線をズラす。

 ヒョコっとアホ毛が顔を覗かせた。俺の足元にいたのはまだまだ小学生くらい短躯な女の子である。

 平板な胸を張り、尊大であるかのように声を響かせた。

「そうね! 日々なんでもできるようになっていく私は、日々価値が磨かれてるってこと! ささ! 私を認めて!」

 背は小さいが、自尊心を無限に満たそうと躍起になるのがリンジーの性格だ。

 普段の言動がこれなので慣れたが、確かに彼女の仕事はベストを常に叩き出している。

 リンジーはオペレーターだ。上も認める成果は彼女の自我を日々高めているが唯一、俺たちデュエル隊だけは認めていない。子供のお守りをさせられている肌感なので、質だけを重視する上との価値観にギャップがあっても仕方ないのだろう。俺たちの認識が災いして、リンジーは俺たちに評価を迫ってくる事態になっているがここまできたら皆意地を張り出す。かくいう俺も例に漏れない。

「子供は黙って寝ていて。夜は私たちが守るから」

「まだ真っ昼間だけどね…」

「すごい漫画みたいな台詞! ワクワクしてきた!」

 そういいながら自動販売機に向かうリンジー。背伸びしても届かないので、俺が体を持ち上げてボタンを押させる。

 出てきたのは真っ黒な缶だった。

「…よくそんな苦いものが飲めるわね。貴方たち」

 顔をしかめて手で口を覆うジェイミー。

 容姿と嗜好がかけ離れているリンジーに剥き出しの恐れを出していた。

「オペレーターだからな。任務中、モニターやデータと睨めっこする仕事ならこうなるのも筋は通ってる」

「そもそも、私たちリンジーの年齢すらしらないんだけどね…」

「うはははは! ひーみつ秘密! あとジェイミー! 夜うるさいから叫ぶのやめてね!!」

 俺は呆れた表情でジェイミーを見る。

「また対人のゲームをやってたのか。これで何個目のゲーム機かわかってるんだろうな?」

「ほう、私の愚かさに期待しているのですね。残念。まだ新品のような輝きで私に応えてくれています」

「本当なのそれ…」

 感情が昂った時のジェイミーは手がつけられなくなる。

 捻くれているカトリーナは特に彼女を人間として低く評価していて、裏ではボロクソに言っている。これで班として成立しているのだから恐ろしい話だ。

 女性陣が盛り上がるのを横目に、俺は瞳を下げる。

 


 “何の価値も感じない”。

 仲間との触れ合いになにも見出せないのはひとえに、ジェイミーが最初に語った俺の人物像がもっともだと裏付けていた。

 復讐を成し遂げ、その先に待っていたのは虚無だった。

 それだけの為に生き、それだけ大きな命題だったからこそ、それ以上のものが見つけられない。

 だから今やっていることは復讐以上の生き甲斐を探すことじゃない。

 それを建前に、復讐者として返り咲こうとする機会を待っているのだ。

 


 憎しみは連鎖する。

 その連鎖の中でしか生きた実感がわかない。

 


 俺には分からない。

 自身への哀れみも、そしてこの虚無も。

 


 虚ろな日常は、乾いた明るさに満ちていた。

 


『剣』部隊 “デュエル”

素晴らしき哉、人間

 うだつのあがらない人生だった。

 死んでもないのに人生の後悔が真っ先にくる。どれだけ拗らせていたんだと自嘲の笑いが止まらない。

 俺の笑い方がだいぶイカれてたのか、こちらを捕捉した影が顔を歪めるように暗闇を仄かに揺らした。

「それが笑いね。心の底からの」

 ここはある街の路地裏。

 魔の派閥の上司から、休暇をもらい気晴らしに街へと繰り出していた。いまだVICEの占領下にない営みは平和そのものだった。逆のパターンを認知しているからこそ、拭えないギャップは歯痒い。胃は荒れ狂い、凄絶な拒絶感を催していた。

「心の底からの笑いってのはもっと別の状況ででるもんだろ」

「そうかしら? 人って防衛本能で笑うことは多々あるのよね。貴方の場合、それが偶々本音だったってパターンじゃない?」

「よせ。どんだけ救われねえ人間なんだ俺は」

「あら? 数多の人間を不幸のどん底に引きずり下ろして自分は幸福を望むなんて。人はそれを傲慢と定義するのよ」

 俺はヴィ・アントの言葉に言い返さなかった。こいつは学習能力が高い…というより人間に強い関心がある。

 デットエンドに類似されるだけで、根っこは世界を自浄しようとする世界機構のバグだ。力と言動からは異常な破壊衝動を窺わせるが、それにしてもこの関心の高さには説明がつかない。

 元の性能、人格のバグだと研究員は結論づけていたが、身近で対話するともっと別の意図を感じた。

 人になろうとするような、人に還ろうとするような。彼女の背景を覗き見る不躾な自身を自覚させられる。

 俺は頭を振って考えることやめた。

「余計なことを考えさせるな。無駄に神経を使いたくねえ」

「無駄なことは考えない性分だと思っていたけれど? 思考の内側が気になるわね」

 俺は黙り込むことで、それ以上の追及を避けた。勝ち目のない言い合いに首を突っ込んでも何の得もない。

 ヴィ・アントは察したのか、不気味な微笑みを浮かぶにとどまっていた。

 突如、俺は背後から強い衝撃に押された。

 誰れかが作為的にぶつかった…空気の澱んだ灰色のような道だ。誰が、何の目的で行ったのか。泥沼にできた足跡が雄弁に語っていた。

「追わないのね。子供のスリだったようだけれど」

 こいつはこいつで何もしない。命令外のことはしないという設計のおかげだろう。欠伸をしながら、いまだに傍観している。

 俺は皮肉な笑みを浮かべた。

「スリなんざ、珍しい話じゃねえ。誰もが生きることに必死になってる世界だ。秩序なんてのはお飾り上等の綺麗事なんだよ」

 だが、先ほどの不快感は徐々に除去されつつある。

 快感と、喜悦。心が踊るような感情に満たされ、俺はステップを踏む。

「だが、これぞ人間! 俺より惨めなやつはいっぱいいる! だから奪い合うんだ! 人はどれだけ満たされても渇きに飢えている! 求めることが本能だからだ! 人らしさは否定しちゃいけない」

 そしてまた、誰かが奪われる。

 この意味を追認させるように、遠い場所から爆音が聞こえた。

 ヴィ・アントは驚き、再び俺を見る。白のコートはふわりと浮いて、リズムを刻むステップは今ある命を祝福し、また踏み躙るような響きを帯びていた。

「けど、惨めなやつを嬲るのは超楽しい」

 ニヤリと、俺は口角を歪めた。

 遅れて街中が騒然とし、悲鳴が聞こえてくる。

「奪われたら奪い返す。それも人の本能だ。俺は俺を守ために。それなら、どう奪い返すのかも俺の自由だろう?」

 火薬の匂いと共に、死の匂いがした。

 俺はつくづく死神だった。対価を遵守する死神だ。しかし、相手が払うものは命でありながら俺が払うものは気まぐれに決める。

 運悪く俺に近づいたやつは、理不尽な篩にかけられて落ちていく。二度と取り返せないものを取りこぼしていくのだ。

「悪趣味ね」

「本能への侮辱だぜ? ヴィ・アント。お前が知ろうとする人間とはこんなにも生きる力に満ち溢れてる。見せてやったんだから、勉強代くらい欲しいもんだ」

「随分と、高すぎる勉強代だこと」

 ヴィ・アントは肩をすくめた。

「高いかどうかはこれからのお前が決めることだ。妄信も歪みも、人を知ろうとする人格にしちゃ高すぎるからな。だが、それでこそ人なんだよ!!」

 人の最大の快楽と幸せは、具現化した敵を攻撃することだ。

 俗人はそうして、いつまでもよくならない現実を責任転嫁する。政治が悪い、世の中が悪い、誰々が悪い。その先にあるのは無限の闇だというのに。 

 しかし俺は思う。それでいいじゃないか。それでこそ人間が愚かで、奪い合いをやめない傍証なのだから。

 その否定は人らしさへの冒涜だ。人らしさとは奪い合う本能のこと。生きるための競争こそが歴史で培われた本質なのなら、それに喝采をあげずにはいられない。

 だから俺は声高々に両手を広げた。

「嗚呼、素晴らしき哉、人間!!!」

誰かのために頑張ること

「ん〜〜! 美味しい〜〜! スイーツってやっぱり天国〜」

 セレアはショートケーキを頬張り、片手を頬に当てて舌鼓を打っていた。

 正にほっぺがとろけてしまう、という表現は今の彼女の為に作られたのかもしれない。

 苺の酸っぱさに口元を持ち上げていると、横からため息が割り込む。

「セレア。お腹一杯にならないの?」

「ほえ? スイーツは別腹だよ?」

「ん〜……まぁ訓練後の栄養補給だから。分かるには分かるのよ。そうよね、ツル?」

 切り揃えたぱっつんの黒髪が揺れる。

 大和撫子、と言った風貌の少女ツルは笑みを浮かべた。

「リリちゃんの意見も分かるよ。けど、私の班に所属してた頃とは変わらないね」

「変わらないのが一番よね。私たちより戦歴のあるセレアには凄く助けられてるし」

「むふふ〜」

 褒められた嬉しさか、スイーツを頬張れる幸せに満たされているのか。およそ、どちらとも考えられるセレアの表情は、リリとツルに安堵を与えていた。

 KRの食堂は広く、何よりメニューが豊富だ。任務が終わるタイミングはバラバラで腹を満たしにくる団員は時間を問わない。故に、常に二十四時間営業というのが組織からの気遣いなのだろう。

 現在、食堂にいるのはセレアたち三人。既に昼時には遅い時間であり、人数もまばらだ。

 しかし、セレアの食事量はかなりのもので注目が集まる。緊張に弱いツルは、同席中何度も飲み物を飲んで誤魔化していた。

 すると、不意にリリが彼女のドリンクに気づく。

「珍しいじゃない。スポーツドリンクじゃないのね」

「うん。私、任務と訓練以外は読書とか織り物してるから。余分なカロリーは控えてるんだ」

「そうかしら? 別に問題ないと思うけれど」

 ツルは考え込んだ後に、サラッと自らの背景を明かした。

「実は……美味しい夜ご飯を気兼ねなく食べたいからって理由もあるよ」

「分かる! やっぱKRの食堂のご飯、美味しいよね〜!」

 セレアがノリノリで介入する。

 リリはセレアの横に山積みになった皿たちを流し見しつつ、また受け取り口に向かおうとする彼女の軽快な挙動に驚いていた。

 戻ってきたセレアの食膳には、スイーツが五皿。リリは口をポカンと開けていた。

「……好きなものがあると、その為に頑張りたくなる気持ちは応援できるわ」

「あはは……。まぁ、セレアちゃんは食べるの好きだからね。私も好きなことには邁進するタイプだし」

「好きなことには邁進、ね。そういえばツル。剣課の"デュエル"との隊長とはどうなのよ。上手くいってる?」

 剣課"デュエル"。その隊長はイケメンと評判で、人柄も良い。

 ツルもその隊長を追う一人で、日々女性としての研鑽に励んでいる。

 困りながらも、ツルは進捗を報告した。

「じ、実はね。食事に誘われたの」

「は!? 食事!? あの人、そんなことする噂を一切聞いたことない……。ってことは!」

「うん。一歩前進、かな」

 リリは喜びを表すように、ツルの肩を揺さぶる。

 セレアはプリンを頬張りながら、まるで遠い世界のように眺めていた。

「ツルちゃん、すごいね! 私、自分に甘々だから……そうやって人として磨かれて成果を出せるのってなかなかできないことだよ!」

「ありがとう。セレアちゃん!」

「さっきスポーツドリンクやめたって言ってたけど。それもダイエットみたいなものだし。ちゃんと実績に繋げられてるわね」

 するとリリはゆっくりと、セレアに水を向ける。

「セレアはどうなのよ。リベリオンの隊長、気になってるって言ってなかった?」

「うん。気になってるというか、ただのファンっていうか……。かっこいいなぁ、憧れるなぁ、好きだなぁって感じ」

「漠然としてるね。付き合いたいとか、その人に認められたいとか。セレアちゃんはない?」

「……あるには、ある。けど。私、こんな性格だし」

「諦めるのは早いわよ。一つ一つの行動で変わるんだから。"自分が変わろうと思わなきゃ好きな人に認められない"のも事実よ」

 セレアは口元にクリームをつけながら、自分の状況を整理する。

 メインの皿は十皿以上、デザートも同様。

 食膳には三皿、まだ載っている。

 以前、恐る恐る体重計に乗った時の衝撃が生々しく蘇る。

 忘れようと努めた記憶が、悪寒となって背筋を走った。

「こ、これ! リリちゃんと、ツルちゃんとで食べてね!」

「えっ! ちょっとセレア!?」

 自分の在り方は確かに、ただのファンかもしれない。

 しかし、独り占めをしたいと思う気持ちも異性として交際する妄想もしたことがないといえば嘘になる。

 セレアも一人の女の子だ。女の子らしく振る舞いたい、そう在りたいと強く願うのは当たり前。

 あの綺麗な横顔を、クールな眼差しを自分だけのものにしたい。その感情にセレアは嘘を重ねることはできなかった。

 


ーー

 


 ダイエット。化粧、振る舞い、ファッション。

 手にしたことのない雑誌や、インストールしたアプリと睨めっこをしながらセレアは唸る。

 集中力が切れ、肩をすくめた。

 最近はそのことばかり考えている。そのせいで今いる自室は服や物が散らかしっぱなしで、雑然としている。昔から片付けるのが苦手で、よく母親に注意されてはいたが。

 時間があるとセレアは自らを客観的に分析していた。

 変に力持ちであったり、大きく頑丈で、筋肉もあったり。恵まれた体型が仇になっているのも、セレアからやる気を奪っていた。

 机に突っ伏して、身体中に浸潤する徒労感を嫌々に噛み締める。

「……私も、変わりたい」

 その気持ちは本音だ。だが、何から手をつければいいのか分からない。

 言語化と一口に言っても整理が難しい。誰かに相談することも億劫に思えていた。

 リベリオンの隊長……アルダの顔が頭によぎる。

 蒸発するように顔が真っ赤になった。そして机に顔面を擦る。妄想する度に、嬉しさと幸福感でセレアの感情は満たされていた。尻尾が忙しく左右に振られている。

 しかし、ファッション誌が目に入ると、現実に引き戻された。

「……部屋にいても、ダメかも」

 そう思い至って、部屋を出る。

 住居スペースということもあって、周辺は静かだ。主に女性の団員で周りは固められている為、心配は少ない方だった。

 落ち込んだ顔つきで気晴らしに歩いていると、目前から見慣れた顔が現れる。

 セレアの顔が一気に明るくなった。

「アルデス! って、ええ!?」

「あ。セレア!」

 ルスベ・アルデス。セレアが所属するアイギス班の隊長だ。

 今日に至っては、どうやら彼は仕事を任されているらしい。大量の武器が、後ろから前から積まれていた。

「それどうしたの?」

「開発部の人に頼まれちゃってさ。訓練室に運んで欲しいんだって。なんか、"お届け先"がいるみたいで」

 セレアはいっぱいいっぱいのアルデスの運搬量を見て眉を顰める。

「でも。一人に頼むにはちょっと多すぎない?」

 アルデスを利用しやすい使いっ走りだと思っているのだろうか。

 大好きな隊長に、そんな役目を課す開発部の人間にセレアは頬を膨らませて苛立った。

「それ、絶対おかしいよ。でもアルデスは引き受けたんだもんね」

「そうなんだよ。運の尽きだったかも」

「私ちょっとむしゃくしゃするから手伝うよ」

「本当!? ありがとう! すっごく頼りになるよ!」

 むふ、とセレアの口元が緩む。

 頼りにされることは悪い気がしない。自分が求められるという事は、自分の価値を他者が買ってくれているからだ。

 アルデスから武器を預かる。が、調子づいたセレアは八割程を平然と引き受けていた。体格もあり、明らかな比重ができもなお、彼女の安定性は抜群だった。

「セレアさ。最近、何かあったりした?」

 武器を運搬しつつ、余裕のできたアルデスが問いかける。

 程良く空調の効いた廊下を軽快な足取りで歩むと、ガチャガチャと鉄がリズムよく音を立てていた。

「ほえ? どうしてそう思うの?」

「実はリリから聞いたんだ。最近はよく考え込んでるって。ぼーっとしてたり、ご飯の量も本当は十皿以上のところが五皿になってたり……」

「あわわ! アルデスストップ!! それ以上はいやっ」

 セレアは赤面になりながら、必死にアルデスとの会話に制止をかけた。

 自分が思っているより、周りは気づいている。いや、自分自身が分かりやすい態度をとっているのだろうか。セレアがどう取り繕うと、周りの反応からはそう捉えることもできてしまう。

「ご、ごめん! そっか。今はちょっとデリケートなんだね」

「うん……ごめんね。なんというか共有はしたいけど、恥ずかしいの」

 彼女の言葉に、じんわりと性差を窺わせる響きがあった。

 アルデスは頭を掻きながら目線を逸らす。

「大丈夫だよ。そういうのはゆっくりでいいんだから。俺じゃなくても、リリやオルトネーゼさんもいるし」

「オルトネーゼさんだけはいやっ!」

「えっ!? なんで?」

「だってあの人、絶対理詰めしてきた上で私のこと茶化してくるもん! 問題解決しようって意識が感じられないよ」

 アルデスの脳内に、けろっとした表情で余計な言葉を吹き込むオルトネーゼの姿が浮かぶ。

 セレアの不安が一瞬でもっともになった。

「……難しいね。俺もさ、色々考え込んでると周り見えなくなるんだよね」

「そうなんだよね。私も、やっぱり視界が狭まるの。なんというか、一方通行」

「そうそう。問題にぶつかった時って誰でもそうなんだよ。でも皆、乗り越えてる。乗り越えられなかったら、きっとここにはいないよ」

 アルデスの言葉には説得力がある。

 だからこそ、セレアの緊張も抜けた。考え過ぎな自分をいつかは肯定できるのかもしれない。

 そろそろ訓練室の看板と扉も見えてくる。

「ここまでありがとー。助かったよ」

「ううん! そんなことないよ」

「後は入室して、これを置くだけかな」

 大抵が自動ドアなので、手元が塞がっていても支障はない。

 入室しようとすると、突然訓練室の自動ドアである人物と鉢合わせた。涼やかな目線がゆっくりと合わさる。

「ぁ……」

 綺麗な白髪に、クールな目元。掴みどころのない、整った顔立ち。

 セレアの意中の人、"アルダ"がその場に現れたのだ。

「アルダさん! お待たせしました」

「……悪かったな」

「いえ! 俺も訓練室に用事あったので、ついでですよ」

 アルデスと会話をしていたアルダがセレアにも気づく。

 点火するようにセレアの顔が真っ赤になった。思考が暴発したようで、何も考えられなくなる。

 すぐに自分の身の回りを確認する。

 よく見ればアルデスの抱えていた武器の八割を一人で抱えているのだ。しかもアルダを意識する余裕さえある。

 自分の状況が分かってくると、"異性に見せたくない力持ちな自分"が体現されていることをより実感させられた。

「うわ、うわわわあああ!!!」

 武器が手からこぼれ落ちると、逃げるようにセレアは走り去る。

 ガチャガチャと音を立てて落下した武器たちは、セレアの悲観と落胆の感情を表現するかのようであった。

「……どうしたんだ?」

「え……っと?」

 アルダとアルデスは、要領を得ないまま取り残されていた。

 

 

 

ーーーー

 


 自分の事を可愛いと思ったことはない。

 体格も可愛げも、愛嬌も声も性格すら。

 自信が持て得ない。だから、雲の上の遠い存在がいい。届かないからこそ価値がある。

 そう思い込むことでセレアは他人も、自分を肯定していた。守ることとは棲み分けることだ。だから痛みを引き受ける領分が上等なのだろう。神様はそう自分を設定した。多くは望むことは、恵まれなかった人に失礼だと。

 けれど。

「うう…ぐすん…」

 部屋の隅で大粒の涙がこぼれる。静かでひんやりとした自室の空気がひびわれた心の隙間に沁みた。

 拭っても、拭っても、視界が映す現実は暗闇だった。

 目がヒリヒリする。いったいどれだけの時間、毛布にくるまっているのだろう。あがくように手を伸ばしても、昨日脱ぎ捨てた服の布地が手のひらを跳ね返すだけだ。

「どうして、いつもこうなの…?」

 うまくいかない。

 見られたくない自分ばかりがいる。

 どうやったって、なにかが成功した試しなんてない。

「私だって、私だって…女の子なんだよ?」

 誰かを責めるなんて考えられない。しかし、思考が自暴自棄に走ると、誰かのせいにしたくてたまらなくなる。

 その感情はセレアには手が余った。気持ちの行き場がなくなるたび、ため息が漏れてしまう。

 お腹が空かない。だからもう半日はこの調子だ。

 自分の心を守るように、布団を握って縮こまった。

「…セレア?」

 小さく外からかけられる声。

 リリだ。続けて、アルデス、レヴォ、ツルの声が聞こえた。

 皆、心配している。食堂に朝一番にいないのだから、こうなるのは道理だろう。

 そう勝手に腑におちて、自嘲する。

「皆で心配してたの。セレア、最近元気がなかったから…」

「……ごめんね」

 まるで別人のような声の萎れ方だった。心から活力が枯れている。普段、考えることに慣れていないのでその影響は態度にも表れてしまう。

「セレアちゃん! 私、私ね」

 ツルの声が一歩前に踏み出した。

「あの時…セレアちゃんがデザートを途中でやめたときからおかしいと思ってたの。一番長く一緒にいて、親友の変化に踏み込めないなんて。それで私の話ばっかり。それより、もっと大事なものに気づけなかった。本当にごめんね」

「違うよ、私は。今まで見て見ぬふりをしてきた自分に落ち込んでるだけだから」

 だからこの感情も自分だけのもののはず。誰が悪いとか、責任があるとかそういう話ではないのだ。

「と、考えているんだろう? くだらんエゴだ。それは」

 レヴォが鼻を鳴らして、セレアの心情を見透かした。

「レヴォ! そんな言い方しなくたっていいじゃない!」

「リリちゃん…大丈夫。そうだよ、レヴォくんの言う通り。私はかわいそうな自分に酔いたいだけだから」

「それがくだらんといっているんだ」

 レヴォは大きく嘆息を吐いた。

「いいか? セレア。お前は大きな勘違いを二つしている。一つは他人は自分に強い関心も持っているという点だ。よく人の顔色を窺うお前のことだからな。だが社会は思いの外お前には無関心だよ。二つ目、お前はかわいそうな自分に酔ってると言ったが、本音はそこじゃない。かわいそうな自分を憐れんで、共感してほいんだろ?」

「…やめて」

 逃げ続けた自分と、本音のズレが明確になっていく。ツルの言葉がどれだけ心地が良かったのか。自覚するたびに辟易してしまう。

「俺が言いたいのはな、お前は冷静じゃないってことだ。殻に閉じこもっていれば問題は好転しないんだよ。もっと目を向けるものがある。大事なものがな。それは…」

 突如、扉が勢いよく開く。

 レヴォの得意げな口調が消えた。…いや、より正確には飛ばされた。自動ドアは強引に中から破壊され、正面衝突したレヴォは巻き添えに遠くの廊下に音もなく消えた。

「はあ…はあ…」

「セレア…!! 大丈夫?」

 むしゃくしゃなまま感情を解き放つ。獰猛な牙が口元から覗いていた。思わず外の面々も硬直する。

 セレアはぷるぷると震えた肩で息をしながら、両手を胸で挟む。

「私は…私は! 違うのっ! 私はもっと女の子らしくありたいだけ! でも、でも私なんかじゃそんな風に振る舞えない! こんな体も心も大きな子なんて女の子じゃないもん!!」

 セレアの吐露に誰も口は挟まない。

 こうして自分を他人の前で発散させるのも、セレアは不慣れだった。だが、一度本音を仲間に開示すれば勢いは止まらない。

「レヴォくんの言うとおりだよ! 私は同情してほしい、構って欲しいの! かわいそうな私をみてほしいだけ! 傷心だけが私の生きた実感だったから! うまくいかないんだからそれくらい許されるでしょ!? めんどくさくていいもん! 私、めんどくさい子だもん!」

 すべて言い終えると強い徒労感に満ちた。

 大きな後悔が鉛のように背中を席巻している。腫れた目元がジンジンと痛む。

 沈黙の中で、激しい動悸と荒い息だけがセレアの感情を体現していた。

「セレア…ごめんね」

 布がギュッと握られる音がした。

 リリの一言に、枯れたはずの涙が目尻に押し寄せてくる。

「私が偉そうに余計な事を言ったせいかもしれないって思ってた。セレアが抱えてたものにズケズケと踏み込んだ気がしていたから。私ね、あそこで伝えたかったこと今、ちゃんと伝えたいの」

 リリは深呼吸をした。

 閉じた瞼を決心するように持ち上げる。

「セレアは自分が思ってるより沢山ポテンシャルがある子よ。自信を持ってほしかった。もっと伸びてほしいつもりで言ったけれど、こうして裏目に出たのは私の責任。一人で背負わせちゃってごめんね」

「ううう…」

 子供のように大粒の涙を流す。

 ツルとリリは崩れ落ちたセレアに駆け寄り、今にも押しつぶされそうな背中に手を置き抱擁した。

「セレアはできる子なのよ。ちゃんと結果を残せる。だから悲観や諦観なんて似合わないわ」

「そう。何よりセレアちゃんをずっと近くで見てきた私たちだからわかることなんだよ。根拠は十分! 私たちだけは絶対にセレアちゃんを見続ける」

 気持ちが晴れていく気がした。同時にレヴォが伝えようとした言葉も理解できる。

 最低な自己評価に囚われるあまり、もっと大事なものを見落としていたのだ。

 仲間がいる。知らない自分を、仲間たちは教えてくれた。尊重してくれた。

 冷静さを失ったセレアに手を差し伸べてくれる。

 なんと恵まれているのだろう。

「アルデスだって、レヴォだってきっとそう思ってる。ね?」

「…え、あ! う、うん?」

 しかし事の顛末を全く知らないアルデスはただ疑問符を浮かべていた。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 セレアは躍動していた。

 食事をするときも、訓練をしているときも、自分らしさを存分に咲かせている。

 あれからセレアは、リリやツル、交流関係のある友人たちとコミュニケーションを今まで以上に重ねている。まだまだ引っ込み思案ながら、社会性を身につけようと成長に前向きになれていた。

「ツルちゃん! リリちゃん! また動画のこと教えてよ。身の回りから整えるってテーマのやつ!」

「ちょっとセレア〜? また部屋の片付け疎かにしてるわね? 考え方を変えるだけじゃ進展しないわ」

「私もそう思う。まずは行動から始めるべきだから…そうだね。こういうアプローチを紹介してる動画あるんだけど」

「ほんと!? 見せて見せて!!」

 あの日と同じ食堂で三人は意見を擦り合わせている。

 変わろうとする意識より、年頃の女の子らしい話題だった。笑顔の絶えない机上には、控えめに皿が積まれている。

 明日からアイギス班は再び任務に従事する。その前にできることはしておきたいというセレアの気持ちに答えたのが今日の集まりの趣旨だ。

「……」

 そこに一人の男が出くわした。

 男…アルダは表情を変えたりしない。考えているが、表面にはなかなか現れない。だからこそ、客観的に見れば彼がセレアたちの方に視線を向ける理由は、ほんの些細な興味だったと大多数は判断するだろう。

 隣にいたアルデスもそうだと思っていた。未だに、セレアたちに注目しているアルダに疑問を抱くまでは。

「アルダさん……?」

 視線が吸い寄せられているだけでも珍しい光景だ。 

 アルデスはセレアと交互に見ながら様子を伺う。

「……よかったな」

 短く、アルダが息を漏らした。

 不意に彼は視線を逸らして、受け取り口に向かう。事情をあまりしらないはずだが、アルデスは心の底からの安堵を無意識に感じ取っていた。

 

 

 

 人は成長する。

 どこかの、誰かがそれを必ず見ている。

 だから歩みは止めてはならない。

 


 セレアの笑顔は眩しく、そして弾けていた。

 

 

 

おわり

Road of Requiem 二部二章『皓禍天蝕圏』 URLまとめ

 

Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第一話 悲愁

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/165714

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第二話 平穏帰依

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/165816

 

 

 

Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第三話 現は冷徹を喰む

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/165903

 

 

 

Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第四話 裂け目

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/165947

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第五話 幼き傷心

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170031

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第六話 収穫祭

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170111

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第七話 光届かぬ禁域

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170153

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第八話 偽装の幕引き

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170255

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第九話 決起を謳う

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170340

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十話 それぞれの決別

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170414

 

 

 

Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十一話 破魔なる至光

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170454

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十二話 憎き光への咆哮

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170536

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十三話 瓦解の悪徒

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170606

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十四話 皓き亡骸へ

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170637

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十四.五

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170710

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/第十五話 復刻せし殖

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170745

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/最終話 虚星の陽

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170821

 


Road of Requiem  二章『皓禍天蝕圏』/エピローグ

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2026/06/17/170853

Road of Requiem 二章『皓禍天蝕圏』/エピローグ

 あれから二日が経った。

 孤児院からレヴィアタンへと帰還し、様々なバイタルチェックを受けた。

 しかし、VICEの奇襲を受けたとは思えないほどKRは通常営業だ。他の組織に比べて、被害は最小限に抑えられたのだろうか。

 帰還してすぐにアルデスとリリは火急の件であると、団長のレッドリガに報告を行う。転移魔術のことを全て話し終えると、情報を精査した上ですぐに動くと確約してくれた。まずは安堵した。

 そんな折アルデスも独自に情報を集めようとするとオルトネーゼにそれを止められる。彼女もアルデスの安否を不安視していたが、まずは帰還したことへ素直に喜んでいた。

 自分から全て話すと言い、ある日アイギス班全員に集合が掛けられていた。

「と、言っても。なんで訓練課の教室なんだ」

 レヴォは納得がいかないというように、ため息を吐いた。

 リリは懐かしそうに、木机の上を指で撫でている。

「いいじゃない。凄く久々。セレアだって私と同期じゃないから一緒の空間にいるのがとても不思議よ」

「うん! 皆と思い出の場所を共有できるの実はワクワクしてたんだよね」

 えへへ、と頬を緩ませるセレア。

 その裏で二人の英雄が茶々をいれてきた。

「なんじゃ、なんじゃ。儂を抜きに楽しそうにしとるのう」

「アルデスくん! 色々ごめんね〜。突然お邪魔もしちゃってさ。こっちも完全に油断してたから、対応に時間食わされて色んな戦線とか都市に飛ばされてたんだよね」

 アルデスの監視としてKRに来た英雄であるヒルデブランドとディートリヒ。

 二人がいれば状況も変わっていたかもしれないが、しかし世界規模ともなれば話は変わってくる。しばらくは予断は許されないであろう。

 アルデスが盛り上がるメンバーを見ていると、オルトネーゼが入ってきた。不思議と空気に緊張が走り、全員が沈黙する。

 オルトネーゼが教壇に立つと、一つ咳払いをした。

「待たせたね。色んな事情で、各々立て込んでたと思うから、全員で一度状況を整理しようと思ってこの場を作らせてもらったよ」

 オルトネーゼが満足げに頷き、それぞれの表情を確認する。

 「質問があるときは挙手ね」と付け加え、彼女は話し始めた。

「まず、事の発端は摩天都市での任務だ。VICEに転移魔術の技術を盗まれ、世界中の都市や機関、経済や物流などに影響を与えた。至天雄ロッゾは責任を取る形で英雄機関を脱退。今も監視下に置かれている」

 やはりロッゾは責任を取らされていた。アルデスは一瞬俯くが、切り替えて顔を上げた。

「はい」

「どうぞ、アルデス君」

「今思うと、KRの経営維持を傾かせる程の被害は見当たらないんですが……これは英雄機関も同様なんですか?」

 オルトネーゼはいい質問だ、と言わんばかりに頷いた。

「その通り。そして、この背景に一役買っているのは既に"こちら側がVICEの情報を獲得していたから"という実情だ」

「えっ……転移魔術を盗まれたことが分かってたってことですか?」

「いいや、それは違うのぅ」

 ヒルデブランドはかぶりを振った。

 どのような意図なのか、アルデスには分からない。

「VICEにも、我々の"内通者がいる"ということじゃ。情報を詳らかにすることなく、"VICEが今まで以上に不穏な動きを見せている"という報告があれば相応に警戒力も高まるというもの」

「俺が読んだ新聞は、被害の規模を大袈裟に書いてたってことですか?」

「無論。"情報操作"というやつじゃ。確かに本部を直接的に襲撃される形となったが、被害はほぼゼロ。情報操作の主眼はユースティア全土に潜伏するVICEたちに混乱を引き起こさせる為の起爆剤じゃ」

「混乱させてどうするの?」

 ディートリヒがピン、と人差し指を立てた。

「さっきも言ってたけど今回の件で都市とか経済、物流にも影響があった。でも被害自体は私たちで問題なくカバーできる範囲だった。故にそれを利用して、私たちから仕掛けたのさ」

「……なるほどな。ライフラインが衰えていると見せかけて逆に活発的になれば、向こうが情報に惑わされてる内にこちらから叩くこともできる。構成員の炙り出しにも効果的だ」

 レヴォが本質を汲み取ると、ディートリヒはパチパチと手を叩いて肯定した。

「情報を逆に利用できる部分もあった、ってことね。確かに経済とか物流の悪化は打ち止めになって、良い方向に戻り始めているわ」

「なるほど……。じゃ、内通者のおかげで被害はそんなになかったって事なんですね」

 アルデスは胸を少し撫で下ろした。

「でも……アルデスを監視する為にわざわざデッドエンドの隠し場所に送るって。すごく闇というか別の思惑を感じるんだよね」

 セレアの言葉はもっともだ。監視として実用化レベルにまで達していない兵器の隠蔽場所を選んだのは何故なのか。

 "虹の力"と何かしらの繋がりをVICEは見出していた可能性もある。

 アルデスは胸に手を当て、考え込んでいた。

「てか、あのイザベルとかいうシスターはなんなの?」

 リリは苛立ちを隠せないように、語気を強くした。

 アルデスは誰とも目線を合わせず応える。

「イザベルはVICEに潜入していた原動天のスパイだと思う。……人の憂いだったりに敏感で、優しかったけど、裏があるのかないのか最後まで分からなかった」

 レヴォは鼻を鳴らしてアルデスの説明に補足する。

「奴は人間性を捨てきれず、中途半端に兵器として振る舞っていたようだった。矛盾していて、掴み所がなく、地に足がついていない。人間でも、兵器でもないって部分は確かに成り損ないではある」

 傾聴していたオルトネーゼは、話をまとめる為に一度手で会話を制止させる。

「とりあえずイザベルの事は置いておこう。問題はアルデス、君のことなんだ」

「俺のこと?」

「レヴォから伝わっているみたいだけれど、私たちアイギス班は特務課の"デュランダル"と共に異界から落下してきた超異形種"星心の悲愁"の討伐に赴いた。これはVICEの襲撃以前の話。だが、圧倒的な強さを前にデュランダルの一名が亡くなり、アルデスは"栞の境界"へと落下し行方不明になった」

 それがアルデスから欠落した記憶の一部なのだろう。

 共闘したデュランダルも星心の悲愁も、栞の境界も全て初耳の情報ばかり。何故、その記憶だけが抜け落ちているのかがさっぱり分からなかった。

 しかし、話は段々と進んでいく。

「我々はアルデスを捜索したが、期間もあって打ち切られた。その後すぐにVICE側の襲撃に遭ったからね。しかし、リリは海の底に沈められて、レヴォも行方不明になって。セレアと私だけが取り残されたんだぞ? こちらの身にもなってくれたまえ」

「……悪かったな」

 レヴォが素直に謝罪する。なかなか見られない珍しい光景だった。

「けど、なんで私は海の底に沈められて、ここにいられるのかが不思議なのよ」

「私もそれは引っかかっている。だが、原因が特定できない以上、今詰める話ではないだろうね。……それにしてもだ。その後、リリとレヴォはよくアルデスの場所を特定できたね」

「……」

「……」

 リリとレヴォは押し黙ってしまった。

 何か、伏せておきたい事でもあるのだろうか。

 だが、少しでもいいので情報は共有しておきたい。アルデスが促すと、二人はポツポツと語り始めた。

「……私は、"ソル"に居場所を教えて貰った。その後にアドロックさんと合流したのよ」

「俺もだ。奴が急に目の前に現れた」

 ソル。アルデスと瓜二つの少年の名。

 鋭い緊迫感がその場を支配した。

「私の時はアルデスの居場所を教えてやるって持ちかけられたの。でも、突然お前から見たら俺は敵か、とか言い出して取引になった」

「そうか。俺の所に来る以前にリリとやり取りをしていたのか」

「それはどういうこと?」

「奴は俺に取引は既に完了している、と告げてアルデスの居場所だけを吐いて消えたんだ。一瞬、意味がわからなかったが」

 レヴォが肩をすくめる。

 リリは怯えてはなかったが、強い警戒心を表情に浮かべていた。

「……ソルは私にこう言ったのよ。『ルスベ・アルデスは本当に英雄の生き写しなのか』って。分からなかったから、正直に分からないって言ったけど。なんか凄く満足そうだった」

「……意図が掴みかねるな。明らかに何かを狙っているようだけれど」

 オルトネーゼは唇に指を当てて、情報を咀嚼していた。

「ソルは君たちに"アルムガルド"へと来いと言ったんだね?」

「はい。そこで待っている、みたいなニュアンスでした」

「……誘い込まれているね。嫌な企みの匂いはするが、情報が足りていない」

「いや……一つ、分かることはある」

 レヴォが急に話し始める。

 事態が明白になるにつれ、挙手などは守られていかなくなっていた。

「飽くまでもイザベルというシスターに俺の憶測を語ったのみだが。奴は腑に落ちているようでもあった。ソルは"デッドエンドを独占しようとしている"」

「デッドエンド……VICEが最近注力している人型の殺戮兵器だね。その開発を横奪してやろうって腹かな?」

「あぁ。横奪も既に完遂されただろうな。イザベルはデッドエンドとなった子供たちを取り込み、回収を果たしている」

「核と同等の戦力となるデッドエンドを使役可能とし、支配する手筈の国の戦力を高める。シナリオとしては上等じゃの」

 王となるという最終目標から推測するに、ソルの目的は建国なのだろう。

 盤石な支配体制を確立する為、軍事における事案と接点があったのが今回の"デッドエンドの横奪"。そう考えることで面々は腑に落ちていた。

 だが、全貌が明らかになるにつれ、ソルの企みの粗も目立つようにもなる。

「けど、まだ不完全な兵器を用いてVICEとやり合おうとしてる訳? ソルは一体全体何を考えてるのかしら。そんなことしたらよりユースティアが荒廃するじゃない」

「この世の平定と抜かしておいて、後のことは何も考えていない。とんでもない奴だ」

 ソルの思考ルーチンをアルデスは理解していた。

 全てラプチャーから齎された情報だ。疑ってかかるのが定石だが、仲間からの評価を聞く度に情報は真実味を帯びていく。

「少し話をずらすけど、転移魔術の事も私は色々調べていてね。アルデスが言っていた神代やら、痕跡やら、そんな話には一切到達しない。この情報が真実なら明らかに誰かの手で転移魔術の基礎的な部分が抹消されている」

 すると、考え込んでいたディートリヒがおもむろに挙手をした。

「何かな?」

「少し、思い出したことがあるんだ。その神代とか、痕跡みたいな情報を私は何処かで知った記憶がある。全部思い出せる訳ではないけれど……」

「なんでもいいです。ぜひ教えてください」

 アルデスが乗り上げるように、前のめりになる。

 ディートリヒは首肯して語り出した。

「この世界に"魔の力"を齎したある女神の話なんだ。英雄戦争よりも、ずっとずっと昔で、異界から降りた神様の話。その書物が唯一保存されていた場所が……ソルが君たちを呼び寄せた"アルムガルド"にある」

 西国とソルが言っていたあたり、パンタシアにある国なのだろう。

 オルトネーゼは眉を寄せて小声になる。

「……まさかとは思うがソルの狙いは」

 その先は言葉にしなかった。

 考えすぎだと思わないようにすることで手一杯である。

「星心の悲愁の動向も気になるな。そういえばアルムガルドの方角へと自らの支配領域と共に移動しているらしいじゃないか」

 星心の悲愁は突如として、ユースティアの中央に現れた超異形種。

 魔力を貯蓄するために上空に巨大な結界を展開し、侵入した存在をことごとく迎撃している。VICEにも、英雄機関にも与する意志を見せない謎の存在だ。

「……アルムガルドで一波乱がありそうだ。この件は私から団長に報告させてもらうよ」

 オルトネーゼが背筋を伸ばす。

 そして、集まった面々を再び眺めた。

「一通り、話すことができたかな。今日はもう解散にしよう。明日からまたよろしく頼むよ」

 その声と共に各々、自由に解散していく。多様な足取りを見送りながら、アルデスは教室に残り一人思案していた。

 何もかもがまだ分かってはいない。

「……」

 様々な思惑と、存在が絡む以上は容易に手出しすることはできない。

 しかし、それでもアルデスは思い、考え続けていた。

「考え続けることは、大事だけれど」

 ラーラとルザリンドとの約束がある。

 だからこそ、歩みを止めてはならないと強く胸に刻むことができる。

「でも、見間違えじゃない」

 

 アルデスは各々と会話を交わすオルトネーゼの横顔を窺う。

 あの時、不思議と重なった錯覚。沸々と具体化されていく奇妙な感覚。

 やがて言葉にできない衝撃が頭を満たす。

 理由を語れば、後には戻れない。だが、明確に言葉にしなければいけない。

 

 そうだ。

 

 イザベルに感じた面影は、オルトネーゼにそっくりだったのだから。

 

ーーー

 

 

 

異暦102年 5月?????

 


「さぁ〜て。お味方さんが掻き乱してる間にパパッと仕事を済ませようかねェ」

「……」

 その場にいるのはラプチャー。

 そして羊角を生やした、一人の男だった。男はラプチャーを心配そうに見つめる。いやむしろ、単独行動を咎める意志すらあった。

「よいのか」

「……あ?」

 ラプチャーはつまらなさそうに応じる。

 男は無表情のまま、返答した。

「我らは戦果が全てだ。味方に功績を持っていかれても文句は言えまいぞ」

 一瞬の空白があった。

 しかし、ラプチャーは腹底から込み上げる笑いを我慢できなかった。

「ククハハハッ! そうだよなァ……"黒羊"。戦争で勇者一人にボコられてンだから。途中退場ッて苦い経験は生き方を歪めるだろうよ」

「……」

「だが、くだらねェ。"負け犬"は黙ってろよ。お前は俺のやり方に頷いてりゃいい。ハオウ様の顔に泥を塗った分際で、命がまだある事をありがたく思っておけ」

 今、レヴィアタンはVICEの襲撃を受け、動乱の最中にある。同時にラプチャーたちも乗り込んでいた。

 ある部屋の前で彼は止まり、自動ドアを破壊して部屋に侵入した。監視などは今のところ確認できていない。

 だが、それはもっとも都合のいい事態であった。

「さて。見つけたよ〜ン。"ラーラちゃん"」

「……運ぶのか?」

「はッ! まさか。俺たちが欲しいのは鍵だ。箱はまだ見つかってねえ。だが、"鍵"もここにはねえ」

 ラプチャーの言葉は要領を得ない。

 黒羊と呼ばれた男は眉根を寄せた。

「なにを……言っている?」

「クク。そうだ。用があるのは……」

 コツコツ、と硬い床を踏み鳴らす音が聞こえる。

 明確な敵意と殺意。

 黒羊は身構え、ラプチャーは思惑通りと言わんばかりにその名を呼んだ。

「そうだ。用があるのはお前だよ。"セナ・テレーズ"」

 


Road of Requiem  『皓禍天蝕圏』

二部二章 完

Road of Requiem 二章『皓禍天蝕圏』/最終話 虚星の陽

5月12日

 


 イザベルの頭上に"羊角"が生えた。

 瞳には十字が刻まれ、切断された下半身の代わりに血のように滴る影が、分厚い羊毛の如く身を覆う。

「羊……?」

 アルデスの瞳に映るのは、彼女の根源に近い力の源泉だった。

 しかし、周囲に放出する出力が安定していない。何十年も昔に仕舞い込んだ、鈍の刀を抜くような錯覚を受ける。

 それでも抜き身の恐怖は拭えない。助長させているのは、イザベルを包む不気味な影だろう。

「アルデス! 来るわよ!」

 イザベルが初動に見せたのは、身軽な蹴りだった。

 アルデスは剣で受け止めるものの、唐突な攻撃に横っ腹への追撃を許した。すぐさま、リリの支援が入る。更に密度の高めた魔力を照射するも、イザベルは軽くいなした。

 レヴォもルザリンドたちを守りながら、遠隔で炎を使い魔のように制御し、サポートを行う。

 先ほどの環境支配とは違い、近接に特化し始めたイザベルは出力、攻撃の発展が凄まじい。高い学習能力と、攻撃と防御を両立させる力量は、軍医という経歴からは想像もできないほど卓越した戦闘能力だ。

 次第にアルデスたちが翻弄されていくのも当然の流れだろう。

 故に、ダメージの蓄積量の比重は段々と偏っていく。

「リリ!」

 アルデスの呼びかけに、リリが反応する。

 イザベルが動き、再び格闘術を展開。

 だが、アルデスに到達する寸前で、イザベルの影が霧散する。

「やっぱり、相性があるわよね」

 イザベルは纏う影によって、安定しない自らの力を底上げしている。

 天候は雨。分厚い暗雲の中ならば、イザベルは圧倒的なパフォーマンスを発揮できるのだ。

 アルデスの目前に展開された、防御特化の結界術。付与された属性は"陽"。強い光の力を伴った結界は、イザベルの影を焼き、その根源を燃やす。

 戦闘の最中に情報共有ができたこともアルデスとリリで成立するからくりである。それは思考能力を単語でのみ、短期間共有できるものだ。

 


 影 力 天候 陽光 

 


 二人はアイギス班を結成して以来、ずっと流転の研究を行ってきた仲。

 アルデスもリリもその中で解析、開発した魔法は幾らでも存在する。

 


『"流転は可能性"よ。魔法や魔術による結果ではなく、"魔力の流れ"から推測し、結果を重視する万能の法』

 


 レヴォの炎の属性は"陽"ではない。

 "消滅"や"浄化"に重きを置く機構だ。故に影の防御が剥がされるのなら、その機構は問題なく機能する。

 遠隔された炎が、丸裸になったイザベルの腕を焼く。悲鳴を上げながら再び影で覆い必死に鎮火させようとしていた。その隙を、アルデスとリリは逃さない。

 温存した火力を集中させ、一気に形勢の逆転を狙う。

 イザベルへの一方的な攻撃。三人の連携によって翻弄していた者が、される側へと回っていた。

「調和の楽園(ディザスター・プライス)」

 しかし、戦闘は再び不均衡な様相を呈していく。

 アルデスたちの動きが止まったのだ。

 無理やり縛り付けられるような、外からの強制的な制限。

 イザベルの声には強烈な出力が含まれていた。

 アルデスが拳を受け、吹き飛ばされる。リリを巻き込み、平地と化しつつある森の奥に押し込まれた。

 追撃をかけるイザベルだったが、顔面に強い衝撃を覚えた。雨粒の圧縮化……大きな質量を帯びた雨はまるで石であり、彼女を中心に雨雲から降り注いだ。

 影を傘のようにして防ぐ事になるが、体の影の体積が減ることで、隙が増える。アルデスはその間隙を見逃さない。

「調和の楽園(ディザスター・プライス)」

 波動のように響く文言。

 アルデスの腕は、イザベルの懐で制止した。

 逆に言うなら、イザベルの領域に踏み込んだ事になる。影が波となって、アルデスを包み込もうとした。

「ふんっ!!」

 が、イザベルの体は強制的に防御に切り替えざるを得なくなった。

 "大槌"が彼女の体を捉えていたからだ。

「お待たせ! 皆っ」

「セレア!!」

 セレア・リーゲル……頭鎧の中から見えた力強い瞳が、アルデスたちを鼓舞した。

 


ーー

 


「ごめん。アルガス君が来なかったら、多分私参戦できてなかった」

 アルデスはすぐにルザリンドたちの方向へ視線を向ける。

 アルガスは普段は見せなかった微笑みを浮かべ、こちらに親指を向けた。どうやって呼び寄せたかは不明だが、戦力が増えた事はアルデスたちにとっては大きな利である。

 しかし、イザベルは当惑するどころか、余裕そうに笑みを浮かべた。

 セレアは大槌を構え、敵に瞳を向ける。

「敵は近接主体。調和の楽園(ディザスター・プライス)とかいう謎の能力を"宣言"して、こちらの動きを制限してくる」

「了解。要は、聞かなければいいってことだよね?」

「うん。けど、相手も計算した上で使ってくるから。まず誘い込まれないように気をつけて」

 セレアは頷く。

 大槌を構えると、呼応するようにイザベルが動いた。

 やはり近接が主体。しかし、セレアの頑丈さを見くびっていたのか、素早い打撃にびくともしない彼女にイザベルは動きを鈍くした。腕を掴まれ宙に浮かせられると、即座に大槌がイザベルを吹き飛ばした。

 アルデス、リリ、レヴォが追撃をかける。

 四対一。

 これでは多勢に無勢だ。イザベルは未だ自らの力を使いこなせていない。

 それでもアイギス班全員を相手とっているのは異常な光景だった。

「……そろそろ」

 イザベルは攻めてくるアルデスたちから、影を使って間合いを取った。

「お別れの時間ですね」

 突如、強烈な力の奔流がイザベルから噴出する。

 影が天に到達し、真っ黒な暗雲が形を失うレベルにまで力に汚染されていった。

「なんだ、アレは……」

「力? いや違う。確かにイザベルの魔力そのものだけど、彼女自身の出力じゃない」

「どういうことだ。あの力の正体は……」

 リリが空から降りてくる。レヴォも一旦、ルザリンドたちから離れ、合流した。

 そして、イザベルの周囲で渦巻き、回転する影の風車を忌々しく睨んだ。

「"カウンター"、ね」

「ええ! じゃあ、私が参戦したの逆効果なの!?」

「確かに調和の楽園(ディザスター・プライス)を使わなくなったのはセレアが参戦した瞬間からだな。これが狙いだったのなら納得だ」

 セレアは涙目になっていると、アルデスはかぶりを振った。

「いや、セレアが参戦した事で向こうに余裕がなくなったのは事実だよ。少なくともイザベルはもっと力を貯めてからカウンターを使いたかったはず」

 目前で放出される力は、確かに高出力で近寄れないが、現在も放つために必要なタメをイザベルは作っている。

 最大火力のカウンターには及ばないことが見て取れた。

「こちらも対応しないといけない。けど、対抗する手段が……」

「……いや、ないことはない」

 レヴォの手元で虹が光を放ちながら、存在を主張している。

 アイギス班の全員が、光の正体の意味をわかっていた。

 アルデスは驚きながらも、レヴォと視線を交わす。

「……いいの?」

「元はと言えばお前の力が原因だろう。一つだったものが、分かたれてもなお共鳴しているんだ。……安心しろ。力に付与されていた不純物は全て焼き払っておいた」

 アルデスはおもむろに、その虹へと手を添える。

 蓋をされ、今まで行使のできなかった力。

 レヴォから譲渡され、徐々に感覚を取り戻してもなお、アルデスの内に眠る虹が目覚めることはない。

 だが、アルデスは落胆しなかった。問題は簡単に解決などできない。KRに所属して、様々な人と出会い、託され、戦ってきた。

 色んな問題と向き合ってきたからこそ、背負うものに対しての楽観視はアルデスが一番に恐れていたものだ。

「けど。今は」

 体の底から湧いてくる高揚感に、力が脳髄に染み渡る万能感に浸っていたい。

 虹が渦巻いた。

 アルデスを中心とした力は、イザベルのカウンターに負けず劣らず。むしろ、圧迫的で絶対的な力の出力に、漆黒の力は押し負けているようにも見えた。

 二人は力を溜める。

「螺旋、極光ッ!」

「儚き楽園(スケープゴート)」

 そして、虹と暗黒は互いを否定しあうように衝突した。

 結果は分かりきったものだ。

 アルデスの力は充分にイザベルを圧倒していた。

 漆黒よりも濃いレーザーは、光の飲みながら進むも、虹によって掻き消されていく。

 制御のできない虹の力へとレヴォは足掻くように己の手を噛み、発動した能力で自らの虹の不純物を焼き殺し、浄化の能力を力に付与した事が起因である。

 螺旋極光は暗闇を裂き、そしてイザベルすらも巻き込み暗雲に穴を開けた。

 


 雨が止み、一筋の虹が差し込む。

 


ーーー

 

 

 

「ぁ……」

 影が蜘蛛の子を散らすように、闇へと逃げていく。

 丸裸……力の大部分を失ったイザベルは口から黒いヘドロを吐きつつ、眩しく照らす夕日を眺めていた。

「……イザベル」

 アルデスが彼女の下へと辿り着く。

 恨み言を吐き、散々に罵倒されると思い込んでいた。自身の体を辱める人間性とは思えないが、どこかで覚悟はしていたつもりだ。

 だが、イザベルが考えていたどれにも属さない感情をアルデスは浮かべていた。

「どう、して。そんな顔をするんです?」

「俺は……笑顔のイザベルが好きだったから。何気ない日常の中で、生き生きとする貴方が眩しかったんだ」

「……ハ。ハハ。そんなものに、意味なんてないのに……」

「貴方の意味は貴方しか分からない。けど、他者が抱く意味は全く同じとは限らないよ」

 アルデスは片膝をついて、イザベルの青白い頬に手を添える。

「俺は酔いたかったんだ。突きつけてくるだけの現実を一瞬でも忘れたかった。痛みに酔ってるんじゃなくて、酔うような痛みの方がマシで孤児院はそんな俺を肯定してくれていたんだ」

 酔うことで痛みが発生する。

 長い平穏(酔い)に染まり、その中で偶に現実を認識する。二つの乖離に、向き合う(痛み)ことで自身をささやかに肯定する。

 それは戦いの中で培うものではなく、ゆったりとした時間が流れる自由な環境で得られるものなのだ。

 今までにない感覚。だが、アルデスはそれでも戦士だった。

 一度剣を手に取った者は戦いから目を背けることができない。

「イザベル。感謝すらしてるんだ。俺が知らない自分のことを知れたから」

「……ハ。くだらない。分からない。どうでもいい」

 イザベルは兵器だ。

 だから、何も分からない。人らしく振る舞えても、害意が人の事情に理解を及ばせる事はない。

「私は諦めない」

 その言葉に、アルデスは凍りつく。

 彼女の瞳は煮えたぎるような破壊衝動に埋め尽くされていたからだ。

「アルデスさん……教えてあげましょう。私の意志を。私も、貴方がたから学びました。往生際の悪さをね」

 イザベルの躯体が、影に融解していく。

 明らかに何かを狙っていた。だが、彼女を見失ってしまえばそれも分からない。

 早くトドメを刺すべきだった。

 その後悔は、更に絶望へと塗り替えられて具現化する。

「……あぁ。いい体です。若いっていいものですね」

 背筋が怖気だった。

 その悪寒のままに、アルデスは振り向く。

 "ルザリンドがいた方角へと"。

 アルガスは軽い打撃で吹き飛ばされ、不気味な笑みを浮かべるルザリンドがこちらへと歩み寄る。

「保険ってやつですよ。ラーヴは既に亡くなっていますから。どう扱おうが私の勝手です」

「……なるほどね。突然、あの神父が影に吸収されたのは貴方の命令……」

「もしかして、リリが駆けつけられたのは」

 ラーヴを倒したからではなく、戦闘の最中にイザベルへと飲み込まれたからだ。

 それを理解して、冷や汗をかく。ルザリンドに与えられた"出来損ないとしての役割"とは、この保険のことだったのだ。

 ルザリンドは両手を結び、そして天へと高々に歓喜をあげた。

「あぁ! ようやくです! これで貴方様への忠義を果たせます! 全ては貴方様の為にあるのですから!」

 その声と共に周囲に膨大な圧力がかかる。

 魔力。絶対的で、逆らう気力すら削がれるような存在感。

 生き物としての本能を呼び起こさせるような威圧は誰もが畏敬を抱いた。

 アルデスが夕陽へと視線を向ける。

 そこにいたのは、紛れもない真っ黒な"自分自身"。

 放出された虹の力が空を歪める、圧巻な景色だった。

「また会えたな。ルスベ・アルデス」

「君は……ドレッドサイドの時の!」

「そうか。まともに話したのはこれが初めてだったな」

 全員がその存在に耳目を集めている隙に、ルザリンド……イザベルは同じく夕日の方向へと向かう。そして、少年の胸板に顔を預けた。

「今は多くは語らない。俺は自身の行いによってあらゆるものを語る。だが、貴様の前では興が乗る。故に我ら"原動天"の理を明かす」

 少年は剣を天に掲げた。

 それはアルデスだけに向けられた意志ではない。この世全てに告げる、進行の導。夕日に照らされて輝く刀身は、誰もが見たことのない未来に光を齎していた。

「俺はこの世を"平定する"。やがてVICEを打ち倒し、訪れる終末を"未来"へ転換する。その為の足掛かりとして、直々に俺が王となりある腐国へと繁栄を齎そう」

 彼の剣はアルデスへと向けられる。

 試すような瞳は、地に立つ一人の希望を新たな戦乱へと誘い込む。

 リリ及びレヴォは、複雑にその光景を眺めていた。

「我が名は"ソル"。世界を照らす新たなる太陽の名。覚悟があれば赴くがいい。西の王国"アルムガルド"へ。そして、降りかかる裨益に歓喜せよ」

 ソルは背中を向け、そして夕暮れの中に溶けていく。

 ようやく、一つの戦いが終わった。

 だが、その裏では多くの犠牲と悲劇が積み重なっている。

 アルデスはこの経験を忘れる事はない。

 ソルと名乗った瓜二つの少年は、内側から戦乱を起こし食い破ろうとする。ラプチャーの言葉が真実ならそれが道理なのだろう。

 


 そろそろ夜の帳が下りる。

 そして再び日が昇る。

 


 世界はまだ、明日を求めているのだ。