アルデスは考え事が尽きない。
主に任務に役立つ知識ばかり吸収している。野営の準備や監視、都市や街、不特定多数の雑踏に入り乱れる時の立ち回り、流転の研究、今後の訓練や自らの身の振り方など。
しかし、時折大きな暗雲が彼の心を覆う。
考えていた全てを投げ出してでも、優先したい事項がある。ただ、それは異質というより逸脱、強いては組織内に於ける進退を示唆する内容だ。
VICEに持ちかけられた結託と、同調を推し進める自身の心理。
要するに誰にも相談できない、アルデスだけが抱える問題であった。
彼は悩み出すと決まってとある場所に行く。
広い海洋移動型要塞レヴィアタンの廊下を進み、二つ厳重なドアを抜けた先にある。
三つ目の自動ドアが開く。一目で雰囲気が変わるのが分かった。
大きな窓と、機械に仕切られた部屋。椅子に座り、タイピングを披露する人間と、仕切られた窓の向こう側には眠り姫が寝息を立てる。
「…ラーラさん」
「……なんだ。また感傷にでも浸りに来たのか?」
クルリと回転椅子が廻る。
黒い羊角に、KRの制服。その上から白衣を纏っている。
コーヒーを軽く嚥下すると、カップを横長な机の上に置いた。
「ゴートさん。ラーラさんは…」
「バイタルは依然問題ない。だが厄介なものに魅入られた少女だ。私があちら側にいた時はこんなものはなかった」
ゴートと呼ばれる男。目の下に隈のあり、不健康そうな体つきをしている。
何より、彼は訳ありな人間だった。
「…初めてです。VICEの人と触れ合える機会なんて」
「俺は一度試されているからな。あのKOR…大魔女のおかげで匿って仕事をもらっている身ではあるが。俺のスタンスは変わらん。英雄機関もVICEももう懲り懲りだ」
「じゃ、なんでKRに…って話は野暮なんでしたっけ」
ゴートは肩をすくめる。
「俺の本質は人を救うことだ。決して、世界を破滅に導く欲求ではない。『業』の派閥が瓦解して目が覚めたんだ」
「なぜ業の派閥と合流を?」
「ドジを踏んだんだ。命令ではない。侵略していた世界で勇者に敗北して、気づいたらゲートに落ちていた」
「それで…この世界に魔の派閥が来る前からいたんですね」
「業の派閥に味方という概念を期待する方が無意味だからな。それこそ死に物狂いだった。生きるためにな」
ゴートは椅子を仕切られた窓へと移す。
機械が数値を行ったり来たりさせていた。その不安定さが逆にアルデスの傷心を加速させる。
「この少女も死に物狂いだ。よく耐えている。まだ、お前たちに伝えたいことがあるんじゃないのか?」
「伝えたいこと……」
それはアルデスも同じだ。まだ伝えたいこと、伝わっていないことはお互い山ほどある。
だから、くだらない感傷の為にラーラと出会うのは卑怯な気がした。
一方的に感情を押し付けて、言葉を紡げない少女を拠り所にする。帰ってこないから、何かに不安がるリスクがない。卑劣だ。けれど、その自己嫌悪が不思議と自身を同情させる。
あれだけ、仲間を信頼し、背負いあうと約束して、また勝手に背負い込むのは身勝手だ。
しかし、この悩みを誰にぶつけることができる?
「……」
ラーラしかいない。
言葉が帰ってこないから、こうしてここにきている。
誰も幸せにしない事実をありのままに言語化できる。
誰にも伝えたくない孤独は逆に彼の心を孤立させた。
ーーー
「やぁ、アルデスくん」
「レルムさん……お久しぶりです」
何気ない戦友、先輩との邂逅だった。それなのにアルデスからは後ろめたさが先行している。
がむしゃらな訓練の休憩中、自販機で買ったドリンクを飲んでいた時である。
「まだ気にしてくれているのかい? キミは優しい子だね」
「……すみません。本当は」
口が裂けていも言えなかった。
ヴィ・アントという怪物に変質させられ、ルフス・アルカヌムと手を組んだVICEの手中にあるなど。
レルムは眉尻を下げた。
「あまり、触れない方がいい話かもしれないね」
「すみません……」
「謝ってばかりじゃ、自分の価値を下げてしまうよ」
華のような笑顔。レルムからは責める意志が感じられない。
それが何より、アルデスをより惨めに仕立てた。
「そういえば次の任務は"アヴルへイム"なんだっけ?」
「はい。本来なら特務課の案件ですが、色々事情ができて、アイギス班も出動します」
「悪くない段取りだ。けれど、戦力は余裕があった方がいい。という訳で、その戦力に僕も含まれてるからよろしく」
名乗り出るようにスッと手を挙げるレルム。
驚愕しながら、アルデスは座っていたベンチから立ち上がった。
「えぇ! 初めて聞きました」
「内緒にしていたつもりはないけど、言う人もいなかったし。でも理由はあるよ。……いや、因縁って言葉の方が正しいかな」
「因縁、ですか?」
「最近僕、ストーカーにあってるんだよ。流石にKR内だと感じないけど、外に出るとずっと視線を感じるんだ」
「その視線が、レルムさんの因縁と関係があるって事ですか?」
「う〜〜ん。確証はないけれど、視線に呼ばれているんだよ。早く会いたい、ってね」
「……なるほど。正体が分かるなら、それから問い詰めても遅くないですし」
「丁度、アヴルへイムに来いって言われてたんだ。よろしく頼むよ」
レルムは鼻歌を唄いながら、ポケットから紙切れを取り出す。
どうやらアイギス班の面々に報告してそれをメモ書きしているようだ。
「それはメモですか?」
「僕くらいになれば記憶領域くらい魔力でなんとかなるんだけど。アウトプットは大事だからね」
「……アウトプット」
今まで無かった発想、といえば嘘になる。
実際に効果を感じたり、聞いたりしていないので関心は薄かった。盲点を突かれ、不思議と浮き足立つ。
「言語化、可視化。それをするだけで状況を俯瞰できる。客観的に物を判断できるんだ。大きいよね」
するとレルムが差し出した人差し指が顔を横切る。
突然の挙動にアルデスの目が点になった。
「っていうのが収穫。本当は不完全さを演じてるんだ。王様が庶民の暮らしを体験して実情を認知するなんて創作物、あの視点は意外と大事なんだよ」
「演じてるって……」
それ以上の追及は野暮な気がした。
誰かに関心を持つのは意外と疲労するものだ。余裕のない今はアヴルへイムに集中することが先決かもしれない。
なんとか喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
押し殺した時の態度が露骨だったのか、レルムは申し訳なさそうに眉を寄せる。
「話を聞いてくれてありがとう。アヴルへイムではよろしく頼むよ」
「あ、はい! こちらこそ」
わかりやすい性格は直す努力をしてもいいかもしれない。
__
「でさ〜。もうこれが超酷くて」
レヴィアタンにもカフェのような一息つけられるスペースがある。
コーヒーの芳醇な香りが空間を席巻していた。向かい合うように並べられた椅子、その真正面にはヒートがいる。
机に散らかった無数の砂糖入れの紙、あとはノート。
報告書を片付けようとカフェに来たアルデスは、いつのまにかヒートと同席していた。彼女の嫌味ったらしい響きのない、女の子らしい口調と性格でアルデスは離席したいとは思わない。お世話になっている先輩なので、話を真面目に聞いていた。
「おや? 私の話を差し置いて考え事かな?」
「いえ! そんなことは決して!」
「ぬはは! やっぱり考えてたな?」
頬杖をつきながら、ヒートが微笑む。
これ以上逆らえないが、余計な心配を与えたくないので苦笑で答える。
「アルデス君さ。表情作るの苦手なんだね」
「え……でてました?」
「全然? でも、ほら。警戒心なさすぎね」
上手く誘導されて、アルデスの口が開きっぱなしになる。言わされてしまった。
ヒートは頬を二度指で突いた。
「ぼーっとしてるというか、考えが回らない時点で囚われてる。アルデスくんは真面目すぎてその傾向が強いんだ」
「そうなんですか…? 考えたことなかったです」
「自分に興味持ってこなかったでしょ」
「それは…」
アルデスは意識的に首肯した。
あまり認めたくない自分だった。他者を優先して、自分は二の次にする。それが当たり前で、心地よかったから続けていた。
だが、視界が他人に囚われていると、自分が泥まみれなのか清潔なのかが分からない。誰かに見せる自分があるから、他人に求められる。分かっていてできていないのは、ヒートの言葉が真実だからだ。
「酷い人に見てもいいけど、私は肯定も否定も言葉にしないよ。他者に偉そうに語って何様って思うかもだけど」
ヒートは砂糖入りのコーヒーで唇を湿らせた。
「線引きがあるんだ。私は皆に生きていてほしいからその術や、立ち回りは振る舞える。けど、考え方や信念はその人が集積するものだから」
「俺は…酷いとは思いません。干渉しすぎるのは、逆効果ですから」
「自然とその人の意識や生き方に引き結ぶのは自由だよ。けど、だからって責任を私に押し付けられても困るからね」
アルデスは何度かヒートの言葉に背中を押されたが、だからといって彼女を責めようとした過去はない。
ヒートが語るのは何か遠因があるからだろう。
アルデスは資料用のペンを撫でて、心を落ち着かせた。
「アルデス君はさあ、筆談とかしないの?」
「筆談ですか? したことないです」
「ふうん」
意味ありげな返答で、再びマグカップを傾ける。
「筆談、おすすめだよ。なんなら日記とかでもいいんじゃないかな」
「日記?」
「うん。私はさ、要領いい方じゃないと勝手に思ってるからこうして記して、残してるけど。方法はいくらでもあるよ。要は言語化することに意味がある」
ヒートは自分の持ち物を漁り、アルデスの前に一枚のノートを差し出す。
それを受け取ると、喉がなった。
無地の何の変哲もない表紙なのに、緊張する。新しいことに踏み出すといつも失敗がよぎるのはヒートの言う集積なのだろうか。
頭を振ると、彼女の穏やかな目線とぶつかった。
「まずはやってみるのがよーし! 書き方とか教えるからさ! レッツ、日記ライフ!」
能動的なヒートの言葉に逆行できない。
本音が出かけたところで、言葉が喉の奥に引き摺り込まれる。
はじめにアルデスを襲ったのは恐れだ。保管方法はじっくり考えればいい。しかし万が一それが見つかった時、どう弁舌すれば周囲は納得するのか。
ヒートにすすめられたペンの進みは悪い。
ここに記すことは、違う誰かを巻き込み不幸にする。虹の力を想起して、食いしばる歯を見せないようにするのが精一杯だった。
ーーーー
「やっぱ……こうなるよなあ」
日記を勧められて、三日ほど経った。
筆が進まないのは分かりきっていた。本音を必死に押し殺すのも苦痛である。
くしゃくしゃと自身の金髪を握る。言葉がでないのではなく、形にすることが恐怖だった。
考えていても、堂々巡りだ。次第に諦めて、今いる自室を出ようとした。
「あ…ユキネ?」
「こんにちは。マイマスター」
マイマスターという単語はジーナに吹き込まれたらしい。
ユキネもしっくりきたから使用していると思うと、今更やめてほしいとも断れない。
彼女の純心な瞳を見つめていると、不思議と雑然とした感情がまとまった。
「ありがとう。掃除してくれるの?」
「はい。アイギス班で残っているのはアルデス様だけです。念入りにやりたいので失礼ながら後回しに」
「いやいや。畏まらなくていいよ。いつも助かるよ! ありがとう」
ユキネは見返りを求めない。他者への献身と尽力が彼女の報酬なのだ。
言葉にしなくても、自然と満足している。
一抹の寂しさはあるが、本人が納得しているのなら何も言う必要はないだろう。
ユキネは部屋に入り、早速掃除を始める。
丁寧に埃を払っていると、机の上に差し掛かったようだ。静かになったユキネに、アルデスは首を傾げた。
「アルデス様。日記を書いているのですか?」
「うん。先輩に勧められてさ。頭を整理できて客観的に物を見れるんだって」
「ヒート様ですね。確かにあの方らしいお言葉でございます」
「そこまで分かるか……」
勘がいい、というよりよく人を見ている。
推測でしかないのに図星までいくのはアルデスも驚いていた。
底冷えする感覚を苦笑で誤魔化しつつ、会話を続ける。
「始めたはいいけど、何を書けばいいか分からないんだ。結局、考えるだけでアウトプットは時間がいりそう」
「時間は有限ですが、有限だからこそ価値があるものです。価値は摩耗させるものだと、レヴォ様がおっしゃっていました」
「……そうだね」
思わず、感情が表面化する。沈痛な面持ちをユキネが見逃すはずがない。
「アルデス様? 何か、抱えていることがあるのですか?」
「いや、違うんだ。ちょっとまた別の考え事だよ」
「アルデス様。それも違うと思います」
はっきりとユキネに否定されて、アルデスは体が固まる。
「アルデス様は、私を肯定してくれました。貴方の前では本物の私を見せていいと。私はたくさんのことを学び、集積してきました。今はちゃんと自分の引っ掛かりを言葉にできます」
「ユキネ……」
「アルデス様も私の前では、自分らしくいていいと思います。私は共有ができます。望むのなら内密に処理します。だから言葉にする事を躊躇わないで下さい」
そこまで言われてしまうと、彼女の厚意を無下にすることはできない。
渋面を作りながらも、思考は止めなかった。今、優先することは何か。
ユキネの表情は静謐だったが、こちらをジッと見つめている。考える暇は与えてくれなさそうだ。遂にアルデスは折れ、ぽつぽつとこぼし始めた。
「俺さ……言葉にするのが怖いんだ」
「どうして怖いと感じるのですか?」
「なんというか…後戻りができなくなる予感がしてさ。やっぱりどこかでセーフティな思考が勝手に働いて、ブレーキをかけてるのかも」
「かけるのは悪いことではないと思います。しかし、アルデス様」
ぐいっと、ユキネは両頬を手のひらで持ち上げる。
「最近笑えていますか?」
アルデスは息を呑んだ。
感じたことのない緊張感が背筋に走る。
ラーラの一件から、孤児院のことまで。アルデスは自分を、はたまた他者を幸せにした記憶はあるだろうか? 否、そんなものはない。
知らないうちに知らない誰かをアルデスは傷つけていて、人生を踏み躙り、不幸を増殖させている。幸せを与える立場など、今の自分は傲慢がすぎる。だから仲間に寄り添ってもらえるだけありがたいと思っていた。
こんな時にも仲間に感謝するだけで、自分を気遣う素振りはない。
目の前のユキネは言外にそれを伝えようとしていた。
「ないかも」
「そうでしょう。アルデス様のことは私が一番知っています」
「…そうなの?」
「だから私はそんなアルデス様も受け入れたい」
先ほどの言葉はなかったかのように、ユキネは両手を合わせた。
「この日記はアルデス様が必要だから書こうとしたものです。今のアルデス様が頼れるのが人でなく自分自身なら、筆を執るべきです」
なぜ書くのか。曖昧な目的のまま、真っ暗な闇に手を伸ばしても望んだ答えは返ってこない。
なら光がある方に手を伸ばせばいい。そんな単純で明快なこと、すぐに分かれば苦労はしない。こうして視界が狭まったとき、いつも隣にいるのはやはり仲間の存在なのだ。
「ユキネ…そうだね。俺は誰かを救う前に、自分を救わなきゃ」
アルデスは両手で顔を覆った。
自分のやること、その方針がはっきりしたと思う。
息を吐いた。長く、溜まったものを綺麗に排出するような吐息だった。
ゆっくりと前を向く。
一瞬、ユキネの頬が綻んだ気がした。こんな自分で笑顔になってくれるのなら…そう思うと自然と頭が回る。
アルデスは日記と向き合うように、机へと体を向けた。
____
「?」
こうして、物語は幕を開ける
「これは…アルデス様の?」
誰もが陥る絶望の残響が
「日記…?」
鳴り響く
「これは…」
望まないまま開いたページが
「VICE……?」
物語に結末を齎す
next…
Road of Requiem
『 人理冠絶篇 』