「やはり貴様でしたか。私にはその動機はほとほと理解できませんね」
入り口からハルフリーダが現れる。
白銀の鎧、切り揃えた美しい銀髪。兼ね備えた美貌も、今は怒りと軽蔑に染まりきっていた。
「何故、分からぬのです。この世に"平等な幸福"をもたらすのはVICE。より強き力が強き者を圧倒し、弱者は平穏を享受できる。例え歪んだ見方が席巻しようと、それは見方に過ぎないのです」
「それはVICEでなくともできることだろう。何故もっと相応しい場所を見つけようとしない」
「私がVICEをもっとも相応しい場所と判断したからです。人並みの幸福を、平等に得られる。それは私が幼き頃に失い、志した世界の本質。VICEにはそれができる力がある」
何を経験すれば、彼女はVICEをそのような組織とみられるのだろう。氷極は問い掛ける気持ちを抑える。彼女が信じる目的は、確かに氷極とは近いラインにあった。
これから続く明日が平穏であるように……彼もその願いをこめて力を振るったものだ。
だからこそハルフリーダの言葉が氷極に与える影響は大きかった。
「E5リーダー氷極。何故、貴様はKRの正義と在り方を疑わないのです。具体的な未来図も描かず不明瞭な未来に固執するのです。貴様はその空虚な在り方で何を掴むのですか」
ハルフリーダは氷極を試すように発問した。
それは今まで彼が考えてきたことだった。様々な出来事に触れるたび、自分の空白を実感していた。
大した目的がないから組織に準じる。
準じるだけならば、未来を執拗に追う意義もない。だが、VICEによって奪われる未来を、明日を守る戦いは肯定できたのだ。
氷極は対峙するハルフリーダに、思いの丈をぶつけた。
「俺は組織が築く未来を信じ抜く。道が交わらなくとも、想いも目的地も……お前とは近い。だが俺はこちら側で、自分の信じた未来への一歩を"丁寧に"歩んでいく。掲げる正義が違うのなら、刃に乗せて語り合おう」
「答えになっていませんね。信じ抜いたところで、具体性がなければ中身などない」
「俺の存在はそれで充分だ。中身など爪痕を残す連中が持っていればいい。元より空虚な俺には無縁だ。だがそんな俺でも組織の一員、何より人間として、繋げる役割くらいは果たせるはずだ」
ハルフリーダは憐れむように瞳を閉じた。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「ならばいいでしょう。望み通り、刃で語りますっ!」
掛け声と共にハルフリーダが抜剣すると、突然刀身が炎を帯びる。
その炎は勢いもなく、殺傷能力は低い。
だが彼女の剣が急に錆色に変色したかと思うと、刃の周囲に溢れた錆の破片が舞い出した。
「あれは、刃が"腐食"しているのか?」
戦闘態勢を取る氷極とシュエ。
その不可思議な光景に、彼は面食らっていた。
シュエはハルフリーダの剣を見て、何か合点がいったようにその名を語る。
「初めて見たの。"ロービーグスの慧剣"か」
ハルフリーダはニヤリと口角を上げた。
「その通りです。剣を燃焼させ発生した錆の破片は、触れたものをことごとく錆び付かせます。基本は武器や防具に効力を発揮しますが、長時間触れれば人体にも害はあるでしょう」
「いや、そこまでの知識はなかったんじゃが……。氷極よ。どうやらそういうことらしいぞ」
「あぁ。カラクリが分かればこっちのものだ」
ハルフリーダは剣を握る手を震わせながらプルプルと恥辱に赤面した。
「な、なななななっなぁあ!! 私を騙したなぁあ!! よくも! おのれェ、KRめ!」
怒りのままに剣へと手を添え、その手のひらから風が展開される。
「ボレアス(風よ)!」
周囲を風が包み込む。剣から発生した錆の破片が散布され、常に破片が一帯の宙を舞う空間が形成された。
「なんと……! 人体に害があるとはいえ、ぬしもそれは例外ではなかろう! ハルフリーダよ!」
「それが、どうしたというのです。私は、VICEが作り上げる幸福のために、平穏のために! この身を砕き、粉となっても戦う所存!」
その瞳には覚悟があった。氷極たちと同等か、それ以上のものか。
譲れぬものの為に戦う。両者の間にあったのは、それだけだった。
ハルフリーダは腰を引き、剣を首の横に構えた。
「騎士団の名の下に、貴様たちを今ここで"浄化"するっ!」
ーーー
氷塊が駆け、雷が跳ねる。
近接への対応力に優れた氷極は、遠慮なく異能を叩き込む。
しかし、ハルフリーダの剣術はその力を上回る。何より林の時の鈍さが嘘のような身のこなしであった。
氷極は幾重もの氷柱を生やし攻撃する。素早く回避されるが、洋館の壁際まで追い詰め跳躍したところを氷極自ら雷と尖った氷をまとう拳を見舞う。
ハルフリーダは風の魔法を要領よく行使し体を回転させ避けると、凄まじい膂力で脇腹に刀身を叩き込む。
しかし剣が軌道を描く寸前、シュエが氷極の体を掴みその一撃を回避した。
二人は空を切ったハルフリーダから間合いを取り着地した。
「今は約束のことは考えるな。元よりあれもわしがお主を裏切った時点で失効じゃ」
「その方が助かるな。あれは一人じゃ手に負えない」
同じく着地したハルフリーダは二人の起こりを待ち構えている。
氷極はシュエに軽口のように言葉を飛ばした。
「俺についてこれるか?」
「なんの。誰に言うておるのじゃ」
瞬間左右斜めに二人の姿が失せた。
ハルフリーダは同時の動きにシュエへの認識が遅れた。氷極は脚に槍のような鋭利な氷を作り、力任せに薙ぐ。
ハルフリーダとの衝突に堪えきれず氷の半分が割れると、もう半分を再び脳天から叩きつける。相当な重量の氷に、歯を食いしばり耐えるハルフリーダ。氷極は脚部分のみを氷から離すと、懐に飛び込み雷を帯びた手刀を袈裟懸ける。
「ボレアス(風よ)!」
だがハルフリーダが纏った強風に、氷極は吹き飛ばされた。
攻撃は続く。今度は背後よりきたシュエがハルフリーダに拳を振るう。なんとかそれを察知し避けたが、その衝撃波は先ほどの風魔法以上だった。
そこからシュエの蹴りと拳の連打が始まる。ハルフリーダは剣で捌くが、連打の正確性と一つ一つの威力に押し負け劣勢。
負けじと隙をぬって剣を振るうが、シュエに刃は届かず。
遂には氷極の合流も許す。防御一辺倒のハルフリーダに蹴りを叩きつけた。氷を帯びた一撃は頑丈な鎧の破片を飛ばす。
すぐさま体勢の崩れたハルフリーダの懐にシュエが飛び込んだ。
シュエの拳には先ほどの氷極の打撃にまとっていたものと同じ、氷と雷が帯びる。ハルフリーダはモロにそれを食らい、洋館の壁にまで衝突した。
「……ふむ。お主との連携も悪くないの」
「シュエの対応力が早いんだ。一言も拳に氷と雷を付与するって言っていないのに、一瞬で順応したな」
シュエは手を見る。既に氷も雷も霧散しており、影響もなさそうだった。
それを微笑んで彼女は鼻を高くした。
「当たり前じゃ。武芸ならば、深く通用しておる。朝飯前よ」
パラパラと舞う瓦礫の中から、ハルフリーダが姿を見せる。
あまりにも冷徹な表情は戦いへの集中力がうかがえる。頭から血を流しながらも、体にはあまり響いていないようだった。
「流石、と言っておきましょう。私の対応力を超える武術とは初めてまみえました」
「褒め言葉として受け取っておこう。それで、まだ続けるならわしらは構わんぞ」
ハルフリーダはそれでも動じなかった。
数的な有利不利など言うまでもない。互いに乗り越えた死地の数も多いはずだ。その経験は、何よりもこの状況を語っている。
何も言葉を発さない彼女に、シュエは違和感を覚えた。
「……分かってはいました。貴様たちは素人ではない。流石に無理はあると」
ハルフリーダはその台詞を皮切りに悠然と歩み進めた。
「ですが、私がここまで"捨て身"になった理由を理解できていないようですね」
「何を……?」
シュエの隣で突然何かが落ちる音がした。
視線を向ければ、氷極が膝をつき苦しそうに喉を抑えて息を荒くしている。
忌々しげに周囲に舞う破片を彼女は睨んだ。
「"ロービーグスの慧剣"……!」
「やはり、氷極の体力は消耗していたようですね。抑えて戦っていたのも、そういうことでしたか」
「……確かにわしはぬしたちと合流するまでの経緯は話した。それ故の判断か」
「えぇ。本来は自分が認め、負けられない戦いでしかこれは行使しません。しかし今回は様々な条件が重なっていました。だからこそです」
このままでは氷極は錆に当てられ、最悪死も考えられる。だが背負って逃げる余裕はなく、彼を庇いながら戦うこともできない。
氷極は逡巡するシュエへと息苦しさを無視して喋る。
「俺のことは、いい! 足手纏いになるならシュエだけでも逃げろ!」
「そんなこと言っている場合ではなかろう。お主を捨てて敵に背を向けるなどできるものか」
だが自分も他人事ではないのは確かだ。錆の巡りが体力の量で決まるのなら、長期戦などもってのほか。苛烈になる戦闘の中、巻き込まれるのは氷極だ。
ハルフリーダが二人の前にまで来る。
その無機質な眼光を、無造作に浴びせた。
「残念ですが、私が一手を上回りましたね。では、死ね……!」
ハルフリーダが剣を振り上げる。
氷極は自分の体力のなさを呪う。しかし、打つ手はもう何も見つからない。
俺が死ぬのはいい。だが、せめてシュエだけは……!
その強い衝動のまま、能力を発現させようとした時。
今まで静かだった襟の通信機から声が聞こえてきた。
「"氷極"さん。そこの獣人さんと一緒に伏せてください」
反射的だった。無我夢中に、シュエの体を腕で地に伏せさせると、次の瞬間ハルフリーダの剣に強烈な火花が散った。
「なんですっ!?」
間髪入れず、遠くから銃弾が何発もハルフリーダを襲う。それを捌くうちにどんどんと後退していった。
「敵の増援、ですかっ!」
「そのとーーりっ!!」
ハルフリーダの頭上から影が振ってくる。
その強烈な衝撃で、地面に大きな穴が開いた。
ゆっくりとその主が立ち上がると、華やかな笑みを氷極に向けた。
「お待たせ! 氷さん!」
「スーザン!!」
「ボロボロじゃん! 後は任せて!」
「だが、お前一人じゃ……」
「私が一人だと思う?」
ハルフリーダの左から今度は炎の刃が軌道を走らせた。
「"螺天光"!!」
赤髪の少女が輝かしき白銀へと紅を閃かせる。
再びハルフリーダと氷極たちとの間合いが大きくなった。
「『紅』まで……!!」
「お待たせして申し訳ありませんわ。氷極」
涼しげな横顔が、凄まじく頼りに思えた。
ハルフリーダはこの状況を見て、口惜しそうに白い歯を噛み締めた。
「……ここまでのようですね。残念ですが、撤退させていただきます」
「待て、ハルフリーダ!」
「待つわけがないでしょう。では、私はこれで」
ハルフリーダは風と共にその場から消え失せた。『紅』は追撃をかけるべく、氷極が無事への安堵を伝え彼女を追った。
錆の景色が晴れていき、登り始めた朝日が見える。
スーザンは氷極とシュエがまだ近い体勢であることをからかった。
「え〜なんかラブラブだね。なんかあったの? いでっ」
氷極は立ち上がりざまに、スーザンの頭へと弱々しく拳骨を落とす。
「そんな訳ないだろうが。必要だからやったんだよ」
「ふふ。相変わらず仲良しですね」
そこに片目を隠した瞑目の少女が現れる。
肩に掛けているギターバッグのようなものには恐らく愛用の銃が入っているのだろう。
「ね? ソフィ。氷さんは心まで冷たいヤバいやつなの」
「たんこぶできたら大変ですもんね」
「そーそー」
二人が自分たちの世界に入っていくのを傍目に、シュエと氷極は差し込む光と心地よい朝の風と共に最後の言葉を交わす。
「ふむ。目的は達したようじゃの」
「あぁ。仲間と合流できた。それもこれも貴方のおかげだ、シュエ」
「……色々とあったがの。感謝される程のことはしていない」
氷極はまばゆく洋館の庭を照らし始めた陽を避けるように、シュエの方へと体の向きを改めた。
「ありがとう。俺はシュエから本当に多くのもの与えられた。それをこれから死ぬまで忘れることはない」
「大げさよのぅ。まぁ、わしもお主との旅路は悪くなかった。与えられたのはお主だけではないのじゃ」
そういうとシュエの表情も次第に明るくなっていった。
そんな彼女へおもむろに彼は手を差し伸べる。
「最後かもしれないからな」
彼が求めたのは握手だった。
シュエは気が緩んだように、氷極の手を取る。
やがてシュエは氷極へと背中を向けた。
「さらばじゃ、氷極よ。またいつか敵としてではなく、別の形で再会しようぞ」
「あぁ。もちろんだ」
そうして足取りを進めようとした時、シュエは何かに気づいたように立ち止まり、氷極へと振り向いた。
「そういえばお主にわしの本名を伝えていなかったの」
氷極は一瞬首を傾げるが、今までシュエという言葉が偽名であったことにようやく気づく。
シュエはそれをからかうように笑み、本名を告げた。
「わしの名は『フーガ』。いずれまた会おう」
そういって彼女は家の屋根を軽快に飛び跳ね、消えていく。それを見送った後、ソフィとスーザンが氷極の元へと来た。
「さ、帰ろ。私早起き苦手だから、はやく寝たい〜」
「分かってる。早く帰るぞ」
レヴィアタンへと帰還する為に足を向ける二人に、ソフィが制止をかける。
「氷極さん。そういえばさっきの獣人のお方は?」
「あぁ。フーガという俺の恩人だ。感謝してもしきれないものを貰った」
「…………あらあら。そうなんですか。これは報告しなければなりませんね」
妙な間があったことに、氷極とスーザンは頭に疑問符を浮かべた。
そこから三人はレヴィアタンへと帰還する。
その道中にも氷極は思いを馳せた。
自分が今まで見てきた世界は一部分であった。故に狭まった視野、それを指摘したのは敵であるはずの存在。
いつ何が起こるか、どんな出会いがあるか分からない。
だが、氷極の中でこの出会いはきっと忘れることはない。短くも濃い旅路の記憶は、きっと永遠に頭に焼き付くことだろう。
自らに訪れる結末、彼が信じたものの結末。
その時まで。
『完』