雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

THE Empty URL まとめ

 

 


プロローグ

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/004558

 

 

 

一話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/004645

 


二話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/004742

 


三話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/004816

 


四話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/004906

 


五話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/004936

 


六話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/005010

 


七話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/005041

 


最終話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/005145

 

 

 

番外編 Side:Fugue

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/22/005309

THE Empty Side: Fugue

 


 結論から。わしは謹慎処分で済んだ。

 わしが属する呀の派閥の頭領と、聖職者のようないでだちの男が接触していたと聞く。

 恐らく『狂』の派閥の騎士団の頭領じゃろう。ハルフリーダを思い出す。

 気になってどういう経緯かと訊けば、命令違反であるが重大ではないということ。氷極とハルフリーダの牢獄での会話を盗み聞いていたが、脚色はあったのか、あの騎士団の頭領が一計を案じ寛容な処置となったのか。

 何より免れた原因は、氷極から得たE5の活動内容などを報告できたことか。その意味では命令を遂行しているとも言える。

 ドルゾートの計画を阻害した裏切り者と、後ろ指を差される覚悟も意味はなくなった。

 安堵感もある。が、罪悪感や責任感を感じない訳がない。処遇はどうあれ、裏切り行為には変わらぬのだ。

 しかし人の情とは容易きもの。

 わしを信じてついてきた者たちに合わせる顔がないという沈鬱を、同胞たちは拭い去ってくれた。じゃが完全に消えたわけではない。組織への裏切りも、大きく自分に反している。

 それでも氷極の顔はチラつく。不思議と責任転嫁も、憎しみも湧かない。

 あの短き旅路をわしは自然と思い出していた。

 


ーーー

 

 

 

 わしが氷極を拾ったのはウェス洋に差し掛かったあたりの海域じゃった。

 わしへの命令は"E5リーダー氷極の捕縛、情報収集、及び殺害"。水面下で進行していた計画のようで、当日に言い渡された。

 船で氷の塊を回収し、仲間が駐在するゲオメトリアから離れる。パンタシアについたのは、翌日の夕方じゃった。

 その間にわしは氷極から漂う異臭を感じておった。経験のないその歪さに、わしの食指が大いに動いたようにも思う。

 眠り薬を投薬させ、そのまま危険な荒野へと移る。旅人であることを装い、意識のある氷極と接触を果たした。

 話せば話すほど、愚直な男じゃった。自分の決めたこと、言われたこと、それを曲げない心意気。

 強い使命にも駆られており、わしは試すように案内を所望する氷極に取引を持ち掛けた。

 そうなれば「選ぶ余裕はなし」と躊躇いなくわしの代わりに戦うことを提案する。

 阿呆の考えることじゃった。

 何より組織の未来を信頼しておった。その盲目さはわしの中で引っ掛かる。逆にそんな気負いが自由意志を奪っているとも感じた。

 色の薄い表情からは想像もできないほどの未来への意識。この時のわしは、この若者の未来を逆に案じ、固執する理由に興味を抱いた。

 


 次の日には移動していた。

 わしも氷極とは立場が異なる。数ある場所からあえて険しい道を選び続けた。あわよくば捕縛、または死に至ればという暗い感情もあった。じゃが氷極はそれを乗り越え、難癖すらつけず、わしに着いてきた。取引で結んだ約束も律儀に守った。

 帰るため、というのは本心じゃろう。それは決して度量の広さではないことも然り。気になり訊けば、その声色には強い信頼が帯びておった。

 真っ直ぐな心に、わしは余計にこの若者が分からなくなった。その息苦しさから早く解放されたかった。何故ならわしの軸には、既に氷極の面影が入り込んでいたからじゃ。

 


2.5

 夜になり野宿する最中、ついに組織の話となった。氷極に踏み込めば、VICEへの憎しみを語った。わしは複雑な思いであった。

 じゃが、情報を引き出す為に話は合わせなければならぬ。VICEへの感情を問われた時、わしは秘め続けた疑問を吐露していた。

 それをするほど、氷極との付き合いは悪くないと気が緩んでいたのじゃろう。

 


3

 氷極が放っていた異臭の正体が判明した。

 それは"善性"という呪いじゃった。元の自らと混じり歪となり、過剰な庇護欲に囚われてしまう。確かに呪いとしては一級品じゃ。

 その後のスタンスを聞いた時、わしはその寂しき生き様を憂いた。

 "結果"ならば、それを振り返らず、死であっても尊重し受容すると。呪いで得た人格と言っていた。なんと愚かなものよ。呪いとはここまで人を歪ませるのか。いや、元より氷極自身が歪んだ器だったのか。妙に納得したわしは愉快だった。そんな自分も滑稽じゃった。もうわしの心には氷極が浸潤しておる。

 

 

 

3.5

 そこで欲しい情報を氷極は開示した。隠し続けるのは関係に響くと判断し、間接的にわしの立場を伝える。激怒するかと思えば、氷極の表情は静心を帯びておった。しまいには立場への疑問はないのかと氷極が問うた。

 笑ってしまった。それは組織であれば平等であるものだ。やはり真っ直ぐじゃった。何故か、そんな氷極にわしは安堵していた。

 本人はどこか浮かない顔をしていたがの。

 

 

 

 翌日には荒野を抜けた。道らしきものが見えた頃、氷極が人を見つける。切迫していた故その人影へと近づけば、わしと同じVICEの構成員が密会していた。内容は氷極とわしの立場に深く関わるもの。焦りは生じる。このままでは氷極は人里へと急ぐじゃろう。

 同時にわしは己の任務を想起した。氷極との時間に現を抜かしておった。

 じゃが、約束は果たさねばならぬ。立場と自分。選択に揺れたが、動揺する氷極を導くとわしの進退は決まった。故に構成員に気づかれた後にわしは一計を案じた。

 

 

 

 やはり、夕餉に忍ばせておいて正解じゃった。携帯している特殊な毒で、氷極の捕縛に成功する。だがわしは息苦しさも抱えておった。

 仮にも氷極の信頼を裏切ったのじゃ。立場を優先したが、罪悪感はある。何よりこの行動は自分に反した行いじゃ。だが脳裏によぎる同胞たちや組織がきっかけとなった。守るべきものがある。信じるものは、わしにもある。複雑な心理のまま、先ほどの構成員と合流し氷極の身柄を渡す。じゃがわしはその場に残った。やはり一度覚えたモヤを払拭せねばならん。氷極が監禁された牢獄へとわしは意を決して踏み込んだ。

 

 

 

 許されてしまった。この男に怒りも哀れみもないのかと呆れ返った。優しさも気遣いすらも真っ直ぐで、わしはより自分が惨めになる思いであった。殺したはずの氷極への信頼が再び浮き上がる。故に、未来への固執をやめぬ氷極に視野を広げるべきだと助言した。これ以上問答すれば、わしは今以上に絆されてしまう。その危機を察し、その場を去る。

 

6.5

 女騎士との会話。全てが筒抜けであった。

 牢獄への扉を開けば、相容れない価値観が摩擦を繰り返していた。これが本来の形と距離なのじゃ。わしはどこか沈んだ気持ちとなる。本物の冷酷さに、心は打ちひしがれた。女騎士……ハルフリーダの理念は、氷極に負けぬ歪さとも取れてしまった。

 


 ハルフリーダの脅迫に、氷極は思い悩んでいた。

 わしの胸が痛むほどに、その選択を苦痛としておった。その残酷さにわしは氷極が負けじと抵抗することを願う気持ちさえあった。

 氷極は言った。前向きに検討すると。言い切った訳ではない。じゃがわしの心は安心と同時に感謝に溢れていた。この状況の元凶となったわしの立場をいまだに重んじる。そのまっすぐな温情は、わしに選択の余地を与えたのじゃ。

 


8.5

 わしは氷極の逃亡を支援した上、あえて機密性の高い情報の持ち出しを黙認した。許されるべきではない。じゃが、重い罰を覚悟した。信じるものより、自分を優先した。そのエゴは、人である限り尽きぬもの。

 それも長くは続かぬ。白銀の断罪者はその裏切りを糾弾するようにわしらへと刃を向けたのじゃ。

 

 

 

9

 氷極はハルフリーダとのやり取りの中で確かに成長していた。わしは今までの自分の行いが、その導いたという事実で拭われていく気もした。

 ハルフリーダとの戦闘が始まる。手出ししなければ処罰は軽くなるじゃろう。しかし手を出してしまった。あまつさえ同胞を傷つけた。その過ちはわしを追い詰めたが、やがては退けることに成功した。

 氷極は仲間と合流する。わしは用済みじゃった。しかし氷極は別れ際にも、感謝を言った。当たり前のことじゃ。けれどそれが何よりも心を軽くした。自分にこれから訪れる受難を想像しながら、わしは本名『フーガ』を告げてその場を後にした。

 

 

 

ーーー

 


 わしが氷極に"シュエ"と名乗った理由。

 それは出会いであった。

 船で氷極が通過するであろう海域で待っていると、そこに氷塊が西へと飛んでいく。わしが視認し、追いかけようとした時、その光景に思わず手が止まった。

 美しい、流星のようであった。周囲には砕けた氷が雪の様に舞い散る。その幻想的な景色は、わしの心を奪い去るには容易であった。

 氷極が目を覚まし名を聞かれた時、咄嗟にその光景を思い出したのじゃ。

 


 美しくも儚い、今にも消え入りそうな一時の銀雪を。

 わしはきっと、忘れることはない。

 

 

 

『終』

THE Empty 最終話

 

 

「やはり貴様でしたか。私にはその動機はほとほと理解できませんね」

 入り口からハルフリーダが現れる。

 白銀の鎧、切り揃えた美しい銀髪。兼ね備えた美貌も、今は怒りと軽蔑に染まりきっていた。

「何故、分からぬのです。この世に"平等な幸福"をもたらすのはVICE。より強き力が強き者を圧倒し、弱者は平穏を享受できる。例え歪んだ見方が席巻しようと、それは見方に過ぎないのです」

「それはVICEでなくともできることだろう。何故もっと相応しい場所を見つけようとしない」

「私がVICEをもっとも相応しい場所と判断したからです。人並みの幸福を、平等に得られる。それは私が幼き頃に失い、志した世界の本質。VICEにはそれができる力がある」

 何を経験すれば、彼女はVICEをそのような組織とみられるのだろう。氷極は問い掛ける気持ちを抑える。彼女が信じる目的は、確かに氷極とは近いラインにあった。

 これから続く明日が平穏であるように……彼もその願いをこめて力を振るったものだ。

 だからこそハルフリーダの言葉が氷極に与える影響は大きかった。

「E5リーダー氷極。何故、貴様はKRの正義と在り方を疑わないのです。具体的な未来図も描かず不明瞭な未来に固執するのです。貴様はその空虚な在り方で何を掴むのですか」

 ハルフリーダは氷極を試すように発問した。

 それは今まで彼が考えてきたことだった。様々な出来事に触れるたび、自分の空白を実感していた。

 大した目的がないから組織に準じる。

 準じるだけならば、未来を執拗に追う意義もない。だが、VICEによって奪われる未来を、明日を守る戦いは肯定できたのだ。

 氷極は対峙するハルフリーダに、思いの丈をぶつけた。

「俺は組織が築く未来を信じ抜く。道が交わらなくとも、想いも目的地も……お前とは近い。だが俺はこちら側で、自分の信じた未来への一歩を"丁寧に"歩んでいく。掲げる正義が違うのなら、刃に乗せて語り合おう」

「答えになっていませんね。信じ抜いたところで、具体性がなければ中身などない」

「俺の存在はそれで充分だ。中身など爪痕を残す連中が持っていればいい。元より空虚な俺には無縁だ。だがそんな俺でも組織の一員、何より人間として、繋げる役割くらいは果たせるはずだ」

 ハルフリーダは憐れむように瞳を閉じた。

 そして、ゆっくりと息を吐く。

「ならばいいでしょう。望み通り、刃で語りますっ!」

 掛け声と共にハルフリーダが抜剣すると、突然刀身が炎を帯びる。

 その炎は勢いもなく、殺傷能力は低い。

 だが彼女の剣が急に錆色に変色したかと思うと、刃の周囲に溢れた錆の破片が舞い出した。

「あれは、刃が"腐食"しているのか?」

 戦闘態勢を取る氷極とシュエ。

 その不可思議な光景に、彼は面食らっていた。

 シュエはハルフリーダの剣を見て、何か合点がいったようにその名を語る。

「初めて見たの。"ロービーグスの慧剣"か」

 ハルフリーダはニヤリと口角を上げた。

「その通りです。剣を燃焼させ発生した錆の破片は、触れたものをことごとく錆び付かせます。基本は武器や防具に効力を発揮しますが、長時間触れれば人体にも害はあるでしょう」

「いや、そこまでの知識はなかったんじゃが……。氷極よ。どうやらそういうことらしいぞ」

「あぁ。カラクリが分かればこっちのものだ」

 ハルフリーダは剣を握る手を震わせながらプルプルと恥辱に赤面した。

「な、なななななっなぁあ!! 私を騙したなぁあ!! よくも! おのれェ、KRめ!」

 怒りのままに剣へと手を添え、その手のひらから風が展開される。

ボレアス(風よ)!」

 周囲を風が包み込む。剣から発生した錆の破片が散布され、常に破片が一帯の宙を舞う空間が形成された。

「なんと……! 人体に害があるとはいえ、ぬしもそれは例外ではなかろう! ハルフリーダよ!」

「それが、どうしたというのです。私は、VICEが作り上げる幸福のために、平穏のために! この身を砕き、粉となっても戦う所存!」

 その瞳には覚悟があった。氷極たちと同等か、それ以上のものか。

 譲れぬものの為に戦う。両者の間にあったのは、それだけだった。

 ハルフリーダは腰を引き、剣を首の横に構えた。

「騎士団の名の下に、貴様たちを今ここで"浄化"するっ!」

 


ーーー

 


 氷塊が駆け、雷が跳ねる。

 近接への対応力に優れた氷極は、遠慮なく異能を叩き込む。

 しかし、ハルフリーダの剣術はその力を上回る。何より林の時の鈍さが嘘のような身のこなしであった。

 氷極は幾重もの氷柱を生やし攻撃する。素早く回避されるが、洋館の壁際まで追い詰め跳躍したところを氷極自ら雷と尖った氷をまとう拳を見舞う。

 ハルフリーダは風の魔法を要領よく行使し体を回転させ避けると、凄まじい膂力で脇腹に刀身を叩き込む。

 しかし剣が軌道を描く寸前、シュエが氷極の体を掴みその一撃を回避した。

 二人は空を切ったハルフリーダから間合いを取り着地した。

「今は約束のことは考えるな。元よりあれもわしがお主を裏切った時点で失効じゃ」

「その方が助かるな。あれは一人じゃ手に負えない」

 同じく着地したハルフリーダは二人の起こりを待ち構えている。

 氷極はシュエに軽口のように言葉を飛ばした。

「俺についてこれるか?」

「なんの。誰に言うておるのじゃ」

 瞬間左右斜めに二人の姿が失せた。

 ハルフリーダは同時の動きにシュエへの認識が遅れた。氷極は脚に槍のような鋭利な氷を作り、力任せに薙ぐ。

 ハルフリーダとの衝突に堪えきれず氷の半分が割れると、もう半分を再び脳天から叩きつける。相当な重量の氷に、歯を食いしばり耐えるハルフリーダ。氷極は脚部分のみを氷から離すと、懐に飛び込み雷を帯びた手刀を袈裟懸ける。

ボレアス(風よ)!」

 だがハルフリーダが纏った強風に、氷極は吹き飛ばされた。

 攻撃は続く。今度は背後よりきたシュエがハルフリーダに拳を振るう。なんとかそれを察知し避けたが、その衝撃波は先ほどの風魔法以上だった。

 そこからシュエの蹴りと拳の連打が始まる。ハルフリーダは剣で捌くが、連打の正確性と一つ一つの威力に押し負け劣勢。

 負けじと隙をぬって剣を振るうが、シュエに刃は届かず。

 遂には氷極の合流も許す。防御一辺倒のハルフリーダに蹴りを叩きつけた。氷を帯びた一撃は頑丈な鎧の破片を飛ばす。

 すぐさま体勢の崩れたハルフリーダの懐にシュエが飛び込んだ。

 シュエの拳には先ほどの氷極の打撃にまとっていたものと同じ、氷と雷が帯びる。ハルフリーダはモロにそれを食らい、洋館の壁にまで衝突した。

「……ふむ。お主との連携も悪くないの」

「シュエの対応力が早いんだ。一言も拳に氷と雷を付与するって言っていないのに、一瞬で順応したな」

 シュエは手を見る。既に氷も雷も霧散しており、影響もなさそうだった。

 それを微笑んで彼女は鼻を高くした。

「当たり前じゃ。武芸ならば、深く通用しておる。朝飯前よ」

 パラパラと舞う瓦礫の中から、ハルフリーダが姿を見せる。

 あまりにも冷徹な表情は戦いへの集中力がうかがえる。頭から血を流しながらも、体にはあまり響いていないようだった。

「流石、と言っておきましょう。私の対応力を超える武術とは初めてまみえました」

「褒め言葉として受け取っておこう。それで、まだ続けるならわしらは構わんぞ」

 ハルフリーダはそれでも動じなかった。

 数的な有利不利など言うまでもない。互いに乗り越えた死地の数も多いはずだ。その経験は、何よりもこの状況を語っている。

 何も言葉を発さない彼女に、シュエは違和感を覚えた。

「……分かってはいました。貴様たちは素人ではない。流石に無理はあると」

 ハルフリーダはその台詞を皮切りに悠然と歩み進めた。

「ですが、私がここまで"捨て身"になった理由を理解できていないようですね」

「何を……?」

 シュエの隣で突然何かが落ちる音がした。

 視線を向ければ、氷極が膝をつき苦しそうに喉を抑えて息を荒くしている。

 忌々しげに周囲に舞う破片を彼女は睨んだ。

「"ロービーグスの慧剣"……!」

「やはり、氷極の体力は消耗していたようですね。抑えて戦っていたのも、そういうことでしたか」

「……確かにわしはぬしたちと合流するまでの経緯は話した。それ故の判断か」

「えぇ。本来は自分が認め、負けられない戦いでしかこれは行使しません。しかし今回は様々な条件が重なっていました。だからこそです」

 このままでは氷極は錆に当てられ、最悪死も考えられる。だが背負って逃げる余裕はなく、彼を庇いながら戦うこともできない。

 氷極は逡巡するシュエへと息苦しさを無視して喋る。

「俺のことは、いい! 足手纏いになるならシュエだけでも逃げろ!」

「そんなこと言っている場合ではなかろう。お主を捨てて敵に背を向けるなどできるものか」

 だが自分も他人事ではないのは確かだ。錆の巡りが体力の量で決まるのなら、長期戦などもってのほか。苛烈になる戦闘の中、巻き込まれるのは氷極だ。

 ハルフリーダが二人の前にまで来る。

 その無機質な眼光を、無造作に浴びせた。

「残念ですが、私が一手を上回りましたね。では、死ね……!」

 ハルフリーダが剣を振り上げる。

 氷極は自分の体力のなさを呪う。しかし、打つ手はもう何も見つからない。

 俺が死ぬのはいい。だが、せめてシュエだけは……!

 その強い衝動のまま、能力を発現させようとした時。

 今まで静かだった襟の通信機から声が聞こえてきた。

「"氷極"さん。そこの獣人さんと一緒に伏せてください」

 反射的だった。無我夢中に、シュエの体を腕で地に伏せさせると、次の瞬間ハルフリーダの剣に強烈な火花が散った。

「なんですっ!?」

 間髪入れず、遠くから銃弾が何発もハルフリーダを襲う。それを捌くうちにどんどんと後退していった。

「敵の増援、ですかっ!」

「そのとーーりっ!!」

 ハルフリーダの頭上から影が振ってくる。

 その強烈な衝撃で、地面に大きな穴が開いた。

 ゆっくりとその主が立ち上がると、華やかな笑みを氷極に向けた。

「お待たせ! 氷さん!」

「スーザン!!」

「ボロボロじゃん! 後は任せて!」

「だが、お前一人じゃ……」

「私が一人だと思う?」

 ハルフリーダの左から今度は炎の刃が軌道を走らせた。

「"螺天光"!!」

 赤髪の少女が輝かしき白銀へと紅を閃かせる。

 再びハルフリーダと氷極たちとの間合いが大きくなった。

「『紅』まで……!!」

「お待たせして申し訳ありませんわ。氷極」

 涼しげな横顔が、凄まじく頼りに思えた。

 ハルフリーダはこの状況を見て、口惜しそうに白い歯を噛み締めた。

「……ここまでのようですね。残念ですが、撤退させていただきます」

「待て、ハルフリーダ!」

「待つわけがないでしょう。では、私はこれで」

 ハルフリーダは風と共にその場から消え失せた。『紅』は追撃をかけるべく、氷極が無事への安堵を伝え彼女を追った。

 錆の景色が晴れていき、登り始めた朝日が見える。

 スーザンは氷極とシュエがまだ近い体勢であることをからかった。

「え〜なんかラブラブだね。なんかあったの? いでっ」

 氷極は立ち上がりざまに、スーザンの頭へと弱々しく拳骨を落とす。

「そんな訳ないだろうが。必要だからやったんだよ」

「ふふ。相変わらず仲良しですね」

 そこに片目を隠した瞑目の少女が現れる。

 肩に掛けているギターバッグのようなものには恐らく愛用の銃が入っているのだろう。

「ね? ソフィ。氷さんは心まで冷たいヤバいやつなの」

「たんこぶできたら大変ですもんね」

「そーそー」

 二人が自分たちの世界に入っていくのを傍目に、シュエと氷極は差し込む光と心地よい朝の風と共に最後の言葉を交わす。

「ふむ。目的は達したようじゃの」

「あぁ。仲間と合流できた。それもこれも貴方のおかげだ、シュエ」

「……色々とあったがの。感謝される程のことはしていない」

 氷極はまばゆく洋館の庭を照らし始めた陽を避けるように、シュエの方へと体の向きを改めた。

「ありがとう。俺はシュエから本当に多くのもの与えられた。それをこれから死ぬまで忘れることはない」

「大げさよのぅ。まぁ、わしもお主との旅路は悪くなかった。与えられたのはお主だけではないのじゃ」

 そういうとシュエの表情も次第に明るくなっていった。

 そんな彼女へおもむろに彼は手を差し伸べる。

「最後かもしれないからな」

 彼が求めたのは握手だった。

 シュエは気が緩んだように、氷極の手を取る。

 やがてシュエは氷極へと背中を向けた。

「さらばじゃ、氷極よ。またいつか敵としてではなく、別の形で再会しようぞ」

「あぁ。もちろんだ」

 そうして足取りを進めようとした時、シュエは何かに気づいたように立ち止まり、氷極へと振り向いた。

「そういえばお主にわしの本名を伝えていなかったの」

 氷極は一瞬首を傾げるが、今までシュエという言葉が偽名であったことにようやく気づく。

 シュエはそれをからかうように笑み、本名を告げた。

「わしの名は『フーガ』。いずれまた会おう」

 そういって彼女は家の屋根を軽快に飛び跳ね、消えていく。それを見送った後、ソフィとスーザンが氷極の元へと来た。

「さ、帰ろ。私早起き苦手だから、はやく寝たい〜」

「分かってる。早く帰るぞ」

 レヴィアタンへと帰還する為に足を向ける二人に、ソフィが制止をかける。

「氷極さん。そういえばさっきの獣人のお方は?」

「あぁ。フーガという俺の恩人だ。感謝してもしきれないものを貰った」

「…………あらあら。そうなんですか。これは報告しなければなりませんね」

 妙な間があったことに、氷極とスーザンは頭に疑問符を浮かべた。

 そこから三人はレヴィアタンへと帰還する。

 その道中にも氷極は思いを馳せた。

 自分が今まで見てきた世界は一部分であった。故に狭まった視野、それを指摘したのは敵であるはずの存在。

 いつ何が起こるか、どんな出会いがあるか分からない。

 だが、氷極の中でこの出会いはきっと忘れることはない。短くも濃い旅路の記憶は、きっと永遠に頭に焼き付くことだろう。

 


 自らに訪れる結末、彼が信じたものの結末。

 その時まで。

 


『完』

THE Empty 七話

七話

 


 "VICEが作り上げる平穏と幸福"。

 あまりにも矛盾していて、歪んだ目的に氷極は呆気に取られた。

 すぐさま、心の底から怒りがこみ上げる。

「……分かってはいる。敵にも多様性があることは。だがお前の言っていることは、理想論にもならない。現実から目を背けた戯言だ」

「そのような意見もあるでしょう。ですが私も貴様と同じく信じた道を行くだけです」

「それが、多くの人間を踏みにじり、殺していい理由になる訳ないだろう!?」

 張り上げた声に女騎士は気圧されず、むしろ涼しげに鼻白む。

「必要な道程です。VICEに逆らうものに、真の平穏など与えられない。故にその結末は必然ですよ」

「そんな訳ない。その志が本質なら、根っこの部分は俺たちと同質なはずだ。何故そうなってしまったんだ」

 女騎士の視線は憐憫を帯びる。

 そして牢屋に一歩、強く踏み出した。

「一つ知見を与えましょう。人は目的を持ったきっかけと決して向き合ってはいけません。何故ならそれは自らの軸が歪んでしまうからです。そうなれば信じたものすら歪を帯びてしまう」

 現実逃避にも聞こえた。なのに、切り捨てることのできない事実でもあった。

 シュエとのやり取りで学んだはずだ。敵にも譲れぬ事情があると。けれど女騎士と氷極の価値観はあまりにも合致しない。正しく在る筈なのに、道を踏み外した破綻が所々に見られる。

 それがこの二人が共有した、お互いの世界だった。

 何より氷極は立場の違いと、女騎士がそうある過程を考えた。歯車が噛み合えば、道は交わったかもしれない。シュエの言葉が、彼の心によく染み渡る。

 女騎士は呆れたように嘆息を吐いた。

「埒が明きませんね。話を戻しましょう。貴様が口を割らないのなら、こちらにも案があります」

「案だと?」

「取引をしましょう」

 VICEのいう取引に、まるで信頼が持てないことは思い知っている。氷極は無力感に苛まれながら、内容を待った。

「私たちはあの女性……シュエが貴様と行動していた事を認知しています。確認を取った限り彼女のそれは"命令違反"です。それだけでも重いですが我らは上位派閥。いくらでも脚色はできるでしょう」

 氷極は怒りを通り越して、一瞬言葉を発せなかった。

「……そんなの、ただの脅迫じゃないか。取引になっていない!」

「いいえ。組織として相応の処遇です。しかし貴様の情報次第でシュエは守られ、貴様のある程度の自由も保証される。断る道理はないはずですが」

 氷極は奥歯を噛み締め、彼女との会話を思い出す。自らの立場を誇りに思い、日頃から上に立つ者としての自覚を心掛けていた。その立場だからこその、彼女の悩みや感謝を氷極の一存で奪い去ることにもなる。

 諦めないという自らの反抗心か、それとも義理堅く人を想うシュエのためか。

 苦悩の末に、氷極は女騎士へと懇願した。

「…………すまない。考える時間をくれ。なるべく前向きにはなろう」

 声に力のない氷極をみて、女騎士は冷静に分析する。自分は尋問は不得手だ。自発的に吐かせようとしたが、この思惑は順調のようだ。既に氷極も陥落寸前だろう。

 そんな慢心が彼女を首肯させた。

「いいでしょう。時間を与えます。精々悩む事です」

 腰のマントを翻し、階段へと向かう。

 氷極はそんな女騎士を制止させた。

「待て。お前の名を聞かせろ」

「言ったところで何かあるのですか?」

「その鎧は騎士なのだろう? 名乗ることも規律の一つだと思うが」

 一理あり、と女騎士は思うと氷極に振り返る。

 手のひらを胸に当て、誇らしそうにその名を叫んだ。

「我が名はハルフリーダ。この白銀が貴様の凶兆となることを忘れるな」

 

 

 

ーーーー

 


 微睡みの中で氷極の天秤は揺れていた。

 信じてきた組織か、短くも同じ釜の飯を食ったシュエか。その間に体力も戻ってきてはいるが、能力と並行して脱出を行える程ではない。

 だからといって女騎士……ハルフリーダの前で時間稼ぎが通用するとも思わない。

 故に、彼の中でその選択が賢明だと判断し始めていた。

 次第に意識も落ちていく。暗い底に自らが傾いている感覚を覚えながら、牢屋の静寂に身を委ねた。

 ……その時、鉄の扉が開く音がした。かなり間近だったので食事だろうかと、不明瞭な視界を定める。

 そして重い何か落ちる音と、氷極の手足の拘束感が消失したことで完全に覚醒した。

「これ、は」

 自由になった腕を確認しながら正面を見れば、そこにシュエが立っていた。

「シュエ……貴方は」

「行くぞ。着いてこい」

 彼女は多くを語らず、氷極を連れて牢屋を出ようとする。

 彼も聞きたいことは山ほどあるが、ここは敵の拠点。悠長なことはしていられないと、それに続いた。

 階段を上がると牢獄とは別世界のような綺麗な廊下があった。近くの見張りは、シュエによって眠らされている。

 その場を立ち去り、二人は警戒を解かずなるべく急足で入り口を目指す。だが、一向に入り口へと辿り着く気配がない。

 シュエのことだ。迷っている訳ではないのだろう。しかしどうしても訝しんでしまう。

 そんな時、一際大きな扉が開け放たれているのを発見する。通過する氷極が見たのは、素通りができないものだった。

「シュエ。ちょっとだけここに寄っていいか」

「……あまり時間はないぞ」

「分かってる。すぐに終わる」

 氷極は部屋に入る。

 広くも狭くもない空間に円卓が置かれ、資料たちが乱雑に広げられていた。

 恐らく会議の後なのだろう。

 すぐにその資料を一枚一枚読む。潜入捜査の経験で速読のスキルは獲得しており、情報の要点は容易く絞り出せた。

「何か分かったのかえ?」

 シュエが急かすように氷極へと言う。

「あぁ。ドルゾートへの襲撃の概要が全部書いてある。標的の補給部隊、VICEの構成員規模、何より襲撃日が特定できたのは大きい」

「……そうか。ならば行くぞ」

 氷極はシュエの背中に続く。

 その部屋からすぐのところに入り口はあった。

 外に出ればそこは洋館の庭だった。目の前には街並みが広がっている。夜なので人気はないが、あえてあからさまな場所を拠点とすることで欺こうとしたのだろう。

「……ドルゾート、ではないな」

「その隣町じゃ。ほれ、ドルゾートには港湾はないじゃろ」

 潮の匂いと、波の音。

 よく聞けば確かにここはドルゾートとは無縁な要素に溢れていた。

「ここなら恐らく先に拠点があるはずだ。俺はそこに向かう」

「……うむ。気をつけるのじゃぞ」

 寂しそうにシュエは目を細めた。

「世話になった。俺はシュエに貰いすぎた。返しきれない程のものを、たくさん」

「良い。こうして助けたのも、"お主"がわしを思った故じゃ」

「想う……?」

「牢獄でハルフリーダに問われた時、お主は即答しなかった。自分よりも他を尊重した。お主は、わしの言葉をしっかりと受容していた。それが何より……喜ばしかったのじゃ」

 あのやりとりをシュエを見ていたのだ。

 思えば氷極はVICEを侵略者として憎み、組織が描く未来に固執していた。

 だがシュエと関わるうちに、VICEにも意志や目的がある事実と、過程と未来の分別を覚えていった。それは成長でもあり、シュエがその立場において望む一つの成果だった。

「シュエ…俺は」

「さっさと行くがよい。見つかるぞ」

 背中を押され、氷極は頷く。

 後ろ髪を引かれる思いだったが、彼女が繋いだ道を歩むべきだ。その気持ちで氷極は庭の入り口まで駆けようとした。

「易々と、この私が逃すとお思いですか?」

 その声が庭に響き渡るまでは。

 

 

 

『続』

THE Empty 六話

 


「……まだ、何かあるのか?」

 腰に手を当てて、氷極を見下ろすシュエ。

 だがそこに敵意も殺気も微塵もない。共にドルゾートを目指した旅路の時の、穏やかな雰囲気をまとっていた。

「いいや。わしは、わし以外のものを尊重するあまり自分が見えていなかった。そのけじめじゃ」

「けじめ?」

 するとシュエは不遜な態度を解いて、軽く頭を下げた。

「……騙し討ちのようなことをしてすまぬ。何より、ぬしをドルゾートに送り届けると約束したがそれをわしから反故にした。許せ、とはいわぬ。憎しみをぶつけられても仕方ないことをしたのじゃ。……すまなかった」

 それは義理堅いシュエのけじめだった。

 氷極を拉致して以降、始末の悪さに囚われていた。それは組織の利益に先走り、肝心な自分を疎かにしていたという心残りだ。

 約束とはいえ氷極は今までそれを破ることもなく、文句の一つも言わなかった。いくら立場や思想が違うとはいえ、律儀に遂行する彼に対してその仕打ちはあまりにも自分と反しているし、許せない。

 そんな感情が今の彼女の行動に至らせている。

 氷極は驚愕しながらも、そんなシュエに柔らかな眼差しを向けた。

「気にしていない。シュエとの会話で俺は多くの事に気づかされた。だからこそ反省はあれど、憎しみなどないさ」

 シュエは再び彼と視線を交じえる。その顔にはやり場のない、切なさが帯びていた。

「……そうか。そういう男であったな。ぬしは」

「あぁ。シュエのけじめだからとここで感情をぶつけても意味はない。俺は他人から自分に与えられた傷を、同じように与えようとは思わない」

 彼女は呆れたように肩をすくめた。

「全く。ぬしという者は……。多少は怒りというものがないのか」

「怒りはあるさ。ただそれは、弱者の弱味に漬け込んで自分の思うように利用する存在に、だけどな」

「わしがそれをするとは思わんのか?」

「思わない。大抵、そういう連中は用済みになれば始末する。シュエの心がそれを許すとは到底考えにくい」

 正直すぎるせいで、その言葉は直球に心に響く。

 やれやれ、とシュエは思い悩んだ自分を内心で恥じた。その気遣いに甘える自分にも。

 だが彼の次の言葉は、そんな穏やかな胸中に暗雲をもたらす。

「そういえば、俺の名前を知っていたのか。素性を洗ったんだな」

「……まぁの。ぬしらE5は情報統制が厳重ではあったが」

「ということはそのバックにいるのは、やはり"VICE"か」

 シュエはこくりと頷く。

 一方の氷極は何の感慨もその瞳に映してはいなかった。

「ぬしはE5のリーダーであったのだな。……あまりにも組織や己のことばかりで意識が逸れていたぞ」

「そうなるようにしたんだ。仲間くらいは守ってやりたい。無駄な足掻きだったけどな」

 枷のせいで手が上がりきらず、中途半端になる。だが諦念の意図は伝わったのか、シュエは共感した。

「気持ちは分かる。こうみえてわしも部下を抱える身の上じゃ。守ってやらねば、導かねばならぬ。上に立つ者として相応しい言動や風格もあらねばならぬ。考える事は多い」

「シュエも、か。……先導者だからこその悩みは多いさ。同時にそれは人を孤独にもする」

 シュエは思いを馳せるように、ゆっくりと視線を上げた。

「そうじゃな。じゃが、部下からの忠誠や献身、感謝の言葉はその孤独を埋める。故にこそこの立場には誇りがある。ぬしも、そうであろう?」

「……全てを肯定する訳じゃない。だが俺も一度は感じたことだ。共感はできるよ」

 なかなか煮え切らない氷極の言い分に、シュエは眉をひそめた。

「俺は薄情者だからな。仲間との関係よりも組織が描く未来の方が大切なんだ」

 氷極の拠り所がそれである以上、仲間の優先順位は低い。

 そんな自分を認めるように弱々しく目線を下げる。

「だからシュエのように責任や誇りを持って臨む姿勢と、俺の及び腰とを重ねちゃダメだ。貴方の価値が下がってしまう」

「自分よりも他人の心配か」

「その点はな。自分の気持ちを腐せたまま死ぬ気はないが」

 二人の空気に険しさが走り始める。

「諦めてはおらぬか。このままではどんな目に遭うのかも分からぬぞ」

「この状況まできたら、割り切るしかない。けど情報を吐くつもりもない。その末に命が吹き消えても、俺はそれを尊重する」

 この先に非道な尋問が待ち受けていて、その結果として訪れる結末も受容する。だが、脱走の機運が熟するのも狙っている。

 それは全て彼が信じる未来のため。それならば、死という結果すらも尊重する。それが氷極の欠陥であり、投げやりにも思える姿勢にシュエは疑問であったし、気に入らない。

 そんな安易な信念に浸る彼に、血が騒いだシュエは厳しめな口調で言い放った。

「ぬしは何も見えておらぬ。結果、未来と先のことばかりで、"過程"のことは何一つ考えておらん。因果という言葉通り、過程がなければ結果はない。この状況を見て、それでも自分を貫くならばするといい。過程を変える努力すらできぬのなら、空虚な自尊心に酔ったまま死ぬのもいいじゃろう」

 シュエはそういうと、素っ気なく踵を返した。

「また来る」

 彼女が消えると再び冷たい静寂が空気を占め始めた。

 最後のシュエの言葉は、ずっと固執してきた氷極の耳によく残っている。脳内で反芻してしまうほどに、何度も咀嚼を繰り返す。

 湿り気のある牢獄で、氷極は静かに思いと考えを巡らせた。

 


ーーー

 


 シュエが去って、幾らかたった頃。

 再び階段を降る足音が響く。今度は鎧が擦れるような、重厚感のある音だった。

 やがて目前に現れたのは、あの林で男と密会していた女騎士。白銀の鎧と、ノンヘルムの顔からは無遠慮な敵対心が滲み出ている。

 シュエと女騎士は、繋がっていたのだ。

 氷極の牢屋の前で立ち止まると、彼女は傲岸に見下ろした。

「E5リーダー氷極。私が来たという事と、自分の立場を鑑みて今なにを成すべきか、分かりますね?」

「生憎、栄養不足で頭が回らない。騎士様のご高説を願う」

「この状況になっても私を軽んじますか。いいでしょう。その度胸に免じて、私の口から伺います」

 やはり女騎士が要求したのは、E5に関する情報だった。秘匿性が高いこともあり、手を焼いていたのが女騎士の口調からも伝わる。

 淡々とした問答であったが、氷極が機密を吐くわけもなく。

 女騎士の不快感は増していく一方だった。

「……なるほど。泥沼化することは想定していましたが。まさかここまで食い下がるとは」

 別にそこまで食い下がってはないだろ。

 彼女の中で物事が勝手に進んでいるが、氷極はその突っ込みを口内で押し殺した。

「しかし、理解できないものですね。何故貴様はそこまであの組織に準じようとするのです」

「信じているからだ。組織が目指す未来を」

 女騎士はその覚悟を鼻で笑う。

「KRが目指す未来を? そんな根拠のないビジョンを信じたところで、何になるのです」

「少なくとも明日には繋げられる。お前らVICEはそんな当たり前を独善で破壊する。ならばその先に一体何があるっていうんだ」

 氷極は白銀の輝きを、憎々しげに睨む。すると女騎士の顔が意外に満ちた気がした。

「ふむ……。貴様と私の目的地はどうやら近いようですね」

 顎に手を当てて、何やら思案し始める。しかし氷極は女騎士のその態度が理解できない。

 彼女が発したことも、今まで頭にあったVICEの在り方を歪ませるようでもある。

 氷極は眉を寄せた。

「目的地が同じ? 笑わせないでくれ。お前らはお前らの為だけの未来しか見ていないじゃないか」

「組織は、ですけどね。少なくとも私はその在り方全てを肯定している訳ではありません」

「……何が言いたい?」

 既に氷極は混乱していた。天地が覆るような、異常なものを見ているように感じる。

 女騎士の瞳はただ一途にその思想を直視していた。

「私が目指すべきもの……それは"VICEが作り上げる平穏と幸福"です」

 

 

 

『続』

THE Empty 五話

 


 穏やかな湖面が、山に囲まれて姿を現した。氷極は湖に足をつけて山々を眺めるシュエと再会する。

 女騎士の追撃がないことを確認し、慎重に北に進むと現れた道標に従い到着。確かに湖自体はさほど大きくはなく、自然に囲まれ、人気もないので丁度よかった。

「生きて帰れたようじゃのう。流石と言うべきか」

「そちらも無事で何よりだ。だが、悠長な事はしていられない」

 氷極は気持ちを切り替えて、今後の方針を固める。だが話さずとも互いに、"氷極の組織と合流する"ことは共有されていた。

 そのためにドルゾートへと向かうことも。

 シュエはどこか深刻そうな顔つきで、氷極を見つめていた。

「ドルゾート近辺に出れば俺も地形の知識はある。そこまでは、すまないがまだ頼らせてもらわなければいけない」

 しかし彼女からの応答はなかった。冷ややかに、ただ不気味に氷極を見つめる。

「……」

「……どうした?」

 そこから沈黙が降りる。

 氷極は何故黙り込むのか、不思議でならない。シュエは腹を括るように軽く宙を眺めた後、少し顎を引いて目を瞑った。

「悪いが。それはもう、できぬ。いやもうぬしを、この先にいかせることはできん」

 初めてシュエが氷極に向けた敵意だった。

 聞き間違えか、と疑うほどにその言葉が頭に行き渡らない。繋いでいた思考の糸が、勢いよく紐解かれていく。

 彼の心に何かが、重くのしかかってきた。

「何を、言ってるんだ……?」

 ようやく紡ぐ声色は震えている。

 それに現実を突きつけるシュエの棘は、あまりにも容赦がなかった。

 彼女の緑の瞳が、暗い光をともない開く。

「言葉通り。ぬしをドルゾートへ向かわせる訳にはいかぬ」

「なんでだ? シュエが、俺とは相入れない立場だからか?」

 シュエは躊躇うことなく頷いた。

「無論じゃ。ぬしにも戦う理由があるように、わしにも成さねばならぬことがある。故に、これ以上の接触は不要と判断した」

 はっきりと言い渡された拒絶。自分の見てきたシュエの実像が音を立てて崩れる。

 それでも……自分を気遣い、語り合うシュエの姿が記憶に焼き付き離れない。分かりきっていたことを未練がましく、氷極は説得にもならない言葉で弱さを晒す。

「……シュエ。貴方は俺と反対でありながら、VICEに対して疑問を抱いていた。俺は組織の歪みを受け止める姿勢を尊敬していた。あの言葉は嘘なのか?」

 シュエはかぶりを振った。

「偽りではない。わしの疑問は、本音じゃ。少なくとも、ぬしに感化されたことは認める。じゃがわしにも立場と属する居場所がある。わしを信じてついてくる顔がある。目的がある。それとこれとは、話は別じゃ」

「ならば、何故あの時……。あの林の密会で迷う俺に自分だけではないと投げかけた。あれは、俺を導く為に示した選択肢じゃなかったのか?」

 その両目は氷極を視線で捉えて離さない。冷や汗がつたう彼とは対照的に、シュエは長いため息を吐く。いや、ただ息を吐き出しただけかもしれない。

 降らぬと思った灰色の空から、水滴がこぼれ始めた。

「あれは立場を無視した上での言葉。じゃが、今は違う。詭弁と言われようが、手の平を返す軽薄さであろうが、わしにも立場がある。それにの、わしはぬしが憎む『悪』そのものじゃ」

 引き裂かんと振る舞うシュエは、やはり心のどこかで痛みを感じていた。

 これは決して、裏切りではない。氷極がただ敵であるシュエに深入りしただけの話だ。

 その上で陣営が明確になりながらも、氷極は絆された心を捨て去れなかった。

 それは彼が未来の為にと投げ打った中で、唯一残った"心"だったからだ。

 目的がなく組織に依存し、無意識に求めていた人への感情。それが仇となり、破滅に向かったのは独りよがりな己への罰。

「……そうか。俺は、見えていなかったんだな」

 グッと唇を噛む。

 敵は獣じゃない。思考する理性があり、武器を握る理由があり、守るべき信念と人がある。それは平等にあるものだと言われても、腑に落ちなかったのはひとえに氷極の弱さなのだ。

 だが同時にそれを痛感するのも、彼の強さだった。

「……それでも俺は、ドルゾートへ行く」

「本気で、言ってるんじゃな」

「あぁ。シュエにもやらなければならないことがあるのなら。俺も貴方を倒して、自分が成すべきことを成す」

 "解放"。

 吹き出した感情と共に、氷極の出力は無遠慮なものとなる。

 湖が一瞬にして凍り、山の側面が樹氷を帯びた。雨は薄い氷となって、地面に細かく散らばる。

 全ての景色が"灰"の氷に満ちていく。

 手のひらで閃く雷は、既にシュエを仇なす存在と認め強烈にほとばしっていた。

 しかし、シュエは一切動じることはなく逆に微笑してみせる。

「やはり、想定通りじゃった」

「……なにがだ?」

「ぬしとまともに戦うことは危険じゃ、ということよ」

 訝しむ氷極の鼻腔を甘い匂いが包む。

 シュエが麻袋から取り出し、放ったのは香水だった。

 彼がその意図を探ろうとしたその時、視界がぐにゃりといきなり歪み始めたのだ。

「なっ、なんだっ……」

 平衡感覚を保てず、膝をつく。意識すらも危うい状態に陥った。

 脳が酸素を求め、息が荒くなる。揺らぐ景色の中で、不敵に笑むシュエを睨んだ。

「苦しいか? そうじゃろうな。ぬしの夕餉に一服盛ったからの」

「な、んだと……」

「この香水に反応する特殊な毒じゃ。わしには効かぬぞ? 既に解毒しておるからの」

 周囲の灰氷が氷極の使役を失い、美しかった山がその景色を取り戻していく。

 体が脱力し、氷極は地に倒れ伏す。

 消えゆく意識の中で、シュエは最後に言葉を残した。

「安心するのじゃ。死に至らす毒ではない。今はただ眠るがいい」

 氷極は完全に意識を手放した。

 


ーーー

 


 冷たい水滴が氷極の頬に降る。

 彼の失った意識がゆっくりと帰ってきた。

 不安定な視界はやがて明瞭となり、思考もクリアになっていく。

 腕を上げようとすると、重みがそれの邪魔をする。両腕と足に枷が繋がれているようだ。

 目の前には鉄製の柵。ここが牢獄であることを徐々に認識する。

 こっくりと、力無く氷極は項垂れた。

 分かっていたことだ。シュエが敵であり、異なる思想と目的を掲げていたことも。割り切れなかったことを今更悔いるつもりはなかった。

 起こってしまったことは覆らない。だが、自分の思考を反省することはできる。彼の中で"敵"という存在が少しづつ塗り替えられ始めていた。

 すると湿った空間に、足音が響き渡る。靴音ではないあたり、それが誰であるか氷極には察知できた。

「……シュエ」

「目を覚ましたか。E5リーダー、"氷極"よ」

 決別したはずの意志が、再び相見える

 

 

 

『続』

THE Empty 四話

 


 翌日。

 どんよりとした灰色の空が、二人を重く見下ろしていた。

 雨になることはなさそうだが、陽を嫌う生物たちが活発化することを考慮して足を急がせる。

 今までは険しい岩山が点在し、荒野にしては見通しが悪かったが、緑が増えるにつれ徐々に開けた土地となった。

 草原と丘が多い地形で、不明瞭ではあるが道らしきものも視認できる。

「ようやくか」

「うむ。まだ人里まではあるが、道に出れば迷うことはないじゃろう」

 氷極は息を一つついた。

 未だに襟の通信機は沈黙を保っている。

「あと少しの辛抱か……行こう」

 そう自分を奮い立たせ、いつまでも続く低い丘陵を歩む。荒野と違い、生物による危険性は薄れたが道標もなければ、飲み水も尽きかけている。

 街にたどり着くか、体力が先に無くなるか。

 そんな明暗が浮き彫りになりかけた頃、氷極が不意に立ち止まる。道の離れにある林めがけて目を凝らした。

「ん? どうしたのじゃ」

 一番に急いでいた氷極が足を止めたことに、シュエは訝しむ。

 彼は確かめるように目線の先へと指をさした。

「あの林……人影が見えないか?」

 シュエは言葉に従い、目を凝らす。確かに人の頭髪らしきもの動いている。数は二人ほどだろうか。よく些細な変化に気づけるものだと、同時にシュエは感心した。

「……しかし、妙じゃのぅ。わざわざこんな人里離れた場所で密会か?」

「きな臭さはあるな。だが現状を見れば無視する余裕も俺らにはない」

 シュエは恨めしそうに麻袋を睨み、肩を落とす。

「流石に後先を考えていなかったの」

「すまない。俺が急がせてしまった」

「仕方なかろう。わしも早い段階で言うべきではあった。ぬしだけの責任ではない」

 先ほど、最後の携帯食も終わってしまったばかりだ。今の二人にとって他の人間は、オアシスのようなもの。

 迷うことなくその林を目指して歩き出した。

 林に到着しても人影は動かなかった。一旦様子を見ようと、茂みに身を潜めながら近づくと聞こえてくる会話も鮮明になっていく。

 先行していたシュエは、氷極を止め茂みの隙間からその密会を見聞し始めた。

「……えぇ。何度も言いますが報酬は……」

「我が言葉は"騎士団"の総意による言葉です。嘘偽りも、二言も決してありません」

「そうですか! よかった……。これで妻子が飢えずに済む…」

 何かの取引現場なのだろう。

 男女の応酬で男の身なりは一般人だが、白銀の鎧と肩まで切り揃えた銀髪の女は異質な気配を纏っている。何よりこんな辺境で、この組み合わせというのも不穏だった。

 二人は静かに耳を澄ます。

「では、契約内容を復唱します。貴殿らはドルゾートにおいて、我々"VICE"の構成員の手引き、また駐在する英雄機関等の補給部隊の撹乱に動いていただきます。あれは補給線なのでこちらが本命ですね。本来は"異開王"の領分ですが……まぁ特例ですからね。報酬は後日、しっかりとお渡しますので」

 女騎士の発言に、氷極の表情が強張った。

「何やら心当たりがあるようじゃな」

「……貴方の前で言いたくはないが、あの騎士の言った通りだ。"ドルゾート"とはここから先の西部戦線における補給線を担う街。それなりに防御も硬く、容易には陥落しない。だから、スパイを買収したんだろう」

 氷極は歯を噛み締めて、取引を見つめる。

 これまで彼が相手にしてきた存在。VICEという悪がいかに、人を道具としてしか見ていないのか。これまでの経験が、今ある現場に対し強い義憤を湧き上がらせていた。

 そんな彼を見てシュエは冷静に宥める。

「じゃが、ここで割り込もうとは思うな」

「……分かってる。あの一般人を巻き込むし、ここでの消耗はなるべく避けたいからな」

 小声でのやり取りだが、明らかに彼の声には躊躇いの色が濃い。

 頭では分かっていても、見過ごすことへの抵抗で体が動かない。

 シュエはその事態を重く受け止める。そして思考を働かせた。この状況で自分が取るべき行動に、どう組織と自分を内在させるか。

 氷極に対し、何をもたらすべきか。

 短く考えた末、いまだ逡巡する彼に語りかけた。

「……少し自分の立場を無視して言わせてもらう。まだ時間はあるじゃろう。それにぬしの隣にいるのはわしだけではないはずじゃぞ」

 脳の沸騰が急速に止まり、氷極はシュエと視線を合わせると冷静に思考を巡らせた。

 彼女の言う通りだ。防御力のある街を一つ落とすのにも、時間はかかる。VICE側も不安要素への対応は徹底するだろう。

 別の街を何度か守った氷極の実績も、その根拠に自信をつけていた。

「それなら、今はいち早くドルゾートに目指し先んじて組織にこのことを伝えれば」

「……うむ。わしらの目的地も、ドルゾートではあった。都合はいいじゃろう」

 迷いは消え失せた。複雑な表情をするシュエの立場に同情しながらも、内心で謝意を示す。

 彼女も何事か深く考えている様子だが、今は従う事こそが彼女への返礼だろう。

 氷極は林の入り口へと指をさし、シュエと共に現場を後にしようとする。

 目的に囚われすぎた結果、音への配慮を忘れるまでは……。

「誰だっ!!」

 その声がした時には遅かった。氷極が足元を見れば、そこには二つに折れた枝。絶妙な数も伴って、気づかせるには充分な音を立てていた。

 あの女騎士を欺ける気はしない。

 氷極は手のひらに冷気を凝縮させ、近づく女騎士の前に巨大な氷壁を作り上げた。

「ぐっ!? なんだこれは!!」

「逃げるぞ! シュエ!」

 動揺する隙をつき、逃亡を図ろうとする。

 シュエが頷き逃げようとするが、氷壁は一撃で薙ぎ払われてしまった。その時にはもう体は動いていた。

 小規模故に林は簡単に抜けられる。だが、抜けた先は見晴らしがいいので見つかるのも早いだろう。時間を稼ぐ必要があった。

 氷極は何度も壁を作りながら、悠然とそれを破壊して進む女騎士に眉を寄せる。

「いい状況とは言えぬな」

「このままだと捕まるだろうな。どうにかして逃げる必要がある」

「しかし、どうするのじゃ。あやつは只者ではない上……腰のマントの紋章を見る限り『狂』の連中じゃぞ」

「『狂』、上位派閥の構成員か!」

 氷極は爪を噛む。女騎士はすぐそこまで迫っていた。

「何故、取引を行っていたかは不明じゃが、上位派閥が関与となると刻を争うな」

「……なら、いい案がある。シュエ、このあたりで目立たず目印になる場所はあるか?」

 シュエは思案顔になる。

「無理筋な注文じゃの。じゃが、ここから北に小さな湖がある。ドルゾートからは離れるが、身を隠すのには丁度いい」

「分かった。そこで合流だ」

「……何をする気かは知らんが、無茶はするでないぞ」

「誰に言ってるんだ」

 シュエはそういって林から抜け出していった。

 それを見届けつつ、鋭利な氷塊を射出して女騎士を牽制する。見た目に反することなく氷極の散発的な攻勢に、女騎士は腹立たしそうに声を張り上げた。

「私を侮辱しますか! このような攻撃で私を倒そうとは浅はかにも程がある!」

「お前とまともにやって勝てるわけがないだろう……!」

 林の中を縦横無尽に動き回る。敵はまだこちらの姿をしっかりと認識できていない。

 女騎士は力任せな一撃で、氷極の攻撃を次々と薙ぎ払う。見方によればジリ貧だが、ダメージを与えることが目的ではない。

 氷極は女騎士の鈍さを利用し、上手くその場所から移動させないよう誘導していた。女騎士も苛立ってはいたが、その計算された攻撃に翻弄されている。

 その間に氷極は一つ一つの樹木に、"触れて"回った。

 触れ回った樹木たちが"冷気"を発しだし、充分だと判断すると、女騎士から一気に距離を取る。

 素早く林を抜け出すと、氷極は手を目の前に出し、叫んだ。

「"解放"ッ!」

 瞬間、円を描くように生えた林たちが分厚い氷壁となってその空間を包み込む。これならば女騎士も手間取るはずだろう。

 この林に群生する樹木は水分を多く含むもので形成されていることを、氷極は乗り込んだ時に察知していた。

 最悪な想定の下のプランだったが、まさか使うことになるとは思わなかった。

 急いでその場を後にする氷極。かなり離れた場所からチラリと林を一瞥する。まだ氷壁は傷一つついてはいない。だが、油断はできないだろう。

 シュエが無事であることを祈りつつ、氷極は丘をただ駆け続けた。

 


『続』