雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

THE Empty 六話

 


「……まだ、何かあるのか?」

 腰に手を当てて、氷極を見下ろすシュエ。

 だがそこに敵意も殺気も微塵もない。共にドルゾートを目指した旅路の時の、穏やかな雰囲気をまとっていた。

「いいや。わしは、わし以外のものを尊重するあまり自分が見えていなかった。そのけじめじゃ」

「けじめ?」

 するとシュエは不遜な態度を解いて、軽く頭を下げた。

「……騙し討ちのようなことをしてすまぬ。何より、ぬしをドルゾートに送り届けると約束したがそれをわしから反故にした。許せ、とはいわぬ。憎しみをぶつけられても仕方ないことをしたのじゃ。……すまなかった」

 それは義理堅いシュエのけじめだった。

 氷極を拉致して以降、始末の悪さに囚われていた。それは組織の利益に先走り、肝心な自分を疎かにしていたという心残りだ。

 約束とはいえ氷極は今までそれを破ることもなく、文句の一つも言わなかった。いくら立場や思想が違うとはいえ、律儀に遂行する彼に対してその仕打ちはあまりにも自分と反しているし、許せない。

 そんな感情が今の彼女の行動に至らせている。

 氷極は驚愕しながらも、そんなシュエに柔らかな眼差しを向けた。

「気にしていない。シュエとの会話で俺は多くの事に気づかされた。だからこそ反省はあれど、憎しみなどないさ」

 シュエは再び彼と視線を交じえる。その顔にはやり場のない、切なさが帯びていた。

「……そうか。そういう男であったな。ぬしは」

「あぁ。シュエのけじめだからとここで感情をぶつけても意味はない。俺は他人から自分に与えられた傷を、同じように与えようとは思わない」

 彼女は呆れたように肩をすくめた。

「全く。ぬしという者は……。多少は怒りというものがないのか」

「怒りはあるさ。ただそれは、弱者の弱味に漬け込んで自分の思うように利用する存在に、だけどな」

「わしがそれをするとは思わんのか?」

「思わない。大抵、そういう連中は用済みになれば始末する。シュエの心がそれを許すとは到底考えにくい」

 正直すぎるせいで、その言葉は直球に心に響く。

 やれやれ、とシュエは思い悩んだ自分を内心で恥じた。その気遣いに甘える自分にも。

 だが彼の次の言葉は、そんな穏やかな胸中に暗雲をもたらす。

「そういえば、俺の名前を知っていたのか。素性を洗ったんだな」

「……まぁの。ぬしらE5は情報統制が厳重ではあったが」

「ということはそのバックにいるのは、やはり"VICE"か」

 シュエはこくりと頷く。

 一方の氷極は何の感慨もその瞳に映してはいなかった。

「ぬしはE5のリーダーであったのだな。……あまりにも組織や己のことばかりで意識が逸れていたぞ」

「そうなるようにしたんだ。仲間くらいは守ってやりたい。無駄な足掻きだったけどな」

 枷のせいで手が上がりきらず、中途半端になる。だが諦念の意図は伝わったのか、シュエは共感した。

「気持ちは分かる。こうみえてわしも部下を抱える身の上じゃ。守ってやらねば、導かねばならぬ。上に立つ者として相応しい言動や風格もあらねばならぬ。考える事は多い」

「シュエも、か。……先導者だからこその悩みは多いさ。同時にそれは人を孤独にもする」

 シュエは思いを馳せるように、ゆっくりと視線を上げた。

「そうじゃな。じゃが、部下からの忠誠や献身、感謝の言葉はその孤独を埋める。故にこそこの立場には誇りがある。ぬしも、そうであろう?」

「……全てを肯定する訳じゃない。だが俺も一度は感じたことだ。共感はできるよ」

 なかなか煮え切らない氷極の言い分に、シュエは眉をひそめた。

「俺は薄情者だからな。仲間との関係よりも組織が描く未来の方が大切なんだ」

 氷極の拠り所がそれである以上、仲間の優先順位は低い。

 そんな自分を認めるように弱々しく目線を下げる。

「だからシュエのように責任や誇りを持って臨む姿勢と、俺の及び腰とを重ねちゃダメだ。貴方の価値が下がってしまう」

「自分よりも他人の心配か」

「その点はな。自分の気持ちを腐せたまま死ぬ気はないが」

 二人の空気に険しさが走り始める。

「諦めてはおらぬか。このままではどんな目に遭うのかも分からぬぞ」

「この状況まできたら、割り切るしかない。けど情報を吐くつもりもない。その末に命が吹き消えても、俺はそれを尊重する」

 この先に非道な尋問が待ち受けていて、その結果として訪れる結末も受容する。だが、脱走の機運が熟するのも狙っている。

 それは全て彼が信じる未来のため。それならば、死という結果すらも尊重する。それが氷極の欠陥であり、投げやりにも思える姿勢にシュエは疑問であったし、気に入らない。

 そんな安易な信念に浸る彼に、血が騒いだシュエは厳しめな口調で言い放った。

「ぬしは何も見えておらぬ。結果、未来と先のことばかりで、"過程"のことは何一つ考えておらん。因果という言葉通り、過程がなければ結果はない。この状況を見て、それでも自分を貫くならばするといい。過程を変える努力すらできぬのなら、空虚な自尊心に酔ったまま死ぬのもいいじゃろう」

 シュエはそういうと、素っ気なく踵を返した。

「また来る」

 彼女が消えると再び冷たい静寂が空気を占め始めた。

 最後のシュエの言葉は、ずっと固執してきた氷極の耳によく残っている。脳内で反芻してしまうほどに、何度も咀嚼を繰り返す。

 湿り気のある牢獄で、氷極は静かに思いと考えを巡らせた。

 


ーーー

 


 シュエが去って、幾らかたった頃。

 再び階段を降る足音が響く。今度は鎧が擦れるような、重厚感のある音だった。

 やがて目前に現れたのは、あの林で男と密会していた女騎士。白銀の鎧と、ノンヘルムの顔からは無遠慮な敵対心が滲み出ている。

 シュエと女騎士は、繋がっていたのだ。

 氷極の牢屋の前で立ち止まると、彼女は傲岸に見下ろした。

「E5リーダー氷極。私が来たという事と、自分の立場を鑑みて今なにを成すべきか、分かりますね?」

「生憎、栄養不足で頭が回らない。騎士様のご高説を願う」

「この状況になっても私を軽んじますか。いいでしょう。その度胸に免じて、私の口から伺います」

 やはり女騎士が要求したのは、E5に関する情報だった。秘匿性が高いこともあり、手を焼いていたのが女騎士の口調からも伝わる。

 淡々とした問答であったが、氷極が機密を吐くわけもなく。

 女騎士の不快感は増していく一方だった。

「……なるほど。泥沼化することは想定していましたが。まさかここまで食い下がるとは」

 別にそこまで食い下がってはないだろ。

 彼女の中で物事が勝手に進んでいるが、氷極はその突っ込みを口内で押し殺した。

「しかし、理解できないものですね。何故貴様はそこまであの組織に準じようとするのです」

「信じているからだ。組織が目指す未来を」

 女騎士はその覚悟を鼻で笑う。

「KRが目指す未来を? そんな根拠のないビジョンを信じたところで、何になるのです」

「少なくとも明日には繋げられる。お前らVICEはそんな当たり前を独善で破壊する。ならばその先に一体何があるっていうんだ」

 氷極は白銀の輝きを、憎々しげに睨む。すると女騎士の顔が意外に満ちた気がした。

「ふむ……。貴様と私の目的地はどうやら近いようですね」

 顎に手を当てて、何やら思案し始める。しかし氷極は女騎士のその態度が理解できない。

 彼女が発したことも、今まで頭にあったVICEの在り方を歪ませるようでもある。

 氷極は眉を寄せた。

「目的地が同じ? 笑わせないでくれ。お前らはお前らの為だけの未来しか見ていないじゃないか」

「組織は、ですけどね。少なくとも私はその在り方全てを肯定している訳ではありません」

「……何が言いたい?」

 既に氷極は混乱していた。天地が覆るような、異常なものを見ているように感じる。

 女騎士の瞳はただ一途にその思想を直視していた。

「私が目指すべきもの……それは"VICEが作り上げる平穏と幸福"です」

 

 

 

『続』