雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

THE Empty 七話

七話

 


 "VICEが作り上げる平穏と幸福"。

 あまりにも矛盾していて、歪んだ目的に氷極は呆気に取られた。

 すぐさま、心の底から怒りがこみ上げる。

「……分かってはいる。敵にも多様性があることは。だがお前の言っていることは、理想論にもならない。現実から目を背けた戯言だ」

「そのような意見もあるでしょう。ですが私も貴様と同じく信じた道を行くだけです」

「それが、多くの人間を踏みにじり、殺していい理由になる訳ないだろう!?」

 張り上げた声に女騎士は気圧されず、むしろ涼しげに鼻白む。

「必要な道程です。VICEに逆らうものに、真の平穏など与えられない。故にその結末は必然ですよ」

「そんな訳ない。その志が本質なら、根っこの部分は俺たちと同質なはずだ。何故そうなってしまったんだ」

 女騎士の視線は憐憫を帯びる。

 そして牢屋に一歩、強く踏み出した。

「一つ知見を与えましょう。人は目的を持ったきっかけと決して向き合ってはいけません。何故ならそれは自らの軸が歪んでしまうからです。そうなれば信じたものすら歪を帯びてしまう」

 現実逃避にも聞こえた。なのに、切り捨てることのできない事実でもあった。

 シュエとのやり取りで学んだはずだ。敵にも譲れぬ事情があると。けれど女騎士と氷極の価値観はあまりにも合致しない。正しく在る筈なのに、道を踏み外した破綻が所々に見られる。

 それがこの二人が共有した、お互いの世界だった。

 何より氷極は立場の違いと、女騎士がそうある過程を考えた。歯車が噛み合えば、道は交わったかもしれない。シュエの言葉が、彼の心によく染み渡る。

 女騎士は呆れたように嘆息を吐いた。

「埒が明きませんね。話を戻しましょう。貴様が口を割らないのなら、こちらにも案があります」

「案だと?」

「取引をしましょう」

 VICEのいう取引に、まるで信頼が持てないことは思い知っている。氷極は無力感に苛まれながら、内容を待った。

「私たちはあの女性……シュエが貴様と行動していた事を認知しています。確認を取った限り彼女のそれは"命令違反"です。それだけでも重いですが我らは上位派閥。いくらでも脚色はできるでしょう」

 氷極は怒りを通り越して、一瞬言葉を発せなかった。

「……そんなの、ただの脅迫じゃないか。取引になっていない!」

「いいえ。組織として相応の処遇です。しかし貴様の情報次第でシュエは守られ、貴様のある程度の自由も保証される。断る道理はないはずですが」

 氷極は奥歯を噛み締め、彼女との会話を思い出す。自らの立場を誇りに思い、日頃から上に立つ者としての自覚を心掛けていた。その立場だからこその、彼女の悩みや感謝を氷極の一存で奪い去ることにもなる。

 諦めないという自らの反抗心か、それとも義理堅く人を想うシュエのためか。

 苦悩の末に、氷極は女騎士へと懇願した。

「…………すまない。考える時間をくれ。なるべく前向きにはなろう」

 声に力のない氷極をみて、女騎士は冷静に分析する。自分は尋問は不得手だ。自発的に吐かせようとしたが、この思惑は順調のようだ。既に氷極も陥落寸前だろう。

 そんな慢心が彼女を首肯させた。

「いいでしょう。時間を与えます。精々悩む事です」

 腰のマントを翻し、階段へと向かう。

 氷極はそんな女騎士を制止させた。

「待て。お前の名を聞かせろ」

「言ったところで何かあるのですか?」

「その鎧は騎士なのだろう? 名乗ることも規律の一つだと思うが」

 一理あり、と女騎士は思うと氷極に振り返る。

 手のひらを胸に当て、誇らしそうにその名を叫んだ。

「我が名はハルフリーダ。この白銀が貴様の凶兆となることを忘れるな」

 

 

 

ーーーー

 


 微睡みの中で氷極の天秤は揺れていた。

 信じてきた組織か、短くも同じ釜の飯を食ったシュエか。その間に体力も戻ってきてはいるが、能力と並行して脱出を行える程ではない。

 だからといって女騎士……ハルフリーダの前で時間稼ぎが通用するとも思わない。

 故に、彼の中でその選択が賢明だと判断し始めていた。

 次第に意識も落ちていく。暗い底に自らが傾いている感覚を覚えながら、牢屋の静寂に身を委ねた。

 ……その時、鉄の扉が開く音がした。かなり間近だったので食事だろうかと、不明瞭な視界を定める。

 そして重い何か落ちる音と、氷極の手足の拘束感が消失したことで完全に覚醒した。

「これ、は」

 自由になった腕を確認しながら正面を見れば、そこにシュエが立っていた。

「シュエ……貴方は」

「行くぞ。着いてこい」

 彼女は多くを語らず、氷極を連れて牢屋を出ようとする。

 彼も聞きたいことは山ほどあるが、ここは敵の拠点。悠長なことはしていられないと、それに続いた。

 階段を上がると牢獄とは別世界のような綺麗な廊下があった。近くの見張りは、シュエによって眠らされている。

 その場を立ち去り、二人は警戒を解かずなるべく急足で入り口を目指す。だが、一向に入り口へと辿り着く気配がない。

 シュエのことだ。迷っている訳ではないのだろう。しかしどうしても訝しんでしまう。

 そんな時、一際大きな扉が開け放たれているのを発見する。通過する氷極が見たのは、素通りができないものだった。

「シュエ。ちょっとだけここに寄っていいか」

「……あまり時間はないぞ」

「分かってる。すぐに終わる」

 氷極は部屋に入る。

 広くも狭くもない空間に円卓が置かれ、資料たちが乱雑に広げられていた。

 恐らく会議の後なのだろう。

 すぐにその資料を一枚一枚読む。潜入捜査の経験で速読のスキルは獲得しており、情報の要点は容易く絞り出せた。

「何か分かったのかえ?」

 シュエが急かすように氷極へと言う。

「あぁ。ドルゾートへの襲撃の概要が全部書いてある。標的の補給部隊、VICEの構成員規模、何より襲撃日が特定できたのは大きい」

「……そうか。ならば行くぞ」

 氷極はシュエの背中に続く。

 その部屋からすぐのところに入り口はあった。

 外に出ればそこは洋館の庭だった。目の前には街並みが広がっている。夜なので人気はないが、あえてあからさまな場所を拠点とすることで欺こうとしたのだろう。

「……ドルゾート、ではないな」

「その隣町じゃ。ほれ、ドルゾートには港湾はないじゃろ」

 潮の匂いと、波の音。

 よく聞けば確かにここはドルゾートとは無縁な要素に溢れていた。

「ここなら恐らく先に拠点があるはずだ。俺はそこに向かう」

「……うむ。気をつけるのじゃぞ」

 寂しそうにシュエは目を細めた。

「世話になった。俺はシュエに貰いすぎた。返しきれない程のものを、たくさん」

「良い。こうして助けたのも、"お主"がわしを思った故じゃ」

「想う……?」

「牢獄でハルフリーダに問われた時、お主は即答しなかった。自分よりも他を尊重した。お主は、わしの言葉をしっかりと受容していた。それが何より……喜ばしかったのじゃ」

 あのやりとりをシュエを見ていたのだ。

 思えば氷極はVICEを侵略者として憎み、組織が描く未来に固執していた。

 だがシュエと関わるうちに、VICEにも意志や目的がある事実と、過程と未来の分別を覚えていった。それは成長でもあり、シュエがその立場において望む一つの成果だった。

「シュエ…俺は」

「さっさと行くがよい。見つかるぞ」

 背中を押され、氷極は頷く。

 後ろ髪を引かれる思いだったが、彼女が繋いだ道を歩むべきだ。その気持ちで氷極は庭の入り口まで駆けようとした。

「易々と、この私が逃すとお思いですか?」

 その声が庭に響き渡るまでは。

 

 

 

『続』