雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

THE Empty 一話

 


 星空。

 目を覚ました氷極の視界に飛び込んだ、最初の景色だった。目を瞬かせていると徐々に生きているという実感と、過去の記憶が氷極の中に蘇ってくる。自分の悪運の強さに内心やりきれない安堵を覚えた。

「……熱?」

 先ほどから右頬に暖かさを感じていた。周囲を見渡せば、荒野だ。察するに焚火か何かか。誰かに助けられたのだろう。

 様々な生物の鳴き声が響き渡る中、その均衡を崩すように大人びた声が氷極の耳に届く。

「目を覚ましたようじゃの」

 声の主の面貌をみた瞬間、バッと勢いよく氷極は起き上がる。

 チャイナ服を着た、虎の獣人だった。褐色の肌や、よく引き締まった身体に揺れる尻尾。こちらを値踏みするような不敵な目を向けている。

 妖しい雰囲気ではあったが、氷極は気を取り直し礼を言う。

「状況から察するに、助けてくれたのは貴方だな。感謝する、虎の御仁」

 獣人はゆっくりと頷く。

「うむ。ぬしが荒野に倒れていた故な。あそこは肉食の生物が跋扈しておる。放置するのは危険と判断した」

 随分とこの地域に詳しいのだろう。獣人が携帯している麻袋を見る限り肩書きは旅人のはずだが、どうにもその風貌からは連想しにくい。

 不意に氷極の中に一つの疑問が浮かぶ。

「……すまない。ここはいったいどこだ?」

「? ここはパンタシア界陸の……そうじゃな。東端に近い地域か」

「パンタシアだって!?」

 氷極は獣人へと乗り出したかと思いきや、すぐに非礼を詫びて力無く地面に座り込む。

 無理もない。彼がいたのはゲオメトリア界陸……東の大陸のはずだった。

 しかし、グレイ・ジャックの攻撃をくらい、そのまま西のパンタシア界陸まで飛ばされたということになる。

「どうした? なにかあったのかえ?」

 首を傾げる獣人に今までの経緯を説明する。自分は傭兵組織に属し、戦闘の最中意図せずここまで飛ばされたということ。所属先がKRであることは伏せておいた。

 それを聞いた獣人は目を丸めて、やはり驚嘆していた。

「……よくぞ、イス洋にもウェス洋にも不時着せずこれたのう。運が良いのか、悪いのか。しかし、ここからゲオメトリアはちと無理がある」

「あぁ。それにあの戦闘から何日経過してるのかも不明だ。戻る手段がない以上、今は仲間との連絡手段を確保するのが最優先だろうな」

 焚火に向かって冷静な思考を投げつける氷極に対し、獣人は軽く笑ってみせる。

「いい胆力じゃ。帰らねばならぬ理由は相当らしい」

「やり残したことがある。今すぐにでも帰還しなければならない」

 おもむろに襟にある小型の通信機を確かめるが、もちろん応答はない。

 丸太に足を組んで座る獣人への自嘲気味な視線を向けた。

「だが、それもその一歩手前でこのザマだ。情けないよ」

「目的は測りかねるが、逃した好機は巡り巡って再び訪れる。堂々とその時を待てばよい」

「……なんだか、貴方が言うと不思議と含蓄があるな」

「あまりわしを買うな。まぁ褒められて悪い気はしないがの」

 コロコロと獣人はまた笑う。

 接しやすい、分別のある女性だ。柔らかい笑みも、慎み深さすら覚えてしまうほどの動作も。

 氷極も自然と態度は軟化する。

 "純粋な善意"による行いかはさておき、信頼に足る人物ではある。そう判断すれば自ずと彼の中に選択肢が生まれた。救ってもらった上、懇願するのは心苦しくもあるが生還することが今は一番だろう。

 意を決して、獣人へと頭を下げる。

「頼みがあるんだ。虎の御仁」

「まずその虎の御仁という呼び名はやめてほしいのう。少しムズムズする」

「あぁ、そうなのか。なら……なんと呼べばいいだろうか?」

 獣人は小指で丸太を軽く叩き思案する。

「そうじゃのぅ……。うむ。わしのことは"シュエ"と呼ぶがいい」

「シュエか、わかった。じゃあシュエ。頼みがあるんだ」

 氷極の切り替えの早さに、シュエは少し退屈そうに目を細める。

 が、すぐに頷いて続きを促した。

「俺を貴方の旅に同行させてほしいんだ」

「ほう。同行する理由は仲間と合流する為かの?」

「……その通りだ。恥ずかしい事だが、今の俺には知識も情報もない。戦えるだけの素寒貧など行き倒れるだけだ。だから、貴方に頼らせてほしい」

 シュエは懐からおもむろにキセルを取り出し火をつける。あえて氷極から目線を逸らして、呆れと共に煙を吐き出した。

「ならば取引じゃ。ぬしは対価に何を支払う?」

「俺が貴方の剣となろう」

「こう見えて、守られるほど非力な獣ではないのだがの」

 燃えカスを要領よく落としながら、不満げにシュエは言い放つ。

 氷極はかぶりを振った。

 彼には確信がある。長年の戦場で培った経験は、彼女が只者ではない事を訴えていた。そんな強者を前にこの取引は、戯言と切り捨てられるのも当然だ。しかしあえてこの条件を口に出したのは、シュエが湛える緑の瞳に映る算段があるからだった。

「貴方が戦わなくていいようにする。ここら一帯の危険は全て引き受けよう」

 目論見通り、シュエのキセルを持った手が止まる。

「正気かの? 先ほども言ったが凶暴な生物が多い一帯じゃ。広くもないが、狭くもないこの場所で情報に疎いぬしが戦い続けるのは、目的と矛盾しているとも考えられぬのか?」

「あぁ、生還するのが目的だ。けど、手段を選り好みできないのも事実だ。なら俺は、危険だが確実な方に賭ける」

 氷極は拳を握る。

 E5も大事だ。だが、先導者がいなくては集団はまとまらない。上手くやれても、きっと一時凌ぎだ。グレイ・ジャックの捕縛に成功しても、していなくとも導く者が責務を全うしなければ次のステップには進めない。

 先へ先へ、前を見なければ決していい結末は掴めないのだから。

「……俺には大した目的はない。だけど、組織の在り方には準じられる。だからこそ、それが目指す未来の為に、俺は帰らなければいけない」

 シュエは氷極を凝視する。

 その熱量、その覚悟、この男の言葉は信用できる。口だけの浅さは感じない。だが同時に巡る打算もあれば、その覚悟を無下にするのも自分とは相反している。

 それにシュエにも成さねばならないことがある。故に……。

「いいじゃろう。好きにするといい。近くの人里まで同行させよう。ただし、約束を反故にすれば、分かっているの?」

「もちろんだ。俺はそんな薄情な事はしない」

 それは裏切り前の常套句じゃろう……。

 シュエは必死なあまり言葉を選ばない氷極を見て出そうになった台詞を飲み込む。

 ほぼ無表情なので、彼の感情を読み取ることは難しい。

 だがその真正直さは偽ることさえ困難にしているとシュエは感じていた。

 氷極は必要な隠し事はできるが、本音は正面から発露してしまう。それは彼が内側と向き合い続けて得た人格だった。

 それを知ってか、知らずかシュエは顎に手を当て彼を見つめていた。

 

 

 

『続』