「星撒きの、巫女?」
大人びた少女の顔と、その名前を聞いてアルデスの思考は行き詰まる。
巫女と呼ばれた少女はくすくすと、からかうように笑う。
「聞いたことないかな? 私、夢でそう言ってなかった?」
「……そんな事は一言も言ってなかった」
「そ。まぁ本名じゃないし、いいんだけどさ」
巫女は興味を失ったように言うと、軽そうな体をベッドへと投げた。実際、羽根よりも軽いんじゃないかというほどの身軽さだ。
「君の質問に答える前に、まず君はもっと自分の事を知るべきだよ」
「俺の、こと?」
「そう。そうじゃないと話は始まらない」
その言葉が彼の記憶を辿ると、今までの疑問が一気に浮かび上がる。
ずっと気になっていた。
アルデスは自分が何者なのかを。
実際、彼には"入団以前の記憶がない"。
気づいたら大木の下で、朗らかな陽の光に包まれていて、何かに突き動かされるようにナイツロードへと入った。
そこから血の滲むような研鑽を積んだ。その先に、一体自分は何を見ているのかすら考えず。だからこそ、あの映像はアルデスの心に大きな爪痕を残していた。
この映像が自分にとってのなんなのか。
そしてこんなにも早く真実はこちら側へと歩み寄った。
大した目的に囚われない生き方に色を与えた映像の真相。
アルデスは興奮と焦燥に駆られる。
「教えて欲しい。俺は、俺は一体なんなんだ。あの映像は、俺と何か関係があるんだよな!? そもそも、なんでその映像のことを君は知ってるんだ!?」
「どうどうー。順番に話すから。ね?」
早まるアルデスを手振りで諌め、自重にうつむく姿を見て巫女は微笑む。
「……それで、俺のことって?」
目線を持ち上げると、不思議な空気をまとう巫女が語り部のように見えた。
「君はね、要は英雄の姿を借りてるんだ。その時に英雄の意志と、英雄の能力も継承した」
「意志、能力……待て待て、話が飛びすぎだろ!?」
「飛んではないよ。君が何故借りてるかまでを話すと、君は君でなくなるからね」
友達口調とはちぐはぐな内容すぎる。
そんな巫女の自由さに、アルデスは内側の熱が奪われていく気がした。
「……それで、その意志と能力って?」
「身に覚えがあるよね? "螺旋極光"のことだよ」
その言葉に思わず息を飲み込む。
もちろん、忘れるはずもないだろう。
あの鮮烈な七色の輝星を。
そこから生み出される技。その根幹となったのは、絵の具のような心任せの選択肢。
"天奈落"も、それを混ぜ合わせる形で成し得た技だ。自分が何故、"そんな技術を有しているか"という疑問すら沸くほどに、すんなりと出来ていた。
螺旋極光は巫女の言う英雄と繋がっているのか。
アルデスが感触を確かめるように手を握る仕草をすると巫女は満足げだった。
「……確かに螺旋極光は、イメージが常に頭の中にあったようにも思う。でもなんでそれを疑問に思わなかったんだろう」
「そうだねぇ。まず君個人の力では再現不可能な技ができたのは、君の中に英雄という情報が主語を引っこ抜いて存在してるから。そして、君は英雄が不在という正体不明の"欠乏"を埋めるためにひたすらに自分を磨いてるとも言える」
足りない、足りない、まだいける。まだ自分は成長できる。
あの泥沼な向上心は、その欠乏を満たすためだった。
その本質に触れた事で、アルデスは唇をキュッと噛む。努力を否定された訳ではないが、その由来は元々の自分に依存したものではなかった。
「そもそも、君はその英雄に託された目的と使命があったんだ。君が見た映像はその鍵の部分。それを受け継ぐ事を了承したから、君はその姿を借り受けてる」
「目的……だって?」
「そう。"たった一人の少女を救う"。ただそれだけのためにね」
英雄は一体誰を、どんな少女を救おうとしたのだろうか。
そもそも少女という単語に心当たりがない訳ではない。あの映像がまた蘇っていく。
アルデスはかぶりを振った。
そんなあいまいにしたところでアルデスの脳は完全に理解してしまっている。
だが、問いかけられずにはいられなかった。
「それは一体、誰なんだ?」
「いいの? 本当に君、戻れなくなるよ」
「いいのって……君が言い始めたんだろ」
「はは、そっか。なら責任は持たなくちゃね」
少女は起き上がる。
足をバタバタさせて、もったいぶるような態度にアルデスは苛立ちながらも、少女は彼を見下ろすような視線を向ける。
薄い暗闇に飲み込まれそうなほど切ない声色で、アルデスの運命を左右する事実を告白した。
「君が救うべき人、それはね……"私"のことだよ」
ーーーー
「……」
漆黒の帳。空を染める一帯の光が失せ、瞬く星々がその暗き地を照らす。唸るような風がしきりに吹き、そしてこの"街"にも冷たい風が夜気となって静寂の空気をまとう。そんな夜よりも濃い黒に包まれた路地裏に、不相応な少女が立ち尽くす。
風の心地に打たれながら、足元に漂着した月光と血溜まりを見て、少女は無感動に瞳をまたたかせていた。
「被検体35。貴様には何が見える?」
背後の暗闇から、一人の男が問いかける。
紫煙が闇にたゆたう姿を一瞥して、被検体と呼ばれた少女はぽつりとこぼした。
「……空。満天の闇。それを支配する、英雄」
「ふむ。その英雄とは誰を指す?」
「……分からない。何もないところから、ふわっと沸いた」
近くの建物に、男は背を預けた。
「なるほど。やはり言語化できる程の知力は不可欠か。上の連中は労力を毛嫌うだろうが…」
「空。空、闇闇。一つの光」
「……これは早急な案件だな」
男は興味深そうに、そのサングラスの奥の瞳を輝かせる。
全ては王への献身。全ては玉座に到達するため。男の脳内ではそんな欲望が渦巻きながら、理知だけは切り捨てていなかった。
「さて、どうだ。そこのクズを殺して何か掴めたのか?」
血の海で動かなくなったものを見て、少女の口角は一気に上がる。
「別に何も」
「貴様……殺しに愉悦を覚えているのか?」
「愉悦?」
少女は皺のよった頬を撫でて、自分の感情とを照らし合わせる。
この死体は人身売買を商いとしていた。故に人情より金を重視していた。世間で謳われる悪。欲望によって歪まされた人間。
それを殺すことで是正された、世界。
少女はその事実を頭の中で何度も何度も、味わう。無味になるまで、乾燥するまで、それなのにいつまでもこの高揚は治らない。
「バグ……ゼルディス様の細胞が影響を与えているのか。やはり一度解体して、変異を記録に取るべきか……」
男は唇に手を当て思考する。だが、ここで結論を出すのは早急だ。
「撤収だ、被検体35。お前の性能実験はここで終わ…………っ!!?」
即座に男の言葉と思考は断ち切られた。
少女は男の反応速度を上回り、その首根っこを掴んでみせる。華奢な腕からは想像もできない程の膂力だった。
「貴様っ!! なんのつもりだっ!? 逆らうつもりかっ!?」
「……あの"英雄"は、こうしてたっけ」
「なにっ……!?」
男は驚愕する。
この被検体に一体何が起こっているのか。何よりこの少女に宿るのは反骨精神ではなかった。圧倒的な、"悪を滅するだけ"の独善。自己満足、承認欲求。年相応の欲望が歪な正義と自我を手に入れて、満面の笑みを咲かせている。
この被検体がいずれ我らに牙を剥く。
危機感に男は得物を取り出そうとするが、少女の髪と頬骨が変形した鎌となって武装を絡め取っていた。
「貴様ァ……ッ!!」
怒り。自らの栄光を阻害する邪魔者。
男は敵意を剥き出しにすると、少女は落胆するように肩をすくめた。
「……ダメ。貴方じゃ、私の心はダメって言ってる。もっと、私はあれに近づきたいの」
「なんだと!?」
「役不足」
少女は男を髪で再度拘束して、振り返る。
その表情は恍惚を得ていた。
脳裏に焼きついた、あの姿を忘却することはない。
虹が広がるその最中、たった一人が孤高に立つ"人の極致"を。
その映像を反芻して、高らかに両手を広げる。
子供が夢を語るように、満ちた月へと歪んだ誓いを無邪気に告げた。
「私は、"英雄"になる」
グシャリと、肉が弾ける音がその場に反響した。
プロローグ『終』