雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

Enigma 四話

様々な匂いと色が空気と地面に立ち込めていた。見晴らしの良い野原に、花々が群生している。人はこのような景色を、花畑と呼称するらしい。

 心地の良い風にうたれながら、私は花に意識を奪われる娘を無感情に見つめる。

「勘違いはするな。植物は水や肥料、陽光がなければ活力を失う。人間も恐らくそうなのだという判断の下。決してお前のためではない」

 娘に対してのつもりなのに、誰もいない虚空にその言葉を投げていた。先ほどから自分の様子がおかしい。

 それに気づいては、私は肩をすくめた。

 娘は膝をついて一凛の花の匂いを嗅いでいる。するとその可憐な動作をする娘には不似合いな特徴に気づいた。

「お前は汚らわしいな。服も髪も、会った時のままで見苦しい。……少しこちらを向け」

 私は片膝をつき、娘の額に触れる。清浄の魔法は瞬く間に汚れを消し、そこには美しいと呼べる部類の少女がいた。

「ありがとう」

「人間の礼に価値などない。思い上がるな」

 私はそのまま娘の隣に座り込む。

 同じく座る娘の警戒心はどこへやら、広がる花々をずっと見つめていた。

「そんなに花が珍しいか?」

「うん。花畑って絵本でしか読んだことなかったから」

「随分と、狭い世界だったのだな。あの村は」

「……どうだろ。狭いとか広いとか、考えたこともなかった。私にはお姉ちゃんがいたから」

 私は姉という存在は娘の根幹であることを悟る。

「姉をそこまで慕う理由はなんだ。お前には父も母もいるはずだろう」

「ううん。私にいたのはお姉ちゃんだけ。二人とも、死んじゃったから。だから、お姉ちゃんが私を守ってくれたの」

「守る……? お前はあの村ではどう扱われていたのだ」

「違うよ。村の人はみんな優しくて、親のいない私たちをいっぱい助けてくれた。だから、不自由とか、憎いとかそんなのはなかった」

 それはどこにでもあるものだった。しかしこの娘はどう思い、どう感じていたのだ。

 どんな気持ちと秘密を抱えている?

 私は気になり、続けてしまう。

「姉はお前を、何から守ったのだ」

「……村長」

「村長?」

 意外な権力者に私は少し驚く。

「私ね、まだ子供だけど頭はいいって周りから言われてた。落ち着きがあるとか、すぐ馴染めるとか、物覚えがいいとか。だから村長はそんな私に目をつけて、貴方たちVICEに売ろうとしてたの」

「売る、か」

 考えれば我々の占領後に他の村々との交易が困難になるのは必然だ。娘一人が売られて、村が延命されるのなら、村長も苦肉の策であったのだろう。恐らくあの村はそのようにして、食い繋いだに違いない。

 娘は膝を立て、両脚を組みながら顔を埋めた。

「では、なおさらお前には私に復讐する権利があるな」

「……どうして?」

「私があの村を襲わなければ、お前は他の派閥に所属し、才能を見出された暁には優遇されていたかもしれない。何よりお前の大切な人間を殺戮したのだ。恨まれても、憎まれても、それは自然なことだな」

「分かんないよ。どういうことなの、それ」

 説明する気にもなれず、私と娘の間に重い沈黙が横たわる。小鳥のさえずりと、植物のさざめきが、次第にその空気を和らげていく感じがした。

 私は下を向いたまま、娘の核心に触れてみることにする。

「……お前は、言葉という形にできないのではなく、我慢をしているだろう」

「……」

「おかしいとは思っていた。ゼルディス様の玉座にいた時も、拠点にいる時の落ち着きぶりも。少女にしては図太すぎる。お前は我慢強いだけの、ただの娘だ」

 娘は沈黙を保つ。しかし、小刻みに震える手足はそれを事実と証明しているようだ。

 私は呆れたような口調で娘へと断言した。

「言っておいてやる。私は理解できないし、決してしようとも思わない。同情も共感もしない。……だがな、尊重くらいならしてやれる。自然とは一方的な搾取ではなく、お互いの尊重があるからこそ成立するもの。社会や世の中も恐らくその理屈に則っているはずだからな」

 娘は顔を上げて、懐疑をこちらに向ける。

 人の世界を破壊する存在が、人の作る仕組みを語る。娘からすれば困惑ものだろう。

 それなのに娘の顔に今度は見たこともないような柔和な笑みが浮かぶ。

「……貴方、ほんとにVICE?」

「どうだろうな。お前のせいで私は私自身を疑い続ける羽目になっている。今の私が派閥に相応しいかと問われれば否というだろうな」

 私は現実から遠ざけるように瞳を閉じる。

 この娘は普通の人間だ。どこにでもある悲劇を背負い、どこにでもある死を迎えるはずの。

 だが、私はこの娘に情が移りかけている。あの瞳と、声と、願いが。何よりこうした会話で得られる人隣りによって。

 殺し合う世界に身を浸し、人を嘲り続け、それ以降に苛まれる罪悪感は私に苦痛を与えた。自分はその正体に見て見ぬ振りをして、ただ我が御心を想い臣下として忠誠を尽くし、自分を肯定した。我が御心への冒涜は私の本意ではない。

 だが、そんな罪悪感は目の前の娘の存在によって安らぎを得ている。

 そうだ。同胞を超え、人にすら温情をかけてしまう私は、どこかで償いたかったのだ。失われた光も闇も、きっと命の輝きに満ちていたから。

 その理解の痛みを私は捨て去る事ができない。

 だが、それは不要でもある。我が御心は絶対。故に、この気持ちは派閥の体面に泥を塗る。それが創造主に対する、被造物からの返しとは到底私には思えないのだ。

「……ねぇ、どうしたの?」

 思考を巡らすうちに、時間も流れたらしい。

 私は忠誠と娘の狭間に揺れながら、物思いにふけった自分を鼻で笑った。

「気にするな。お前たち人間には遠く及ばぬものよ」

「うん、そうだね」

 そうしてまた沈黙が流れる。少しだけ雲も出てきた。

 灰色が混ざり少し不気味な模様だ。私には恵みだが、娘には行き過ぎれば毒だろう。

 私が拠点への帰還を促そうとした時、娘が唐突に切り出した。

「尊重してくれるって、本当?」

 繰り返すように淀みなく娘は私に言う。

「私は自分の言った事にちゃんと責任は持つ」

「……なら聞いてほしいな。私の本音」

「好きなだけ吐け。何度も言うが……」

「同情も共感もしないんでしょ」

「弁えているのならいい、話せ」

 多少は柔らかくなった表情の娘は、しっかりと言葉を紡ぎだす。

「本当はね。憎いよ。殺したいくらい、憎い」

「当然だな」

「うん。でもね、子供の私一人じゃ復讐なんてできない。私に残された魔法じゃ、貴方たちに届かない。だから、約束を理由に貴方についていった」

「……ふむ。それが真意か」

 娘は首を振って、否定する。

「約束は嘘じゃないよ。でも、復讐したいって気持ちも本当。私、どっちもしたかった。貴方たちを倒して、お姉ちゃんと再会して平和に暮らしたい。それが、今の私の本音」

「……では最終的に私も殺すか」

「どうかな。分かんない。でも私は貴方を殺したくない」

 風で花々が波打つ。

 共鳴するように、私の心は再び複雑になっていく。

「私はお前が一番に狙うべき仇だろう。殺したくないというのはただの理性だ。我慢は無用だと私は言ったはずだがな」

「我慢してると思う? 私は貴方を見て、知って、そう思った。だからこの気持ちもきっと嘘じゃない」

「……甚だ、理解ができん。人というのは難しいな」

「そうかな。貴方は人じゃないけど、私みたいに喋れるし、考えてるよ。だから貴方にも分かる」

「分かる……か。その理屈も、ある意味では正しいのかもしれん」

 私はその真実を知り、より人間が分からなくなった。仇とは人の倫理やルールを曲げてでも、成し遂げるものだという認識だった。どれだけ見知った仲でも、自分を殺し続け、目的を達するとも。

 目の前の娘はそうではない。本当に私を善良な存在だと信じている。私はそのような思考への悲しみと、呆れ。何より、悪という仮面を被る自身の自尊心が剥がれていく感覚に陥った。

「……私に、本当にそんな時が来るのか?」

「来るよ」

 娘は突然私の巨大な手のひらを華奢な手で温もりに包んだ。

 体温という感覚を与えられるからこそ、私は初めての触感に身を委ねてしまう。

「貴方は優しいから。人である私を守ってくれた。あの王様からも、貴方の仲間からも。それが顔とか動きにずっと出てるのわかる?」

「それは……私の管理ミスで他の分体や私の評判に響いたら困るからだ。……決してお前のためではない」

「でも王様の所にいく前に私を待たせようとしたのって、王様の機嫌が悪いのを知ってて、私が殺されるの避けようとしたからだよね?」

「……それと、他分体への配慮だ。我が御心は聡明であられる。益があるかどうか、見極めるまでは手は出さない。他分体にもその意志は共有される」

 結果的に我が御心は、娘の力を直視して判断された。今思えば、待機すれば逆にリスクは高まっただろう。

 そんな分かりきった事実を振り返り、私は沈んだ。

「だから、そんな優しい貴方を殺したくない」

「好きにすればいい」

「うん。好きにする」

 私に向けられる心を許した笑顔。少しむず痒い。

 すると娘は何か思いついたように私へと問う。

「そういえば名前聞いてなかった。ねぇ、名前はなんていうの?」

「……ラファレア。『八殖星』の幹部が一人」

「ラファレアね。いい名前」

 私はまた目線をずらす。

 友人と言われても差し支えない関係。縮まりすぎた距離感に、私は動揺する。

 しかし、名前を問われたのならこちらも問わねばなるまい。

 私は娘へと喋りながら顔を向ける。

「娘、今度はお前の名前を……」

 次に私が見たのは、花々の中に倒れ息を荒くする娘の姿。花が手折れるようで、細い手足は熱を帯びていた。

「……このままではいかんな」

 私は娘を担ぎ、拠点へと足を急がせた。