五話
「栄養失調」
人間の構造について造詣の深い分体は、ベッドに横たわる娘を一瞥して言った。
私も同じく、細めた瞳で娘を見やる。
「とりあえず必要な栄養分は補った。心配はいらん。だが、人間には"食事"という行為が必要不可欠だ。その栄養を摂取するためのな」
そう語るのは私とは長い付き合いとなる分体。幾度と窮地を救ったせいか、恩を返すとやたらと気負っている。
私も申し訳なかったが、しかし頼れるのはこの分体しかおらず甘えることにした。
「……そうか。私も気が回らなかった」
「気が回らんというより、君は植物を核とした分体だろうに。自らの常識や習慣を照らし合わせる機会なんてのはそうそうない。いい経験だったと思えばいいのさ」
そう軽く言う医療分体……と呼称する個体は回転式の椅子を回しデスクで何かを書く。
すると、私にその資料を手渡してきた。
「ゼルディス様もお許しになっているんだろう。ならば、物資の班にも話は通っているはずだ。そこに書いてある食料を調達させろ」
「……何から何まですまない」
「気にするな。僕は君に何度も救われた。……人への嫌悪はもちろんあるが、それと恩を返すのは別のことだ」
腕を組んで気楽に語る医療分体への申し訳なさに、私は力無く頭を垂らした。
医療分体は私の肩を手で軽く叩き、再び椅子に背中を沈める。そして、穏やかに寝息を立てる娘へと興味深そうに体を向けた。
「君は、本当にバカだ」
「……わかってる」
私の声はやけにか細かった。
「優しさってのは、度が過ぎれば自分の首を絞める。けれど、それは他の分体にはない君だけのものだ。尊敬はする。だが、ゼルディス様が絶対である限り、僕らは君の行為を糾弾し続ける定めだ」
「あぁ……」
「だからこそ僕は忠告する。……今ならまだ間に合うよ。あの少女を殺せば、少なくとも派閥内での立場は保証される。命令違反だけれど、ゼルディス様の本意を考慮すればその方がずっと君のためになる。戻れなくなる前に思いとどまるべきだ」
真剣な声質で医療分体は私を諭す。
まだ引き返せる、と言われればその通りかもしれない。殺さずとも、何らかの処置を取る事を求めれば、我が御心が別の利益を見出し、丸く収まる可能性だってあるのだ。その場合、娘の命も安全も保証されなくなる。
その事実が私を苦しませていた。私の面子か、娘の命か。
しかし……花畑での会話で私は諦めていた理解と、自らの痛みの正体を直視してしまった。それもあり、次に出る言葉既に決まっている。
「私は我が御心の命令には背けない。それが私の忠誠心の在り方なのだ」
「……回りくどいね。君は自分よりも、あの人間の少女を取ると」
「見方を変えればそう捉えても不思議はない」
医療分体は脱力したように、右手を額にあてため息を吐く。
「本当に大馬鹿野郎だ。あの少女のせいで君がぬるま湯に浸かったせいなのか、それが君の本質なのかは分からない。……近い将来君はその選択を必ず後悔することになるぞ」
「後悔、か。しないとは言い切れないのが、私の弱さだな」
そんな軽い自嘲を冷たく突き放すように、医療分体は軽薄に私へと背を向けた。
「……すまないが、金輪際君とは会いたくない。恩を仇で返すようだが、僕にだって派閥での立場がある」
「……分かった」
これは自分の選んだ道だ。それ故に孤立していくことも自明の理だった。ここに来るまでに注がれた同胞からの敵愾心にも気づかないわけがない。
徐々に私は派閥での立場を失っていく。やがて、幹部の称号も剥奪されるだろう。
戻れなくなる、医療分体はそう言った。だが、私があの娘と出会った時点で、私は失墜する運命だったのだ。
しかし悲観も、絶望もなかった。
娘の心からの笑顔、罪悪感、償い。積み重なった私の感情は、不足したピースを埋めていく。
その苦痛と解放感に自身が囚われていることを、私はまだほとんど理解できていなかった。