ナイツロード拠点の医務室。
薬品の匂いが漂う中、一人の女性が扉を開き中へと入ってくる。担当医に話しかけて場所を聞き、左から二番目の真っ白なカーテンに覆われる隙間へと緊張な面持ちで入っていく。
そこには、包帯やガーゼだらけの痛々しいアルデスが眠る姿と、椅子に座り彼を見守るリリがあった。リリは気配に気付いたようだが、振り返るつもりはないらしい。
セナは困ったような表情で言葉を絞り出した。
「アルデスくんは、どう?」
「……大丈夫そう。致命傷は避けてたみたい。安静にすればすぐに回復するって」
「そうか……」
セナは沈みきった表情で二人を見やる。
後ろ姿のリリは包帯だらけのアルデスをずっと見つめている。しかし、無視をするつもりはないらしい。
「そういえば大丈夫なの? こんな騒ぎになって、お姉ちゃんは」
「あぁ、謹慎処分だけで済んだ。向こう三週間は教官の仕事はない」
再び重い沈黙が二人を囲う。何を喋ればいいのか、あれだけのこともあって整わない感情が常に二人を乱していた。医務室の真っ白な空間が、余計なノイズにもなっている。
するとリリは一つの記憶を皮切りに、平板な口調で言葉を零す。
「……お姉ちゃん、仲間がいたんだ」
「え?」
「私、模擬戦を最初から見ていたから……全部聞こえてたよ」
セナは気まずそうに視線を下に向けた。
「あぁ……訓練科時代の学友だよ。今も同じ分隊に配属されてる。しかし、そうだな。私は現実から逃げたと言われても、何も言い返せない」
リリは返答せず、セナの言葉を待った。
「私がリリとコンビを組んでいることは周知の事実だった。卒業後の進路際、それでもと私は学友たちに同じ分隊への所属を強く誘われていた。それを断りきれなかったのはひとえに、私の弱さだ」
「……悩まなかったわけ?」
「悩んださ。ずっと悩んでた。でも結局、天秤にかけてしまった。あの時、既に私たちの間にあった溝を見て、私は解散に同意し逃げてしまった。それにもうリリに合わせる顔はないと」
「でも、お姉ちゃんはその後も私に話しかけてた。色んな感情はあったでしょうけど、姉妹の縁だけは切っても切り落とせなかった。そういうことかしら?」
「……敵わないな。お見通しか」
不器用な姉である。精神も弱いし、なんだか気持ちが悪い。
リリの中でそんな悪感情が巡り巡るものの、寝息を立てるアルデスの表情を見ているとそれもゆるやかに鎮まり頬も綻んでいく。
「……でも、お姉ちゃんの本音が聞けて、よかったよ」
「え?」
「苦しんでるのは私一人だってずっと思い込んでたから。お姉ちゃんの背景を知ろうともせずに、自分だけの苦痛に酔ってた。私も充分、気持ち悪いことしてたわ」
セナはそれを否定する程の言葉を持ち合わせていなかった。それはセナにも言える。自分だけの苦痛に、自分だけが酔いしれていた。姉妹であり、共有できたはずのものをずっと内側で腐らせてしまっていた。
それを自覚した時、セナの窮屈だった感情が解れていく。
リリは、胸の内を一つづつ赤裸々に語り始める。
「ずっと見栄を張ってたの。私だってたくさん悩んだ。苦しい思いはいっぱいした。でも、お姉ちゃんの顔がいつもいつも頭に浮かんで、それが嫌で辛く当たってた」
「リリ……」
「私も姉妹の縁なんて簡単には切れないよ。だって生まれた時からずっと一緒で側にいたんだもん。……でも、置き去りにされて気持ちのやり場がなかったのは本当。もう一人ぼっちなのは嫌。孤独も嫌。そんな気持ちが弱さになって私は醜くなった。けど」
リリは愛おしそうにアルデスの頬に手を添えた。
「それを知っても、それを分かっても。それでも私に寄り添ってくれる人がいた。側にいてくれるって言ってくれる人が。だから不安はあるけれど、この人と前を向いて歩きたいって今はそう思う」
変わった、リリは成長していた。アルデスという少年との出会いが彼女の変化を後押ししていた。
それがなんだか感無量で、それなのに嫉視してしまうセナは苦笑を滲ませ傾聴している。
「……でも、私はまだ整理がついてない。アルデスを殺そうとしたのも、過去のことも、まだ許せないことはいっぱいある。でもね、今の自分は心からこう思うよ」
リリは椅子から立ち上がり、セナに向き合った。その表情に、敵意はない。あどけない笑顔を浮かべ、腰の後ろで両手を結ぶ。
「私はお姉ちゃんと、また姉妹になりたい」
やり直したい、また一から姉妹として。
その言葉にセナは口を震わせる。溢れる感情を飲み込もうとするが、解き放たれた心はポロポロと自分自身をこぼしていく。
「……っ、私も、私もっ……リリが許してくれるのなら、姉妹としてっ、もう一度やり直したい……!」
「うん。もちろんだよ、お姉ちゃん」
長年塞いでいた姉妹の壁が、崩れ去った。
様々な想いや、様々な思惑が入り混じり、やがてその闇の中で不気味な芽が出ていたかもしれない。
だが、その華はもう咲かない。
代わりに、美しい二凛の華が咲き誇る。
お互いの弱さを知り、それでも支え合うようにして花弁を開く、強かな華が。
もう、一切のすれ違いなんてない。
同じ色の彼女たちは手を取り合い、一歩一歩を着実に歩むはずだから。
二人の混じり気のない笑顔に、光が差した。
○○○
〜ユースティア北部ノルフェイン大陸〜
『贋』の派閥
拠点
最奥部"玉座の間"
「良い、面を上げよ。"凶星"」
漆黒のオーバーコートを羽織る男が顔を上げる。かけられた眼鏡と、その瞳の奥で静寂に揺れる知的な灯火は、仄暗い雅量を纏う。
今も恭しく跪くその様は、視線の先にいるはずの主に向けられた忠誠に限りない尊大さを付加していた。
「王よ。拝謁の栄、誠に喜ばしく」
「前置きはよい。して、妾に何用じゃ」
鷹揚に扇子らしきものを扇ぎ、王は下目に男を映す。
この"玉座の間"は特殊だ。
豪奢な飾りで満たす広間と、王が君臨する玉座までは、何十段も積まれた階段が存在する。そこを昇れるのは王と王が許可した人物のみである。同じ空間であるはずなのに、天と地という二つの性質が人為的に跋扈していた。
故に謁見の際、配下は階段を昇らずその前で傅くのが基本なのだ。
玉座には薄いピンク色のカーテンが囲っており、王の尊顔までは拝謁できない。黒色のシルエットだけが、王の挙動を知る唯一の手掛かりだった。
「恐れながら、私めに発言の許可をいただきたく存じます」
「許す」
「ありがたきお言葉、恐縮致します。兼ねてより我が派閥は英雄機関やナイツロードなる集団との戦闘を行っていますが、そこで一点だけ報告したい事案がございます」
「ほう……?」
王は多少の関心を示すものの、扇子は涼やかに煽られている。
男は何も臆することはなく、淡々と言葉を放った。
「王が探し求める相手……あの"英雄"に関する情報が手に入ったのです」
パチン、と扇子を閉じる音が玉座の間に大きく響いた。
「……のう、凶星よ。妾はお主を信頼しておるのじゃ。故に幹部という重要な大役を付託した。今後もお主の働きに大きな期待を寄せておる。しかし、じゃ」
玉座に頬杖をつき、糾弾するように長い爪で男に指をさす。
「あろうことかお主は、その大恩を忘れ妾を詰っておる。よいか? お主らに見えているものは、妾には既に見えている。それを心得、発言せよ。それとも……」
一気に空気が豹変する。毅然とした態度と口調でありながら、立ち昇り渦巻く魔力からはその苛烈な情動を滲ませていた。
「お主を認めた妾の眼を節穴にすると……更に、妾を詰るつもりかえ?」
男の背筋に汗がつたう。
不用意な発言であるというのはハナから承知している。この事態も容易に予測できた。
だが、男は賢い。王の逆鱗に触れたとしてもそれを覆すくらいに情報の質には自信を持っていた。そうでなければ、こんな下手を打つ真似などするはずもない。
男は鼻でゆっくりと呼吸をし謝罪する。
「滅相もございません。迂闊な発言で王の名誉を傷つけた愚かな私をどうかお許しください」
「……良い。妾も窘めるはずが、幾ばくか過剰であった。あの英雄を想起すると、どうにも感情が先走る。短慮な妾を許せ」
「ありがたきお言葉」
男は頭を下げる。地面につけていた拳が、震えているのが見えた。
「して、あの英雄の報告か。……報告することを許可する。多少、興味はある」
「ハッ……件の英雄ですが、王の一撃を食らっても尚生き延び、姿を消したというのが最終報告でした。しかしここ最近、新たな報告が挙がったのです」
王が男を見据える。カーテンのせいでその表情は分からない。何を考え、何を思い、何をしようとしているのか。派閥の総意はそれを聞きどのような瞳をするのか。
男はそんな雑念を振り払い、報告を行った。
「その英雄は、"転生"したらしい、と……」
「……なに?」
王も予想外であったのだろう。平板でありながら、声色に滲んだのは驚愕だった。
「転生先の目星はついているのか?」
「……いえ。ただ、転生先の肉体はどうやらナイツロードに所属しているらしい、ということまでは掴んでおります」
王は黙考する。
指を下唇に当て、静かに総意を整えていた。
やがて覇気を宿した声で、王は男に向かい言葉を投げかける。
「"凶星"よ。確か、西部の大陸に我らの戦線が構築されていたな。多くの戦士が配備されていたとも聞く。恐らくナイツロードとやらの集団もいるだろう。そこに向かい、件の英雄と思しき者を発見した場合、生け捕りにせよ。そして我が玉座の前に引きずり出せ」
「御意」
「下がれ」
凶星と呼ばれた男の姿が瞬時に消え失せ、王はゆっくりと独りごちる。
「……面白くなってきたのぅ」
王はニヤリとその口角を不気味なほど吊り上げる。そして腹の底から湧き上がる感情に堪えきれず一人高笑った。酷薄で残虐な空想が、王の気持ちを染め上げ、満たしていく。
「決して逃すものか。貴様だけは、絶対に」
大いなる闇が、蠢動する。
Road of Revive 螺旋極光
『完』