風。いや、風そのものだ。彼女の初動は、姿が煙のように吹かれ、溶け、そして風と同化した。
しかし、アルデスは即座にセナを形として捉えることを諦める。
代わりに五感を研ぎ澄ました。
衣擦れ、臭い、足音、風の流れと動き……脳に与えられる情報をフルで読みに動員する。相手の詳細な情報がない限り、気配や直感で勝機を見出すしかない。
そして彼女が狙う場所を見定め……。
「そこだッ!」
セナの攻撃位置、なんとそこは真正面であった。鉄と鉄がぶつかり、お互いの膂力が弾けて押し合う。
彼女は風と同化する。大げさな仕掛けだが、その細工を鵜呑みにする相手の読みの裏をかくのだ。
「へぇ。意外と初見殺しの技の一つなんだけどね」
「一つって……不穏な言い方やめてくださいよ」
「どうかな? ただ君の動きは鋭く、速い。少しナメていたよっ」
セナはガッツリと踏み込む。アルデスはその力に逆らわず、剣を受け流した。
そしてハッと気づく。そんな簡単に、セナが悪手を踏み抜くのか? その答えは、彼女がアルデスの足元で体勢を整え、足を払おうとする姿が物語っていた。
このままでは掬われる……寸前、アルデスは剣を床に刺しこみ、それを軸にして自分の体を上空に投げうった。流石に強化魔法を若干入れてないとできない技術ではあったものの、手はなんとか柄頭を掴んだままだ。
「あんまり、見せたくないけど……ッ!」
アルデスは魔法を使う。セナにもそれは見えていた、がその光景に目を疑う。
彼は大股で三歩、空中、つまり"虚"を渡ってその勢いにセナへと蹴りを放ったのだ。
意表ではあったが、セナの判断能力を鈍らせるには至らない。蹴りを躱し、退歩して、間合を取った。
「へぇ。面白いことするね。君」
「いやぁ、でもダメですね。魔力がどうにも分散しちゃうんですよ、これ」
「興味深いね。その技は君のオリジナル?」
「いや。偶々、英雄機関の人と話し合う機会があって、所属してた獣人がやってたんです。確か、"虚渡り"だったかな? でもやっぱこれはあの人の特権ですね。魔法で再現なんておこがましいや」
突き刺した剣を抜いて肩に置く。
あれだけ神経を使ったのに、双方いまだに息一つ切れてはいない。だが、青臭さというものはどうにも拭えない。
アルデスはセナの実力を見誤り始める。
数回剣を交えただけで、それをセナの本物を見た気になったのだ。
彼女の余裕な笑みにふと冷静にはなるが、まだ自分はできると、根拠のない自信で再び剣を構えた。
「今度は、こっちから!」
真正面から間合いを詰める。自強化の魔法を帯びて、その速度は人離れしている。およそ二歩駆けて、剣と剣は火花を散らした。
剣戟が訓練所を満たす。攻守が物凄い勢いで切り替わる剣戟の中で、二人の間にどれだけの打算があったのだろう。
そう予感させてしまうのに、その実セナは既にどこで区切りをつけようかと冷めた心持ちで悩んでいた。考える猶予のある剣戟……ただ懸命に糸口を探るアルデスとは対照に、セナの静心はどう彼に傷を残さない幕引きを与えてやるべきかを思考する。
それは、絶望的な、"開き"だった。
セナは思いついたのか、一薙ぎの軌道でアルデスの剣をいなし、そして冷徹な刺突で彼との間合いを計る。
なんとかアルデスは剣で受け止めたが、その勢いで後方に吹き飛ばされ壁に衝突する。
「いてて……」
頭を手でさすっていると、目の前にはセナの切っ先が喉元に影を置いていた。
「さて、まだ立つかい?」
ニコリと涼しげに笑む。
その表情にアルデスは目を見開いた。そしてなにより自覚を得た。
この人は、この戦いに何の"意味"も見出してはいない。ただ足下にいた蟻に、何気なく気が向いて構ってやっただけなのだと。
絶望だった。しかも、彼女は自分よりももっととんでもない存在を相手にしているのだ。自分たちも将来、その相手に対して剣を交える機会が訪れるのだと、より強い確信がアルデスの脳を揺さぶった。
「あぁ、これは……」
グッと唇を噛みしめる。鉄の味の広がりを覚えながらも、ゆっくりと立ち上がる。
そして何故か、彼の頬には自然と笑みが浮かんでいた。
「立ちますよ。どれだけ実力が離れていてもいい。それに俺は貴方に追いつきたくなった。いま、貴方みたいになりたいと思ってる。だからもっと貴方を見たい。もっと知って、もっと考えて、もっと得たい。俺は貴方を超える剣士になりたい!」
その時、セナの脳裏に一筋の記憶が流れていく。懐かしく、焼き付いたように離れず、色褪せず、花のように美しく残る一人の記憶。
彼女の目は大きく開き、そして安堵したようにおもむろに伏せた。
遠い何かを焦がれるように、視線を宙へと向ける。セナは何も持たない手を緩慢に胸元へとやり、拳を作ってみせた。
そしてアルデスへとまた変わらない笑みをこぼした。
「きっとあの子も、君と同じ目を、あの時していたのかな……」
「……? あの子?」
何を見ているのだろうか。あの曇りのない綺麗な瞳は、一体何を映して、心を濁しているのだろうか。
当然、この場にいる者は誰もわからない。それは彼女が彼女であるからこそ振り返られる、一つの過ちなのだから。
セナは目を閉じ、そして沈思した。
「すまない、忘れてくれ。さて、もう一度問おうか」
一点の傷も隙もない鈍色の刀身を横薙ぎに払い、力強く彼女は問いかける。
「まだ、私とやるかい?」
その問いにアルデスは晴れやかに返した。
「……もちろん。と、言いたいけれど、ぶっちゃけると参っちゃってるんです」
「ほう?」
セナは興味深そうに目を細めた。
「実力差を痛感しました。今の俺じゃ貴方には勝てないです。あんな生意気な発言したのに」
力無くアルデスは笑うが、すぐさまキリッと表情を切り替えた。
「でも、手応えはありました。浅く、雑に言えば広いものだけど……それでも向かいたい場所は決まったんです。でも俺ばっかりいい思いしてるのはズルいと思うので」
ゆらゆらと立ち上がり彼は剣を構える。
「セナさんには、この一撃で一瞬でもこの戦いに、意味を見出してほしいんです」
そして、彼女は今まで見せなかった大輪をその顔に咲かせる。
「……ははは。はは! いいよ! 見せてみて! 君の全力! そして私にこの戦いに意味があったって、思わせてよ!」
セナは素早く距離を空け、アルデスの回答を悠然と待ち構える。
それをみて頷き、彼は剣に意識を集中させた。
リズムを合わせる。魔力の波と流動に、全身を重ねる。一つの乱れも、一つのズレも許されない。繊細で、微々たるもので、見えにくく、分かりにくいそれを手繰り寄せるのだ。
そして……剣に乗り移った魔力は、虹色の奔流を描き、纏い、周囲に"色"を轟かせた。知覚できないものが、まるで形を帯びたかのように。
そんな不定形が、不可解が、不可思議が、アルデスの魔力を吸い上げ、重ねて、幻想を現実に侵食させる!
虹色に伸びた一筋の光を伴い、アルデスは雄叫びをあげた。
「ォオ、オォオオオ!!!!!」
乱すな、掻き乱すな。統一、統合、要素を競争させてはならない。
彼はそれと共に、勢いよく踏み込み、間合いを詰める!
「螺旋……」
虹の光をまとったアルデスは遂にその剣を解放させる!
「極光オォオオオ!!!」
訓練所は眩しい光に包まれた。
続く