雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

Enigma URLまとめ

『あらすじ』

 

一人の異形がいた。その存在は人を嫌悪しながら、自らの温情に苦しむ。胸の内に宿る謎をいつも闇に叫んでいた。

そんな時、異形は自らの手で壊滅させたある村で一人の少女と出会う。生きたいと強く願う少女の命に惹かれ、異形は徐々に自らの心と向き合うようになる。だが、その最中で異形が属する派閥の王は人を是とせず、その思想を共有する組織の中で、異形の心は選択に揺れる。

異形が手にするモノ、失うモノ。

少女が導く、その先にある景色とは。

 


だから、そんな優しい貴方(お前)を殺したくはない ーー

 


一話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/01/004101

 


二話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/01/004140

 


三話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/01/004233

 


四話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/01/004312

 


五話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/01/004403

 


最終話

https://kyomunohate.hatenablog.com/entry/2024/04/01/004436

Enigma 最終話

娘が復帰すると同時に、私の過酷な任務が始まった。辛く、苦しく、何度も心が折れそうになった。信じていた者たちから、居場所すらも奪われていく。私の心と生命が摩耗する音が鮮明に聞こえて、鬱陶しい。

 そして任を終えて帰還すれば、いつだって娘が迎えてくれた。どんな時間でも、どんな状況でも、娘は私を笑顔と共に労う。異郷での生活になど、簡単に慣れはしないだろう。迫害や差別すら渦巻くここで、娘にどれだけの心労をかけているのか。私は不思議と負い目に駆られていた。

 我が御心の命により魔法や軽い座学も教えた。言葉通り、飲み込みが早く、応用もできる賢い少女だった。多少、褒めてやれば娘はいつまでも機嫌が良い。おかしな思考回路だった。

 時折、娘が要求しあの花畑へと出向いた。

 植物である私へと警戒心のない小動物たちが囲む姿に、娘は驚き、また私の人格とを一致させて自分のことのように喜んでいた。「また一つ貴方を知れた」と意味のわからない言葉で。こんな私を知れて何が嬉しいのか。人間の感情はやたらと複雑なようだ。

 


 そんな日々が続いた。

 しかしずっとは続かないと弁えてはいる。だからこそ訪れる終焉はあまりにも突然だった。

 


 とある日、私は任務を終えて帰還した。

 とにかく過酷だ。今日は特に群を抜いていた自信がある。

 何より自分の身体はボロボロだった。

 後、一ヶ月保つかどうか……それ程までに私を構成する細胞は衰弱し、ダメージを受けている。

 崩れる身体をどうにか娘の前で晒すまいと魔法で応急処置をして部屋へと戻る。もうこれが何ヶ月も続いていた。

「……帰ったぞ」

 "おかえりなさい"。既に恒例となったやりとりが、今日に限って静寂に変わる。娘の姿が見当たらない。

 あの娘が私用を優先した記憶など一切ない。私はその違和感のままに、娘が部屋で育てていた花から記憶を覗き込む。

 やはり、娘は他の分体によって連れ去られていた。そして何より、その分体も私の行動を先回りしていたらしい。

「『八殖星』が一人、ラファレア様。この女の身柄を取り返したくば自分が指定する場所へと来てください。まだ、幹部という自覚がご健在ならばこのメッセージは無視して下さい」

 わざわざこの花に近づき、傲岸な口調を振る舞うあたり私という存在が余程目障りらしい。こうなることは予測できた。そしてこれが私の、"最期"だとも。

 すぐさま指定された場所へと向かう。

 そこは私が過去に滅ぼした村、娘の故郷であった。

 到着すれば何百人とも数えられる分体たちがひしめき合い、私を待っている。私の姿を分体たちが認識した瞬間、殺意と敵意が大波となって私を襲う。……だいぶマシになった喪失感が再び鋭い痛みに喘いだ。

 するとその群体の中からリーダー格と思しき、雷をまとう分体が歩み出て大げさな動作で一礼した。

「これはこれは。ラファレア様。急なお呼び立てをして申し訳ありません」

「……よい。で、これは何の真似だ?」

「ほう。わざわざ自分が言わなくても、分かっていらっしゃるはずですが?」

 その挑発的な物言いに眉に皺が寄る。

「何故、娘を巻き込む。私が目障りなのなら、私だけを狙えばいい。お前たちは娘を人質にすれば私を簡単に抹殺できると思っているのか?」

「えぇ。アンタの執着ぶりを見ていれば分かりますよ」

「私を殺して、娘をどうするつもりだ」

「用済みですからね。まぁ適当に逃がしときますよ」

 嘘だな。私は軽薄な助命を良しとする雷の分体を睨みつける。

「娘はどこだ?」

「ん? あぁ。おい、連れてこい」

 雷の分体が仲間に命令すると、組み伏せられた娘が出てくる。乱暴された痕跡はなく、一先ず安堵する。

 娘は私を見て、声を上げた。

「ラファレア! ダメっ。この人たちの言いなりにならないで、逃げてっ!」

 必死に叫ぶ娘には耳を貸さない。

 今は二人で助かる道を模索する。せめて、娘だけでも逃れる方法を。私は冷静に思考を回し始める。

「さて、では……消えてもらいましょうか」

 分体たちは臨戦態勢となる。こちらに考える時間は与えられない。

 私も反応して身構えた……瞬間、分体たちの向こう側に放置された屍たちが目に入る。私が殺した村人の遺骸だ。既に白骨となっているが、あの数ならば……。

「かかれっ!」

 分体たちが各々の異能を用いて、私を攻撃する。雷、炎、水、果ては私と同じく、植物をも司る。

 すぐさま両腕を根に変え、勢いよくしならせて捌いていく。私はそれを行うと同時、遺骸を観察していた。まだ私が植え付けた種子が生きているのなら……。

 その攻撃の先で囚われる娘を見ながら、私は遂にまだ種子が生きていることを、微量な力の残滓から察知する。

「やるしかないようだっ!」

 私が確信を持って、種子へとエネルギーを送り込む。瞬間、種子たちが遺骸を包み、巨大な植物となって分体たちを飲み込んだ。

「なっなんだこいつはァーッ!!」

 やはり遺骸の数が強度に依存するのか、あっという間に分体たちは体や足を取られ身動きを封じられた。

 私はその隙を見て、娘を回収する。

 すぐさま跳躍し、木々を足場に村から遠ざかった。

「ラファレア……ごめんね。私のせいで」

「ふん。そんなもの私には不要だ。今は逃げるぞ」

「で、でも……どこへ?」

「……分からん。だが同胞と諍いを始めた以上私は裏切り者だ。あの連中に殺されるか、ゼルディス様に処分されるか。私の運命は決まっている」

「そんな……」

 その会話の直後、私は右肩に衝撃を覚える。どうやらあそこから抜け出した分体たちが私たちを追ってきたようだ。背後を一瞥すれば、その戦列にどんどん分体が加わっていく。

 何より既に崩壊が始まっていた私の体は、その攻撃を受けてもまともな修復ができない。たった一発で、致命傷となってしまった。

「うぐぐっ……」

「ラファレア!」

 私は力を振り絞り、巨木を盾のように追っ手の前へと何個も展開させる。気休めにしかならないが、娘が逃げる時間は稼ぐことができるだろう。

 巨木が攻撃を受け、徐々に突破されているのを感じながら私はなるべく距離を稼ぎ、鬱蒼とした森林へと着地した。

 いざ、腰を落ち着けると私はもう明日を迎えられぬ命だと実感できた。ボロボロと体は崩れ、森と一体化していく。

 娘は泣きじゃくりながら、私へと回復魔法をかける。だが崩壊した細胞は元に戻らなかった。

「なんでっ、なんでよ! 治って! 治ってよ! 治れ、治れ、治れ、治れ!!」

「……もういい。娘」

 私は声を振り絞る。発声はまだ出来るようだ。

 白く透き通るような肌の娘に私は手をあてる。娘は私の手を両手で握り、涙で濡れる頬を擦り付けた。

「私は、お前に充分与えてもらった。お前と過ごした時間は、悪くはなかったぞ」

「ダメよ。こんなところで死んじゃ、嫌……。私を一人にしないで、置いていかないで……」

「娘。私はもう、どうにもならん。どう足掻いてもいずれ終わりを迎える。だからこそ、私の言葉を聞いてくれ」

 娘は訴えることをやめ、こくりと大人しく頷いた。

 物分かりの良さは一級品だ。私は心のどこかで案じた、娘の未来を安心して見届けられる気がして、そんな安堵感に包まれた。

「私はお前を受容した事で多くのものと、命すらも失う。賢いお前の事だ。どうせ、わかっていただろう」

「……分かってた。ラファレアがみんなから冷たくされてるのは」

「はっ……堕ちたものだ。人間に私の醜態が見られるなど。屈辱極まりないな」

 その言葉には真剣味はない。きっと私の中で娘の存在が非常に大きいからだろう。

 そんな冗談混じりな口調でも、娘は優しく包み込んでくれる。私には勿体無い程の、私以上の温情だった。

 そんなものに甘えていた自分を認識すれば、私はまた屈辱に微笑んだ。

「故に、だ。娘。それら全てはお前の責任ではない。ひとえに私が選び、判断したものだ。お前が気負うなど、思い上がりも甚だしい」

 私は絶えそうになる発声をなんとか紡がせようと、酸素を何度も体に送り込む。

 これだけは伝えなければならないのだ。

「だから前を向け。やりたいことをしろ。自由な在り方で、お前はお前のやり方で人を思いやるんだ。何よりこんな言葉を人であるお前にかけれるのは、お前という存在のおかげなんだよ」

「そんな、そんなことっ……」

「……感謝する、娘。お前はあの花畑できっと人の感情が分かると言った。今ならば、それがなんとなく理解できる」

 私は初めて娘と花畑を見に行った記憶が蘇る。思えば、あれが転機か。私は私自身と向き合った。そして、その天秤は娘へと傾く。

 絆されたと言えばそうだ。けれど、私が思う償いは、確かにその中で輪郭を帯びた。

 それはきっと"他人から人を思う心を与えられる"ことだったのだ。同胞だけでなく、分け隔てなく全てに対する、平等な感性と感情。

 私は娘にそれを育てられ、私は返礼に娘を育てた。都合のいい償いだ。私はまた自嘲してしまう。

「でも、ラファレアがいなくなったら、私にはもう何も……」

 悲観する娘に私は安心させるよう、手で頭を撫でた。

「この私が、考えていないと思うか?」

「えっ?」

 娘は驚愕に目を開く。

 私は手を戻し、視線を絡ませた。

「KRという傭兵団へ行け。そこに、お前の姉がいる」

「ナイツ、ロード?」

「……伝手の情報だ。信頼していい。それとこれを」

 私は懐をまさぐり、一つのペンダントを取り出す。

「これって……?」

「私の加護が宿った品だ。安心しろ。ゼルディス様は干渉できない。そのような細工をした。かなりかかったがな」

 娘はそれを受け取り、ゆっくりと首にかける。

 悲しみに震える顔で弱々しく娘は笑みを作ってみせた。

「ねぇ。似合ってるかな?」

「あぁ。お前のような美しい娘には、丁度いいだろう」

 私の意識が薄れ始める。視界もボヤけてきた。未練はないはずだ、ないというのに私はいまだに何かを忘れている気がする。

 大事な、もっとも大切なものが。ずっと知らなかった娘の真実……。

 娘? 私はその答えに意識が一瞬明瞭になった気がした。

「……娘。最後だ」

「ラファレア?」

「お前の名を教えろ」

 娘は一瞬、固まったがすぐに理解して頬をかいた。

「……はは。そういえばなんだかんだ、娘で定着してたもんね」

「ふん。興味など、なかった、からな」

 言葉が絶え絶えとなる。もう時間は残り少ない。

 娘は苦痛に顔を歪めながらも、確かな声で私へとその名をゆっくりと告げた。

 


「"リリ・テレーズ"。それが私の名前」

 


 私の胸の内が、ようやく晴れていく気がした。

 短くも可憐で響きのいい娘らしい名前だ。

「……リリ・テレーズ。リリか。いい名前だ」

「本当はもっと呼んでほしかった」

「わがままな、やつだ。だが、最後に知れて、よかった」

 私はエネルギーを発動させる。癖で行うそれに、もう迷いも躊躇いもなかった。

 リリの周囲が翡翠色の光量で満ちる。それは転移の魔法だ。彼女の顔がその別れを察し悲痛に私の名を叫んだ。

「ラファレア! ラファレア!! 私の、ラファレア!」

「リリ。……私が消えても、道は続く。"生きろ"」

 言い終えると同時その光はリリの姿を飲み込み、やがて一筋の光となって天へと溶けていった。

 それを見届け、私は消えた半身を眺める。そして最後の物思いにふけった。

 リリが教えてくれたこと。

 私が失ったもの。

 忠誠心とリリの命の狭間に揺れ、それでもリリを選んだこと。

 あの医療分体はきっと後悔すると言った。失ったものは戻らない。その後悔は、ある。けれど、私が選んだ道に後悔はない。それ以上のものを私は得たのだから。

 しかし、後悔か。よく考えれば一つだけある。最後の最後に私は消えゆく意識の中で、ポツリと誰にでもなく後悔を零した。

「願わくば……もっとお前を、その名で呼びたかった」

 私の生命活動は、緩やかに眠るように、そして穏やかに停止した。

 

 

 

ーーー

 


「リリ。そろそろ本番だけど行けそう?」

「うん。今日が"アイギス"の初任務だもん。ちゃんとしなくっちゃ」

 二人の少年と少女が、輸送ヘリコプターの中で声を張り上げながら鼓舞しあう。

 荒野の中で、失踪する魔族がいる。何もかもを薙ぎ倒しながら、ひたすらにその先にある拠点へと突っ込もうとしていた。

「うわぁ……なにあれ。あんなの本当にレヴォとセレア止められるの?」

「何言ってんのよ。オルトネーゼさんもいるんだから、弱気にならないっ!」

「う、う〜〜ん。まぁなんとかなるよな!」

 少年はニコリと笑みを浮かべる。みなぎる魔力を感じていると、隣の少女がおもむろに首元からペンダントを取り出した。

「ラファレア……私たちを守って」

 瞑目し、そうつぶやいた後、軽くペンダントに口付けをする。

「え、なにそのペンダント。初めて見た」

「そりゃ見せたくないもん。私が本当に弱くなったら取り出す勇気のおまじないだし」

「なんだ。やっぱリリさん緊張してるじゃん」

「もー。余計なこと言わない!」

 そんな応酬をしている内に、無線から通信が入る。

『さてさて、お手並み拝見ね。もうすぐ指定の位置にくるわ!』

 少年と少女はその無線を合図に頷きあう。

「行こう、リリさん!」

「えぇ。行くわよ、アルデス!」

 少女は勢いよく叫ぶ。

 そこには、痛みに苦しんだ過去の面影は一切ない。

 前を向いて、生き続ける。

 それが少女と怪物が交わした約束。

 


"ねぇ。ラファレア"

 


"私は前を向いてる。生きてる。貴方からたくさん学んだから"

 


"だから、いつでも、いつまでも、これをラファレアに言わせて"

 


"貴方がいたから、私は明日のために戦える"

 

 

 

Enigma 『完』

 

 

 

Enigma 五話

五話

 


「栄養失調」

 人間の構造について造詣の深い分体は、ベッドに横たわる娘を一瞥して言った。

 私も同じく、細めた瞳で娘を見やる。

「とりあえず必要な栄養分は補った。心配はいらん。だが、人間には"食事"という行為が必要不可欠だ。その栄養を摂取するためのな」

 そう語るのは私とは長い付き合いとなる分体。幾度と窮地を救ったせいか、恩を返すとやたらと気負っている。

 私も申し訳なかったが、しかし頼れるのはこの分体しかおらず甘えることにした。

「……そうか。私も気が回らなかった」

「気が回らんというより、君は植物を核とした分体だろうに。自らの常識や習慣を照らし合わせる機会なんてのはそうそうない。いい経験だったと思えばいいのさ」

 そう軽く言う医療分体……と呼称する個体は回転式の椅子を回しデスクで何かを書く。

 すると、私にその資料を手渡してきた。

「ゼルディス様もお許しになっているんだろう。ならば、物資の班にも話は通っているはずだ。そこに書いてある食料を調達させろ」

「……何から何まですまない」

「気にするな。僕は君に何度も救われた。……人への嫌悪はもちろんあるが、それと恩を返すのは別のことだ」

 腕を組んで気楽に語る医療分体への申し訳なさに、私は力無く頭を垂らした。

 医療分体は私の肩を手で軽く叩き、再び椅子に背中を沈める。そして、穏やかに寝息を立てる娘へと興味深そうに体を向けた。

「君は、本当にバカだ」

「……わかってる」

 私の声はやけにか細かった。

「優しさってのは、度が過ぎれば自分の首を絞める。けれど、それは他の分体にはない君だけのものだ。尊敬はする。だが、ゼルディス様が絶対である限り、僕らは君の行為を糾弾し続ける定めだ」

「あぁ……」

「だからこそ僕は忠告する。……今ならまだ間に合うよ。あの少女を殺せば、少なくとも派閥内での立場は保証される。命令違反だけれど、ゼルディス様の本意を考慮すればその方がずっと君のためになる。戻れなくなる前に思いとどまるべきだ」

 真剣な声質で医療分体は私を諭す。

 まだ引き返せる、と言われればその通りかもしれない。殺さずとも、何らかの処置を取る事を求めれば、我が御心が別の利益を見出し、丸く収まる可能性だってあるのだ。その場合、娘の命も安全も保証されなくなる。

 その事実が私を苦しませていた。私の面子か、娘の命か。

 しかし……花畑での会話で私は諦めていた理解と、自らの痛みの正体を直視してしまった。それもあり、次に出る言葉既に決まっている。

「私は我が御心の命令には背けない。それが私の忠誠心の在り方なのだ」

「……回りくどいね。君は自分よりも、あの人間の少女を取ると」

「見方を変えればそう捉えても不思議はない」

 医療分体は脱力したように、右手を額にあてため息を吐く。

「本当に大馬鹿野郎だ。あの少女のせいで君がぬるま湯に浸かったせいなのか、それが君の本質なのかは分からない。……近い将来君はその選択を必ず後悔することになるぞ」

「後悔、か。しないとは言い切れないのが、私の弱さだな」

 そんな軽い自嘲を冷たく突き放すように、医療分体は軽薄に私へと背を向けた。

「……すまないが、金輪際君とは会いたくない。恩を仇で返すようだが、僕にだって派閥での立場がある」

「……分かった」

 これは自分の選んだ道だ。それ故に孤立していくことも自明の理だった。ここに来るまでに注がれた同胞からの敵愾心にも気づかないわけがない。

 徐々に私は派閥での立場を失っていく。やがて、幹部の称号も剥奪されるだろう。

 戻れなくなる、医療分体はそう言った。だが、私があの娘と出会った時点で、私は失墜する運命だったのだ。

 しかし悲観も、絶望もなかった。

 娘の心からの笑顔、罪悪感、償い。積み重なった私の感情は、不足したピースを埋めていく。

 その苦痛と解放感に自身が囚われていることを、私はまだほとんど理解できていなかった。

Enigma 四話

様々な匂いと色が空気と地面に立ち込めていた。見晴らしの良い野原に、花々が群生している。人はこのような景色を、花畑と呼称するらしい。

 心地の良い風にうたれながら、私は花に意識を奪われる娘を無感情に見つめる。

「勘違いはするな。植物は水や肥料、陽光がなければ活力を失う。人間も恐らくそうなのだという判断の下。決してお前のためではない」

 娘に対してのつもりなのに、誰もいない虚空にその言葉を投げていた。先ほどから自分の様子がおかしい。

 それに気づいては、私は肩をすくめた。

 娘は膝をついて一凛の花の匂いを嗅いでいる。するとその可憐な動作をする娘には不似合いな特徴に気づいた。

「お前は汚らわしいな。服も髪も、会った時のままで見苦しい。……少しこちらを向け」

 私は片膝をつき、娘の額に触れる。清浄の魔法は瞬く間に汚れを消し、そこには美しいと呼べる部類の少女がいた。

「ありがとう」

「人間の礼に価値などない。思い上がるな」

 私はそのまま娘の隣に座り込む。

 同じく座る娘の警戒心はどこへやら、広がる花々をずっと見つめていた。

「そんなに花が珍しいか?」

「うん。花畑って絵本でしか読んだことなかったから」

「随分と、狭い世界だったのだな。あの村は」

「……どうだろ。狭いとか広いとか、考えたこともなかった。私にはお姉ちゃんがいたから」

 私は姉という存在は娘の根幹であることを悟る。

「姉をそこまで慕う理由はなんだ。お前には父も母もいるはずだろう」

「ううん。私にいたのはお姉ちゃんだけ。二人とも、死んじゃったから。だから、お姉ちゃんが私を守ってくれたの」

「守る……? お前はあの村ではどう扱われていたのだ」

「違うよ。村の人はみんな優しくて、親のいない私たちをいっぱい助けてくれた。だから、不自由とか、憎いとかそんなのはなかった」

 それはどこにでもあるものだった。しかしこの娘はどう思い、どう感じていたのだ。

 どんな気持ちと秘密を抱えている?

 私は気になり、続けてしまう。

「姉はお前を、何から守ったのだ」

「……村長」

「村長?」

 意外な権力者に私は少し驚く。

「私ね、まだ子供だけど頭はいいって周りから言われてた。落ち着きがあるとか、すぐ馴染めるとか、物覚えがいいとか。だから村長はそんな私に目をつけて、貴方たちVICEに売ろうとしてたの」

「売る、か」

 考えれば我々の占領後に他の村々との交易が困難になるのは必然だ。娘一人が売られて、村が延命されるのなら、村長も苦肉の策であったのだろう。恐らくあの村はそのようにして、食い繋いだに違いない。

 娘は膝を立て、両脚を組みながら顔を埋めた。

「では、なおさらお前には私に復讐する権利があるな」

「……どうして?」

「私があの村を襲わなければ、お前は他の派閥に所属し、才能を見出された暁には優遇されていたかもしれない。何よりお前の大切な人間を殺戮したのだ。恨まれても、憎まれても、それは自然なことだな」

「分かんないよ。どういうことなの、それ」

 説明する気にもなれず、私と娘の間に重い沈黙が横たわる。小鳥のさえずりと、植物のさざめきが、次第にその空気を和らげていく感じがした。

 私は下を向いたまま、娘の核心に触れてみることにする。

「……お前は、言葉という形にできないのではなく、我慢をしているだろう」

「……」

「おかしいとは思っていた。ゼルディス様の玉座にいた時も、拠点にいる時の落ち着きぶりも。少女にしては図太すぎる。お前は我慢強いだけの、ただの娘だ」

 娘は沈黙を保つ。しかし、小刻みに震える手足はそれを事実と証明しているようだ。

 私は呆れたような口調で娘へと断言した。

「言っておいてやる。私は理解できないし、決してしようとも思わない。同情も共感もしない。……だがな、尊重くらいならしてやれる。自然とは一方的な搾取ではなく、お互いの尊重があるからこそ成立するもの。社会や世の中も恐らくその理屈に則っているはずだからな」

 娘は顔を上げて、懐疑をこちらに向ける。

 人の世界を破壊する存在が、人の作る仕組みを語る。娘からすれば困惑ものだろう。

 それなのに娘の顔に今度は見たこともないような柔和な笑みが浮かぶ。

「……貴方、ほんとにVICE?」

「どうだろうな。お前のせいで私は私自身を疑い続ける羽目になっている。今の私が派閥に相応しいかと問われれば否というだろうな」

 私は現実から遠ざけるように瞳を閉じる。

 この娘は普通の人間だ。どこにでもある悲劇を背負い、どこにでもある死を迎えるはずの。

 だが、私はこの娘に情が移りかけている。あの瞳と、声と、願いが。何よりこうした会話で得られる人隣りによって。

 殺し合う世界に身を浸し、人を嘲り続け、それ以降に苛まれる罪悪感は私に苦痛を与えた。自分はその正体に見て見ぬ振りをして、ただ我が御心を想い臣下として忠誠を尽くし、自分を肯定した。我が御心への冒涜は私の本意ではない。

 だが、そんな罪悪感は目の前の娘の存在によって安らぎを得ている。

 そうだ。同胞を超え、人にすら温情をかけてしまう私は、どこかで償いたかったのだ。失われた光も闇も、きっと命の輝きに満ちていたから。

 その理解の痛みを私は捨て去る事ができない。

 だが、それは不要でもある。我が御心は絶対。故に、この気持ちは派閥の体面に泥を塗る。それが創造主に対する、被造物からの返しとは到底私には思えないのだ。

「……ねぇ、どうしたの?」

 思考を巡らすうちに、時間も流れたらしい。

 私は忠誠と娘の狭間に揺れながら、物思いにふけった自分を鼻で笑った。

「気にするな。お前たち人間には遠く及ばぬものよ」

「うん、そうだね」

 そうしてまた沈黙が流れる。少しだけ雲も出てきた。

 灰色が混ざり少し不気味な模様だ。私には恵みだが、娘には行き過ぎれば毒だろう。

 私が拠点への帰還を促そうとした時、娘が唐突に切り出した。

「尊重してくれるって、本当?」

 繰り返すように淀みなく娘は私に言う。

「私は自分の言った事にちゃんと責任は持つ」

「……なら聞いてほしいな。私の本音」

「好きなだけ吐け。何度も言うが……」

「同情も共感もしないんでしょ」

「弁えているのならいい、話せ」

 多少は柔らかくなった表情の娘は、しっかりと言葉を紡ぎだす。

「本当はね。憎いよ。殺したいくらい、憎い」

「当然だな」

「うん。でもね、子供の私一人じゃ復讐なんてできない。私に残された魔法じゃ、貴方たちに届かない。だから、約束を理由に貴方についていった」

「……ふむ。それが真意か」

 娘は首を振って、否定する。

「約束は嘘じゃないよ。でも、復讐したいって気持ちも本当。私、どっちもしたかった。貴方たちを倒して、お姉ちゃんと再会して平和に暮らしたい。それが、今の私の本音」

「……では最終的に私も殺すか」

「どうかな。分かんない。でも私は貴方を殺したくない」

 風で花々が波打つ。

 共鳴するように、私の心は再び複雑になっていく。

「私はお前が一番に狙うべき仇だろう。殺したくないというのはただの理性だ。我慢は無用だと私は言ったはずだがな」

「我慢してると思う? 私は貴方を見て、知って、そう思った。だからこの気持ちもきっと嘘じゃない」

「……甚だ、理解ができん。人というのは難しいな」

「そうかな。貴方は人じゃないけど、私みたいに喋れるし、考えてるよ。だから貴方にも分かる」

「分かる……か。その理屈も、ある意味では正しいのかもしれん」

 私はその真実を知り、より人間が分からなくなった。仇とは人の倫理やルールを曲げてでも、成し遂げるものだという認識だった。どれだけ見知った仲でも、自分を殺し続け、目的を達するとも。

 目の前の娘はそうではない。本当に私を善良な存在だと信じている。私はそのような思考への悲しみと、呆れ。何より、悪という仮面を被る自身の自尊心が剥がれていく感覚に陥った。

「……私に、本当にそんな時が来るのか?」

「来るよ」

 娘は突然私の巨大な手のひらを華奢な手で温もりに包んだ。

 体温という感覚を与えられるからこそ、私は初めての触感に身を委ねてしまう。

「貴方は優しいから。人である私を守ってくれた。あの王様からも、貴方の仲間からも。それが顔とか動きにずっと出てるのわかる?」

「それは……私の管理ミスで他の分体や私の評判に響いたら困るからだ。……決してお前のためではない」

「でも王様の所にいく前に私を待たせようとしたのって、王様の機嫌が悪いのを知ってて、私が殺されるの避けようとしたからだよね?」

「……それと、他分体への配慮だ。我が御心は聡明であられる。益があるかどうか、見極めるまでは手は出さない。他分体にもその意志は共有される」

 結果的に我が御心は、娘の力を直視して判断された。今思えば、待機すれば逆にリスクは高まっただろう。

 そんな分かりきった事実を振り返り、私は沈んだ。

「だから、そんな優しい貴方を殺したくない」

「好きにすればいい」

「うん。好きにする」

 私に向けられる心を許した笑顔。少しむず痒い。

 すると娘は何か思いついたように私へと問う。

「そういえば名前聞いてなかった。ねぇ、名前はなんていうの?」

「……ラファレア。『八殖星』の幹部が一人」

「ラファレアね。いい名前」

 私はまた目線をずらす。

 友人と言われても差し支えない関係。縮まりすぎた距離感に、私は動揺する。

 しかし、名前を問われたのならこちらも問わねばなるまい。

 私は娘へと喋りながら顔を向ける。

「娘、今度はお前の名前を……」

 次に私が見たのは、花々の中に倒れ息を荒くする娘の姿。花が手折れるようで、細い手足は熱を帯びていた。

「……このままではいかんな」

 私は娘を担ぎ、拠点へと足を急がせた。

Enigma 三話

三話

 


 ゼルディス様との問答を終え、私たちは娘の為に用意された部屋へと移る。

 今後は監視という目的で、私も娘と同じ空間で暮らすことになった。

 人という種族に排他的で、侮蔑の対象ともなれば当然の処置だ。私も別の同胞が同様の行為に及べば、胸中で躊躇なく嬲っていただろう。

 そちら側のはずの私に、一体どのような魔術を用いてこの娘は付け入ったのか。

 脳内に様々な場面が移り変わる。不思議と怒りは沸かず、穏やかな心持ちだった。

「ねぇ」

 娘はゆっくりと私の顔を見る。

「この部屋、私が使ってもいいの?」

「当然だ。我が御心の計らいを無下にするのは私が絶対に許さんぞ」

 娘は再び部屋を一望する。

 私個人としては過不足ない部屋の具合だ。寝床があり、机があり、鏡もある。人の価値観に興味はないが、これを質素や殺風景などと難癖をつける者もいる。

 しかし娘の反応は毛色が違う。至る場所を触り、見て、嗅いでいる。獣のような習性に私も少し不安になった。

「おい。何をしている」

「何って……確認?」

「確認をする必要があるのか?」

 娘はかぶりを振った。

「だってあの人たち、私を殺そうとしてた。あの王様も、私のこと嫌いだよね?」

「もちろんだ。そも、我々は人との共存など求めていない。全ては我が御心の意向であり、そのご意志は私たちにも引き継がれる」

「なら、なんで私を助けたの?」

「……助けてなどいない。飽くまで、私の保身だ。思い上がりも甚だしいぞ」

 私はバツが悪く視線を逸らす。

 確かに我が御心は、人間など受容しない。この娘が許されたのも、我が御心が関心を示されたからだ。私の言葉より、事実を目撃した事によって。故に助命など、私の行いと程遠いものだ。

 そんな結論の最中、娘はくつろぐようにベッドへと腰掛けていた。

「ふわふわ」

 娘の表情は未だ傷心が垣間見える。だが、どこか安堵のような柔らかい声色にも聞こえた。

「随分とリラックスしているな」

「うん。村にいた時は、こんなの贅沢だったから」

 満更でもなさそうな、言葉の節々。

 この環境に置かれた上でのその心胆には驚愕させられる。

 私は嘆息をついて、近くの椅子に腰を下ろす。そして、決着をつけなければならない内情を私は遠慮なく切り出してみせた。

「……お前は私が憎いか?」

 娘が制止する。

 その表情は一気に曇っていく。

「……分かんない。憎いとか、怒れるとか、いまそんなこと言われても、何も感じない」

「そうか」

 私は、無意識に天を仰ぐ。

 ずっと気になってはいた。

 故郷を滅ぼされた事に、何か思う心はないのかと。復讐や故人を追う選択をした人々を嫌という程知っている私は、娘の現状を未熟という言葉で片付けられないでいた。

 そんな自分の疑問を解消する為に質問したが、娘は肝心の部分が未熟なのか捻り出せずにいる。

 娘に視線を戻せば、沈痛そうな面持ちで目元には暗い陰が落ちていた。

「……娘よ。少し私と出るぞ」

「え?」

 娘は小首を傾げる。

「拒否権などお前にあるものか。さっさと支度をしろ」

 娘はまだ呆然としている。

 私には、我が御心の為に行動する責務がある。このままでは、命令に支障をきたすだろう。

 その判断は決して間違ってはいない。

 私たちは拠点の外へと出た。

Enigma 二話

二話

 


 そんなことをしているうちに、『殖』の派閥の拠点へと到着する。

 この派閥が属する組織、VICEが支配するこの北部地域に人が住める場所などないと高を括っていた。……だからこそ、この娘の故郷が滅亡する要因となったか。

 そんな思考は周囲からの視線で途切れることになる。同じ我が御心であるゼルディス様から誕生した分体たち。多様な姿形と、異能を宿した存在だ。同様に、感情と思考も持ち合わせる。この注目は必然だった。

 驚愕と、軽蔑と、何より敵意の色は濃く、渦巻いている。思えば想定できたことで、人への嫌悪は派閥の特色でもあるのだ。

 拠点へと通され、自室に戻ろうとした瞬間目の前に一つの分体が立ち塞がる。

「ゼルディス様がお呼びです。……理由は語るまでもないですが」

「……そうか」

 娘を一瞥すると心配そうに私を見つめている。このままにしておくのも不憫だろうか。

 私は娘に語りかけた。

「それは無用な感情だ、娘。人間如きに心配されるほど私は軟弱ではない。我が御心も寛容な方であらせられる」

「……そうだといいのですがね」

 目前の分体は諦念とも呆れともとれる言葉を吐きその場から立ち去る。

 私は何の感慨も抱かず、ただまとまらぬ情動に突き動かされ我が御心が座す王座の間へと通された。

 娘は待機させようとしたが、我が御心は同伴を命じ共に玉座へと向かう。

 巨大な広間があり玉座へは紅の絨毯で続いている。

 玉座にて目を瞑り、頬杖をつく存在は紛れもなく『殖』の派閥の魔王、ゼルディス様だった。

 今は人間の肉体を使われているようで、側付きとして両側に整列した異形の幹部たちとは異質な空気を纏っている。

 私は傅き、娘もそれに戸惑いながらも倣った。

「……ご苦労だった、ラファレア。貴様の仕事ぶりは吾(われ)も一目置いている。『八殖星』としての自覚は、十二分にあると評価しよう」

「ありがたきお言葉でございます」

 冷淡だが、鷹揚としたゼルディス様の声。

 しかし我が御心が次に開いた瞼に宿ったのは明確な不快感であった。

「さて……その吾の意向を踏みにじった貴様の申し開きを、一応は聞いてやろう」

 圧倒的な強者が発する死の気配。

 身体中に走る悪寒を抑えつけながら、冷静に言葉を紡ぐ。

「先の村において保護したこの子供に、私は利用価値があると踏んでおります」

「……続けろ」

「はっ……壊滅させた村は魔法を要職とするため、閉鎖的な社会を築き、結果として独自の魔法進化を遂げたと推測しております。その知恵や技術を継承したこの娘に、私は価値を感じました」

 王座の肘掛けをゼルディス様はリズムよく小指で叩く。

「その魔法は、我々の発展に限りなく寄与すると……貴様にはその確信があるのだな?」

「その通りでございます」

「なるほど」

 我が御心は再び目を伏せた。

 沈黙が続く、と思った瞬間……私の細胞が体外へと漏れ出て行くのを観測する。

「うがああぁぁっ!」

 自らの体が搾り取られ、奪われる。構造や構成要素が無遠慮にめちゃくちゃにされ、破壊されていく。無様にのたうちまわりながら叫び声を上げた。

 永遠とも思えるような苦痛が身体を支配する。

「やめてぇっ!」

 娘が悲痛に叫ぶ。ゼルディス様の御前だぞと叱責しようとする衝動をよそに、娘は回復魔法で私の細胞を活性化させ、回復させていた。

「ほう?」

 いつの間にか立てていたゼルディス様の親指にはドス黒い球体が集約している。恐らく私から回収した細胞の群体なのだろう。

 目の色を変えたゼルディス様は細胞の吸収を止め、私へとお言葉を投げかけられる。

「ラファレアよ。貴様の温情は吾も把握している。故に他の分体に慕われていることもな。しかし、人の子を保護するのは温情にしては度が過ぎている。吾の価値観には測れないものだ。……吾の"人嫌い"の性質は本来は平等に遺伝しているはずなのだがな」

 蒸発するような体を引きずりながら、なんとか再び傅く。泣きそうな娘の頭を関係なく無理やりに下げさせた。

「吾も愚かではない。人は憎むべき存在だが、利用できるものは利用する。先ほどの魔法、興味がある。ラファレア、貴様は魔法が得手でもあったな?」

「はい」

「貴様にその子供の教育と世話を任せよう。派閥に貢献するのであれば、人間に必要なものも最低限揃えてやる」

「過分なお計らい、恐縮でございます」

 私にゼルディス様のご尊顔を今は拝謁できない。だが、直感があった。悪い予感でもある。ざわついたその感情に答えを出すように、ゼルディス様は今まで以上に真剣な声色で喋られた。

「しかし、吾にも派閥を取り仕切る責任と他派閥への顔がある。他の分体への配慮、貴様の独断への処罰。吾も自分の力に甘え続けるのは性に合わん。故に、その娘を置くための条件を提示しよう」

 驚くことも、反論もない。むしろ覚悟していたことで、その為に呼びかけに応じた。

 ただで帰れるとは思わない。そんな想定が未だ私に静心を与えていた。

「貴様にはもっとも過酷な任を与える。もちろん、援護はあるだろう。だが今の立場を鑑みて、充分に理解せよ。やってくれるな?」

 断る理由など、私にはない。この娘を守るためではない。我が御心は、私を信じ、私だからこそ任されたのだ。何も疑いの余地などない。きっとないはずなのだ。

 私は、ゼルディス様の御心のままに動くだけだ。

 地面にて握る拳が一段と強く込められる。

 ……どうして私は自分の今の心の貧しさに腹が立っているのか。私は分体にすぎず、何よりこんな感情は出来すぎていると分かっているはずなのに。

 私はそんなやり場のない気持ちに苛まれながら、脳裏に焼きついた娘の瞳と言葉が忘れられなかった。

 

Enigma 一話

大きな根が村の地形を蹂躙する。悲鳴も、嘆きも、叫びも、全てはその隆起に呑まれてことごとくが失せた。

「……ふん。こんなところか」

 足元から伸びる根が捉えた人間を無造作に放る。まるでミイラのように朽ち果てた死体が転がり、屍の山の一つなった。

 山の土壌となる肉塊たちは、私を見るなり魔法による攻勢を仕掛けたが連携の乱れと、魔法の練度の悪さが災いし、壊滅した。思わずその呆気のなさに不思議と無感動なため息が漏れる。

「我が御心の命だと昂り、足を運んでみれば…あまりにも拍子抜けだ」

 目を伏せ、行き渡る養分に体が歓喜するのを覚えながら、私は今までの経緯をゆっくりと整理する。

 我が御心……『殖』の派閥の魔王ゼルディス様は人に近しくも、異形である"分体"と呼ばれる存在を作り出し、使役する。私もその一員であり、感情や思考なども付加され、個はしっかりと確立される。

 特に私のようにゼルディス様から優秀と評価されれば、"核"を与えられ、更に高みへと昇ることができ、加えて『八殖星』という幹部の一つの席を与えられる。

 私の名はラファレア。授けられた称号は『華星』。

 末席を汚す意識を持ちながらも、我が御心に応えられるよう私は『八殖星』の一人というプライドと自覚を持ち、日々任務に従事するのだ。

 この村の人間を皆殺しにしたのも、我が御心の命令でもあった。魔法使いの里……その増長への危険視というのは聞いていた。

 目の端に映る山積みになった、人だったもの。……私は、何度感じたか分からないズキリとした痛みを胸に抱え、息を吐き出すことでそれを誤魔化した。

「……ん?」

 村の入り口付近に子供がいる。

 性別は女か。何より、その金色の髪が泥や返り血と汗で塗れていた。

 穢らわしいというより、哀れさを感じる。生の執着とは、ここまで自らを惨めにできるものなのか。

「娘。もうこの村は滅んだ。お前のような非力な人間がどうもこうもできまい。勝手に生きて自由に死ね」

「……ちゃん」

 その娘はか細い声で何かを呟いた。

「……お姉ちゃん。逃げれたかな」

 何かと思えば身内の心配か。より、娘に哀れみを抱く。しかしそれ留まりだ。共感や同情など微塵も湧かない。

 ただ開かれた道を見つめる少女の背中を悠然と私は通り越す。

「娘」

 そう呼んでも返答はない。顔をチラリと見れば、傷だらけで、目から光は失せている。

 小枝のような手足に、私は眉を寄せた。

「……そうまでして姉の命を優先するか。愚かだが、他人を優先する気遣いは評価してやろう。故に選ばせてやる」

 私の小指から伸びた根が蛇のように娘の首に絡みつく。

「私の養分となるか、それともここで野垂れ死ぬか。……お前なぞ、もう長くはないだろうからな」

 それでも娘は反応しない。真っ直ぐに向けられた瞳に、何の思惑があるのか。そもそもこの娘に打算する余力はあるのか。

 柄でもなく、数分と推し量るうちに、私は根を戻し踵を返していた。

「……ふん」

 私は丁寧に"入口"から出て行き、道なりを歩む。

 そこそこの巨体でもあり、足音は村を囲む山々に反響している。天候は快晴で、体は絶好の環境に脈動していた。

 心地の良い風を受けながら歩いていると、先ほどから背後に気配を感じる。

 振り返れば、村の入り口に立っていた娘がついてきていた。

「何の真似だ、娘」

「……」

「あまりコケにするのはやめた方がいい。お前のような人間など、簡単に始末できるのだからな」

「……」

「おい、少しは返事をしろ。そもそも、私が恐ろしくないのか? 殺されるという考えはお前にはないのか?」

「……ない」

 振り絞るような声に、私は足を止めてしまう。次の瞬間、衝動的に娘の首根っこを掴んでいた。

「バカにされたものだ。小枝のような肢体故、慈悲を与えたが……やはり殺してしまった方が後腐れがないかもしれんな」

 ギリギリと首を掴む手に力がこもる。

 娘は息を求めて足掻くが、私の膂力に抵抗などできる訳がない。次第に、抵抗力が希薄となっていく。私はそれでも無感動だった。

 ……あの時見た、娘の瞳を想起するまでは。

「っはぁ、はぁ……はぁ……」

 私は手を離していた。魔性を帯びた記憶の片鱗に感化されてそのままに、咳き込む娘へと淡白な視線を送る。

「興が乗らんな。貴様のような羽虫を殺したところで、私にも我が御心にも何の益もない」

 今度こそ目を合わさぬよう振り返るが、その脚を娘の手が必死に掴んだ。

「……きたい。生きたいっ……だから、貴方について行く」

 不思議と私の頭が真っ白になる。久々の感覚に、少しだけ押し黙ってしまった。

「何故、死を無慈悲に振る舞う私に、生を求める。人間の本能故か?」

「……違う。お姉ちゃんと約束したの」

「約束だと?」

 娘の乾いた頬に、水滴がつたう。その勢いの良さは、行き場を失っていたからか。

 ……なまじ、感情を持つせいで人の心理が看破できる。私はその仕組みを与えた我が御心に初めて憎しみを抱いたかもしれない。

「……なるほど。再会したいのだな、姉に」

 こくりと弱々しく、娘は頷いた。

「うん。だから、貴方について行く」

 その言葉と同時、私の中の大量の違和感が何かを先鋭的に訴える。

 何故だろうか。何かがおかしい。

 私は考える。今私は、この娘に絆されている。娘を理解する気はないが、どこかで存在を許している。

 思えば疑問だらけだ。いつも通り自然と一体化し、植物のエネルギーをなぞる移動法のはずが、わざわざ野を歩いていた。それは何を期待してなのか、何を思ったからなのか。

 私は、目の前のこの娘に、一体、"どうなってほしい"と考えているのだ?

 堂々巡りの思考で硬直したままの私に、再び視線が向けられる。交差を拒絶した筈の目線同士が絡み合い、私はやがて肩を竦めた。

「……好きにすればいい。ついてくるのなら私は止めない」

 そういって私は再び歩き出す。

 以降は、顔も合わせなかった。一方の私はそのまま終わらぬ問答を繰り返しながら歩き続けた。