雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

異暦100年 秋の昼下がり

 意外と洒落た喫茶店だ。

 イクス・イグナイトはコーヒーを啜りながら、内装を見回す。

 レトロで、落ち着いた雰囲気。言葉を選ばなければ、"近況"を語るにはうってつけの物寂しさだろう。

 一見高級そうな調度品たちも、暗いシルエットを作っている。裏路地に店を構える店長の表情が、少しだけ垣間見える作りだった。

 普段は甘味を好む彼だが、ここのコーヒーは苦味が少なく比較的飲みやすい。

 本来はウインナーココアを注文するはずが。一瞬、貫禄だけが肥大化した自分を考慮して大人ぶってしまった。

 だが苦手なものは苦手だ。イクスは少し舌を出して、苦味をなんとか逃がしていた。

 入店のベルが鳴る。

 皿を拭っていた店長が気のない歓待を送った。

 イクスも合わせて視線を送れば、黒いコートを羽織った男とぶつかる。

 黒い鞄を提げたその男はニヤリと笑い、店長に注文するとイクスの下へ歩んだ。

「久々だな、イクス・イグナイト」

「わざわざここに呼び出すとは」

 男は勢いよくイクスの対面に座り込むと、店長が差し出したお冷を一気に飲み干した。

「ガタイのいい、いかにもな二人組が街でそぞろ歩いていたら世話になっちまうだろ」

「それ、私が原因の半割以上じゃないですか」

「冗談飛ばせるならそろそろ堅苦しいのもやめろよ。今更距離感なんてあってもないようなものだろ」

 イクスは丁重に首を振る。この男は取引相手だ。探偵事務所を営むが、手腕は確か。三十代とは思えない貫禄で、現在は細々と活動している。

 男曰く、表面上はということらしいが。

「申し訳ないですが、飽くまで私は依頼者ですから。内容も内容ですが」

「確かにナイツロードに情報は流してるが。まさかテリナ支部が直々とは思わん」

 男は葉巻を取り出す。しかし、店長の視線が存外鋭かったようで渋々懐に戻した。

 丁度、来店した時に頼んだ男のコーヒーが机に運ばれる。

「お互い様ですよ。ザドールさんが直々なのも珍しいですから」

「そうかもしれんな。で、呼び出した理由なんだが。ちょっとこの資料をな」

 ザドールと呼ばれた男は黒い鞄から資料を取り出す。

 イクスはそれを見下ろしながら慎重に尋ねた。

「拝見しても?」

 コーヒーを啜りながら、ザドールは口寂しそうに頷いた。

 イクスが資料を見れば、情報がビッシリだ。追っていく文字の一つ一つに抜け目がない。痒いところに手が届く、そんな表現が似合う質量だった。

 読み終えればイクスは自然とコーヒーに手が伸びる。長らく煩わされてきた問題を、苦味と共に不快に飲み込んだ。

「"アウト・ジャッジメント"……」

「書いてあると思うが一般人を詐欺で釣って、傭兵たちから盗みをはたらかせる馬鹿野郎だ。既に複数被害が報告されている」

「どうやら、私たちが追っていた組織のようですね。規模自体も時間をかけず殲滅できそうです」

「ったく。一般人を買収して悪事を代行させるなんざ。嫌でもゲゼルシャフトを思い出す」

 ゲゼルシャフト

 イクスの記憶にあるのは、異暦99年に壊滅したVICEと一般人のパイプ組織。悪質な手口で人を騙し、私益の為に命を平然と使い捨てにする。その手法と照らし合わせたのはザドールだけではない。

 不愉快そうにイクスの眉にも皺が寄った。

「実際、"アウト・ジャッジメント"やらもその後釜意識は強いのでしょうね」

「やり口がか」

「えぇ。本部が公開した報告書で読んだ程度ですが」

 ゲゼルシャフトの隠匿性の高さには、対応も困難を極めた。雲隠れが得意な上に、行使する手口は卑劣。VICEと繋がりがあるとはいえ、情報統制への意識の高さは悪質性を際立たせている。

 イクスは敵としての底知れなさと、既に現存しない組織であることに安堵の吐息を吐く。

ゲゼルシャフトには、おたくらの本部も手を焼いてたみたいだからな。E5なんて機密部隊を作るくらいには」

「のさばらせて、被害が拡大しても後の祭りですから。それに人の命を私腹を肥やす為に使役するなど、あってはなりません」

「その為にE5の情報を公開したんだろうな。抑止力としては期待できなさそうだが」

 ザドールは肩をすくめてみせる。E5は未だ謎が多い。公開された情報も一部に過ぎないところもあった。やはり、後ろめたい事情も混在したはずだ。

 何よりそんな部隊を作らざるを得ない詰めの甘さにも非はあるのだ。だからこそ悪意は芽から摘む必要がある。

「しかし、第二のE5を作らないことなら我々にもできるでしょう」

 イクスの冷静な声色は、そんな彼の思考を打ち切らせる。

 豆鉄砲を食らったが、ザドールは愉快そうに鼻を鳴らした。

「それくらいはな。ま、出来ることはこれくらいだろうよ。テリナ支部には期待してるからな」

「応えられるように努めますよ」

 満足げに立ち上がったザドールは伝票を握る。だが、イクスがそれを制止させた。

 渋々と言った様子で彼は伝票を机に戻す。そして入口に向かいながら、手を挙げた。

「じゃあな、死ぬなよ。イクス・イグナイト」

「そちらこそ。ありがとうございました。ザドールさん」

 退店するザドールを見送り、イクスは時間を確認する。仕事として作った時間にはまだ余裕があるようだ。

 それに、この資料をわざわざ支部に帰って読み直すのも骨が折れる。

 イクスはやはりウインナーココアを頼むことにした。