アルデスはそれ以来、諦めず誘い続けた。
二日目
「あ! リリさん! 一緒に訓練所行こう! まずは案内するからさ!」
「嫌」
三日目
「リリさん。今日はどうかな?」
「嫌よ」
四日目
「お願い! 一緒に訓練所行こう!! 一回でいいからさ!」
「……嫌って言ってるでしょ」
五日目
「今日はどうかな? 何か食べ物でも片手に回るのもいいと思うんだ!」
「しつこいわね……。嫌」
そんなやり取りがアルデスとリリの間で何日も何日も交わされる。もちろん人目は憚らないので、変に噂はされた。……その中にも聞いていて気分が悪くなるような噂も、彼は記憶している。だからこそ、気にかけねばとそう思った。
ちなみに彼女の座学の勉強態度を見ていると、かなり頭がいいほうだとアルデスは気づいた。
様々な情報を含めてアデルに助言を求めたところ、
「そういう人間は頭が回りすぎる上に、いくつもの考えに行き着く。そしてリリ・テレーズのような暗い過去を抱える人間は、物事や思考をマイナスに捉えがちでもあるな。一人になれば考える時間も増えて、段々と自分を閉じる。そうなると自分の言いたいことも、言えなくなっちまうんだろうな」
……と、いうのがアデルの意見だった。
彼女には言いたいことがたくさんある。でもそれがいえない環境の中で育ち、内側で我慢し続けている。だがそれは彼女を徐々に腐らせ、そんな自分を見られたくなくて見栄を張り、周囲と距離を取る。アルデスはそう考えていた。
だからこそア彼は、リリを一人にしたくはなかった。率先して声を掛け、何度も訓練所に誘う。向こうもあれだけの感情を剥き出しにしたこともあり、少し遠慮気味ではあったが次第に押されているような手応えも感じていた。
そんなある日。粘り続けて、日にちを数えるのもやめた頃。いつものようにリリを誘ったときだった。
「リリさん。今日はどうかな? 訓練!!」
相変わらずなんだか卑しい響きにも似ていてアルデス自身、辟易としている部分もあった。
でも今の自分にしかできないこと。彼女の側で彼女を知ることは、自分のその気持ちを裏打ちしていた。
リリはそれを聞き目を閉じてうつむく。黙考している様子で、やがて目を開いた。金色のポニーテールが揺れて、弾む。彼女は顔を上げて、軽く息を吐くと視線を向けた。
リリの紺色の瞳が、静かにアルデスの瞳と交錯する。その美しさに、彼は少し高鳴った。
「いいわよ」
「……え?」
思わずアルデスは聞き直す。
リリはその様子に対し、大袈裟にため息を吐く。仕方ないわね……そんな台詞が聞こえてくるようだった。
「いいわよ。一回なら、付き合ってあげる」
いつものツンとした表情でリリは言い放つ。
アルデスは勢いよく飛び跳ねた。
○○○
「ええ!? そうなの!?」
「なによ、急にそんな驚いて」
アルデスはあからさまにガックリと肩を落とした。
「今、訓練所にいる教官を調べたんだけどいつもお世話になってる人がいなかったんだ。うううう……フェダ教官に近接と遠距離魔法の立ち回りを教えてもらいたかったのに」
「フェダって……あぁ、あの。へぇ、ここ『剣』の教官も来るのね」
「だから君に一緒に来てほしかったんだ。色んな発見や視点があって面白いからさ」
「……ふーん」
リリは値踏みするような視線を訓練所に巡らせた。
そこは様々な喧騒に満ちている。アルデスにとっては心地の良い騒音だった。鉄と鉄がぶつかる音、魔法同士が相殺される音や光、何よりあらゆる人種があらゆる情報交換をする場でもある。互いに磨きあい、時には競争もし、最後には礼を言い合う。人としても成長できる空間なのだ。
「やっぱりここの空気はいいなぁ。スカッとするよ」
「スカッと? ……変なの」
「そうかな? 俺はここにくると自然と気持ちが切り替えられるんだ。バカって自覚あるからだけど、結局集中しちゃって気づいたら夜遅くなんてことはよくあるし」
リリの愛想が少ない顔はいつも通りだが、その目はどこか浮足立っている。そもそも訓練所とはほぼ無縁だった彼女だが、戦いの世界に身を置く自覚と共にその刺激をゆっくりと全身で体感していた。
アルデスはリリに設備の説明をしながら歩いていく。奥に進むにつれて、衝突音が激しさを増していった。
するとアルデスはある人を視界に捉え、ゆっくりと歩み寄っていき明るく挨拶をする。
「フィリアスさーん、こんにちはー」
「はい。こんにちは、アルデスくん」
穏やかに二人へ微笑みかける白髪の女性。紳士のような印象もあり、騎士という印象もある。涼しげな目元の中に、隙のない光が瞬いていた。ピンと伸びた背筋や引き締まった体からは地道に積み上げている研鑽を物語っていた。
「珍しいですね、フィリアスさんがここにくるの」
「えぇ。あそこでシオンとダンツが模擬戦をしているんです」
激しい剣戟が聞こえてくる。なかなか見れない光景にアルデスは目を輝かせながらも首を傾げた。
「これまた。なんであの二人なんですか?」
「シオンの方が少し不調でして。何かブレがあるようなんです。だからその調整試合ってところですね」
「早く取り戻せるといいですね」
「いえいえ、ご心配はなさらずとも。あの調子ならもう戻ってるでしょう」
二人の模擬戦を眺めながら、ゆったりとした会話を交わす。隣のリリはどうやら目を見開いて圧倒されているようだ。その顔が見れただけで連れてきた価値があったと、心の中でアルデスはガッツポーズを取った。
「ところで、隣の女性は?」
「あぁ。俺のクラスメイトなんです。リリさん、こちら教官のフィリアスさん」
「あ、あ! えっと、リリ・テレーズです」
リリが頭を下げる。
それに対してフィリアスは再び微笑んで余裕を見せた。
「フィリアス・ミューレイドです。以後、お見知りおきを」
軽い挨拶のはずが、どこか格式の高さを感じさせる。
終始、ドギマギとする様子のリリをフォローしながらアルデスたちは歓談した。
模擬戦を終えたフィリアスたちは訓練所を去り、ある程度の説明を終えたアルデスたちも近くのベンチに腰を落ち着ける。
「どうだった? 訓練所」
「……悪くはないわ。それにしても、アンタ結構知り合いいるのね」
フィリアスたちが去った後もアルデスは顔見知りの人たちに声をかけたし、かけられた。そんな彼の人当たりの良さに甘えたという意識が彼女の胸中にあるのか、憮然とした声色になっている。
髪を親指で巻く仕草をするリリに対し、彼は笑みを浮かべた。
「頻繁に通ってたからね。一日中いるなんてのはザラだったし。自然と関わり合いも増えたよ。……けどさ、戦いでもまだまだ自分は未熟だなって痛感する毎日だけどね」
「それはそうでしょ。アンタ、本物の殺し合いをしてる人たちと、訓練科のひよっことじゃ天と地よ」
アルデスは小さく頷くと、うつむくリリに視線を向ける。
「うん。だからこそ、そういう人たちと触れ合うきっかけになるここってさ、自分が見えていないところが見えてくるんだよ。だから、些細なことで悩んだり、苦しくなってもここに帰ってくると不思議と課題が見えてきて、明日から頑張ろう! ってなるんだ」
「……そう」
返事は素っ気なかったが気持ちは伝わったようだ。
それでも彼女の瞳は晴れていない。余計に曇った気さえしてしまう。それほどまでに彼女は揺れていた。心に巣食っている暗い何かが耳元で訴え、その正体を知りながらも拭浄させることにどこか及び腰になる。その度に襲われる自己嫌悪と他責の波が、彼女の心を覆い、今も唇を噛みしめる。
思わずギュッと握りしめるリリの手を、アルデスは見逃さなかった。
「リリさん。よければでいいんだ。僕と模擬戦をしてみない?」
「模擬戦?」
「うん。実はさ、ここに連れきたのは雰囲気を味わってほしかったのもあるけれど……本当は、君と戦ってみたかったからなんだ」
アルデスの真剣な面持ちで剣の柄頭を小指でさする。
見つめる先は、広々とした訓練所のコートだった。大きく四角形に囲われたそこが、模擬戦を行うことのできる場所だ。
ひとしきり眺めた後、沈みつつあるリリに向き直り彼は語る。
「だから、君を俺に見せてほしい。最初から本音を聞き出そうとは思わないよ。でも一回刃を交えれば、きっとお互いがよりわかると思う」
これが俺にしかできないことだと思うから。
その台詞はアルデスはぐっと飲み込み、リリの様子を伺う。なにか余分なものを吐き出すように、ため息を吐いた彼女はゆっくりと立ち上がった。
「……分かったわよ。やれば、いいんでしょ」
やや不満げな口調ではあったものの、そこには憂色を感じさせない気迫に満ちている。
アルデスは頬を綻ばせ、コートへと二人で向かっていく。
その足取りは、さながら戦場へと向かう戦士のようだった。
続