「よう、捻くれ帽子野郎。今日はヤケに決めてるな。牧師様ごっこか? えぇ?」
「ハッハ、御冗談を。今日は興味本位ですよ。ほら貴方もそうでしょう?」
ロングコートを羽織った若者は、バツが悪そうに頭をくしゃっと掻く。しかしその表情は盛んに悦に浸っていた。
二人の"下"には街並みが広がる。夜闇の中で一つ一つの光る場所には、一人一人の家庭や事情が横たわっている。人、一人が考えるのもおこがましくなるようなそれぞれは、いっそ街を雪崩のように飲み込めば、一旦どれほどの混乱が襲うのだろう。
そしてそんな一つの雪崩にも満たない、一粒の微雪が、一際光る場所に積もろうとしているようだ。二人の視線は、自然と"それ"に動かされていく。
坂の上にある駅の構内に微弱に人影が揺れていた。
「……ありゃ自殺願望、希死念慮の類かねぇ」
「若い。若い子だ。命が奪われること、命の尊さを最後まで理解できなかった哀れな羊だ」
「そういうおたくは楽しそうだ。ったく、依頼かと思えば他人の死の間際を"また"一緒に見届けるか。こっちには金が入るからいいが、仕事としてこういうことされると薄気味悪い」
穏やかな風が二人の頬を撫でた。
人影である少女は、ゆっくりと線路へと近づく。
「あいつはどんな理由でその道を選んだんだろうな」
「どうやら家庭の事情ですな。あまり踏み込むのはよろしくないですが」
「だろうな。ま、狭い世間で息苦しくなっちまったんだろうな。家庭はちっぽけじゃねぇ。なんなら仕事より重いモン背負ってるわけだ。それなのに世間は自分に関心を示さず、ただ回っていく。メリーゴーランドみてぇだ」
「おや。メリーゴーランドはまだ外が見れますよ」
「トンチキだな。外を"見れるだけ"だろうが。手を伸ばして、自分には身の丈に合わねぇって完結したんだろうがよ。ああいう類はな、やる前に悲観して、柵の中で自分を納得させる言葉をただ探して絶望するんだよ」
「おや、彼女。もう、覚悟を決めたみたいですよ」
話をズラす牧師。
少女は黄色の線を超え、静かに目を閉じたようだ。
「そうか、よっと。もうやってられねぇわ」
青年は立ち上がる。
カツンカツンと鉄を渡る音が夜気に虚しく響く。青年は牧師にヒラヒラと手を振りながら背中を向けた。
「おや? もういいので?」
「別に俺はおたくみたいな悪趣味全開じゃねぇんでな」
そして青年は立ち止まり、ゆっくりと天を仰いだ。
「いいか、トンチキ牧師。おたくはどれだけいっても"善人"だ。愉快犯じゃねぇ。だからこういうのは俺が邪魔者になるのが手っ取り早い。だから俺が"助けたら"……それでも、前に進めと言ってやれ。おたくならそれが、できる……いや、おたくしか、できねぇだろそれは」
青年はパッと消える。やがて現れたのは、坂の上の駅の構内。少女の姿はなく、しかし列車は着実に近づく。
咲いたはずの血の大輪は、未だに無く……。
だからこそ見逃さなかった。
鉄の轍に落ちたはずの赤い命に、寂れた命が手を伸ばす。まるで命を吸い付くすような、獣のような貪欲さを唸らせながら。
それなのに、きっとあの寂れた命は見捨てることはしない。
まるで今にも一陣の風に吹き飛ばされそうなのは寂れた命側のはずなのに。赤い命よりも、脆くてしがみついているはずなのに。
寂れた命は赤い命を抱きかかえて、線路から遠ざける。そして……。
「見てみろ。おたくの景色は終わっちゃいない」
坂の上から見える星のような夜の瞬きが、赤い命には眩しいほどに輝かしく見えた。