雑置き場

触発されたり、思いついたり。気分なので不定期更新。

偽物彼女

 

 彼女が死んだ。
 夕暮れで茜色に染まる空の中で、その知らせは唐突に訪れた。
 どうやら自殺をしたらしい。
 この情報を聞いて最初はもちろん疑ったし、自分を見失うくらいに自信をなくした。それくらい、お互いを想い合っていたはずなのだから。
 優しかった、穏やかだった、嘘がつけなくてよく笑う人だった。
 初めて手を握った時の温もりだって覚えていて、一目惚れした時の淡い恋心すらも執拗なほどに燃え続けている。
 けど、この事実を反芻するたび……僕たちが積み重ねてきたものは偽物で勘違いだったのだと現実が囁く。
 共に過ごした時間と記憶は、あの華のような笑顔と一緒に手の届かない彼方へと昇ってしまったのだと。
 二度と戻すことのできないそれに、僕の情動はぐちゃぐちゃになった。

 考えて、そのたびに苦痛にさいなまれ、激しく悩み、時には体を痛めつけ現実世界から逃れようとして。
 この後の彼女との予定だってたくさんあったのに。
 それ以上の代価もない貴重な自分の人生すら捨てようとして。すると頭の中によぎるのは、白紙になった世界で命を絶った俺に対して顔をぐしゃぐしゃにする彼女の姿。
 後を追うことすら……拒まれる。
 こんなの卑怯だ。だからといって嫌いになるほど、自暴自棄になることもなく。
 ポッカリと空いた穴は、日常生活を崩すくらいに尾を引いたものになっていた……。
「……」
 雑然とした真っ黒な部屋。電気すらもつけず淀んだ空気と夜気を僕は吸い込む。
 もうこうして何日が経つだろうか。
 何の気力も沸かず、横になって天井を眺め続ける夜は綺麗な月の光すら無縁の存在になっていた。
 静謐な時間を切り裂くような動悸が胸を満たす。それがどうしても掻きむしりたくなるほど心に障った。
 そのリズムは耳と目に焼き付いた彼女の情報を思い起こさせ、僕の情緒を焼き焦がそうと繰り返される。
 このままじゃいけない。
 突発的な感情の変化に、僕は起き上がる。
 衰弱した筋肉をむりやり動かし、まるで生気を感じさせない挙動で外出する。
 冷たい風と空気。
 僕から体温をいたずらに奪おうとするそれに少しだけ反抗しながら歩いていく。
 既に深夜だ。
 寝静まった住宅街を抜けると、河川敷へと出る。
 遠くに見えるのは薄暗い高架下。
 初めて、僕と彼女が出会った場所だった。
 なにかに誘われるように、フラフラとそこを目指す。
 たどり着くと、自然と動きが止まった。
 やがて徐々に徐々に、隈だらけの瞳が丸く大きく開いていく。
 腹の底から湧き上がる熱。記憶の底から這い上がってくる彼女との思い出と記録。
「うぅ、ううぅうう!!」
 頬に伝う水。
 それが一粒、一粒流れて落ちるたびに……その記憶も流れ落ちて地面に溶けてしまえばいいと。
 苦しみが、彼女を否定し拒絶し、そんな思考をする自分自身がとても嫌で。
 彼女の支えにも、救いにもなれなかった自分の無力感が惨めで仕方なかった。
 ……不意に投げかけられた、弾むような歓喜を聞くまでは。
「いやはや、いやはや。人のために流せる涙はなんと美徳なのでしょう。そこから伝わる執着や情熱は! 貴方たち"人間"の特権なのでしょうねぇ」
 ハキハキとした声だった。
 それは人と見紛うほどの声音で、だからといって人ではないと言い切れないほどその形を保っている。
 人の気持ちと尊厳を踏みにじるような、その不快感に不思議と僕は嗚咽が止まった。
「……一人にしてくれませんか」
「おやおや? これはお邪魔でしたかな。しかしながら私もこうした横紙破りな性格を誇る身なのです。不躾な特徴ですが、個性として肯定していただければ恐悦至極にございます」
「……」
 慇懃無礼、そんな印象を抱かせる。
 僕はなんだか苛ついて、その声の方向へと振り返る。
 そこにいたのは色白の男だった。夜を凝集したような黒いスーツに、シルクハット。
 右手に持つ杖らしきものを合わせて見るとどこか英国紳士を想起させる。
 そも、この男は紳士というほど人情味のある生物だとは思えないけれど。
 すると折り目正しく、その男はゆっくりとお辞儀をする。
「名乗り遅れました。私の名前は"エピゴーネン"。周りからは死神とも呼ばれております。以後お見知りおきを」
 再び直り、捨て鉢になったかのような僕と視線を合わせるエピゴーネン
 愉快そうで、楽しそうで、それでいて品定めをするような瞳と絶えない微笑。
 侮辱するようなそれに、思わず僕の語気も強くなる。
「お前のことなんて今はどうでもいいんだよ。さっさと目の前から消えてくれ」
「それは困りますなぁ。私は、貴方と交渉をしにきたのですからね」
「交渉……?」
 僕がその言葉に反応すると、より一層嬉しそうにエピゴーネンは頷いた。
「私の名前の意味、ご存知ですか? あらゆる意味が派生した多義語になりますが……その一つには"模倣者"という定義もあります」
「……知ってるよ。でも、悪い言い方をすればただの"パクリ"だろ。そんなの信用できないよ」
「いえいえ。確かに俗っぽい用途ならば、その意味で捉える方もいるでしょう。ですがね……偽物が本物に通用しない道理はないんですよ。それと同じく、私の"模倣者"としての力は限りなく真に近い。それを用いることで、貴方を数多の可能性の世界に導きます」
「……」
 言っていることは分かる。偽物だって質をいじれば本物以上になることだってある。
 恐らく彼は、それをやってのける程の技術と知識があると僕に売り込んでいるのだ。
 しかし、一体全体こいつはそれで何を僕に提供してくれるのか。
 胡散臭さを覚えながらも、最後まで聞くことを不思議とやめられない。
 重苦しい声色でエピゴーネンは続きを語る。
「貴女には私が作った"虚構世界"にご案内いたします。その世界は、惑星の記憶。つまり地球の記憶を"模倣"した世界が広がっているのです。それは、未来と過去……両側面を持ち合わせる世界となっており、貴方が望んだどちらかの世界を再現します。過去や未来で出会った人々との時間を共有できるのです」
「……」
 つまり、地球の記憶を模倣した世界の中で、過去か未来……どちらかの時間を選択し未練や後悔など記憶を先取りした状態で体験できる。
 そういうことなのだろう。
 静かに目を伏せて考え始める。
 ……すると僕の中で様々な疑問が浮かぶ。
 どうして彼女は命を絶ったのか?
 なぜ、僕を頼ってくれなかったのか?
 エピゴーネンの言うことが本当ならば、僕は過去に飛ぶことで彼女から本音を聞き出すこともできるのだろう。
 そしてこれらの疑問が氷解するのなら。
 この苦しみからときはなたれるのなら、悪魔に魂を売ってもいいのかもしれない。
 そうして僕は、笑みを湛える彼に返答する。
「……それで、結局お前に僕は何を差し出せばいい?」
「話が早くて助かります! 対価は貴方の"大切なもの"です。建設的な取引にしたいので、先払いではなく、後払いとなっております。契約書はいりません」
「わかった。今すぐ頼む」
「では、さっそく」
 エピゴーネンは嬉々としながら、杖で地面を叩く。
 すると魔法陣のような幾何学な文字が描かれた円が僕を取り囲む。
「虚構世界にいられるのは日がのぼり、日が沈むまでです。約一日ですね。その間に、悔いのないよう行動することをお勧めします」
「……」
「魔法陣が起動する際、貴方の中で転移したい時間を頭の中に思い浮かべてください。その強いイメージが感応して、来訪したい時間軸を虚構世界が形成します」
 魔法陣が輝き始める。
 僕は目をつむってイメージに集中する。
 行きたいのは、彼女が自殺する前。
 一週間と半日前だ。最後に彼女とデートした街並みを想像する。
 あぁ……呪いのように、僕にへばりつくように彼女の全てが波のように流れ込んでくる。
 輝きが増し始めた。黒くなった視界すらも、凄まじい光量が覆っていく。
 そして自分の意識は呑み込まれるようにして暗い底へと落ちていく。
 何故か胸騒ぎのするその感覚に……僕は身を委ねた。


「……ぇ……」
「……」
 覚えつかない足元。暗闇から浮き上がったかのように、僕の意識はあいまいな状態から覚醒し始める。
 僕を呼ぶ声がする。
 懐かしい、今でも覚えていて、それでいて僕の中で呪いのようになっている声音。
「ねぇ……ねぇってば!!」
「ハッ……」
 ここはどこだろう。今の時間は、僕の脈は。
 周囲を見渡そうとすると、聞き馴染みのある透き通った声が耳朶を叩く。
 忘れるはずもなかった。脳に染み付いた記録が、一気に僕の感情を掌握する。
 この顔は、声は、服装は……間違えるはずもなかった。
「やっと反応した! もう、なに寝ぼけて……」
 気づけば僕は彼女を抱き締めていた。
 肩まで伸ばした黒髪からはいい匂いがする。
 ちょっと窮屈そうな彼女は、驚いたような表情をしながら僕に喋りかけた。
「ちょ、ちょっと!? こんなところでは大胆すぎ……」
「ぅ、ううぅうう!!」
「ええ? なんで泣いてるのよー……」
 彼女は拒絶することもなく子供をあやすように僕の背中に手を回し、さすってくれる。
 周りの視線が刺さったがそれはそれだ。
 幾分かの時間が流れ、やっと落ち着いた僕は涙を拭きながら再び周囲を見渡す。
 そして、やっと、その環境の異変に気づき始めた。
「……え?」
 僕はあの魔法陣の中で思い浮かべたのは、近場の街中、即ち過去だ。時間も環境すらも、その時は寸分なくイメージしていたはずだ。
 だがここはどう見ても、"街並み"などとは縁遠い活気に満ちた場所。
 老若男女の喧騒で賑わう"テーマパークの入口"だった。
 まず、彼女と僕は二人だけでテーマパークに行ったことはなど過去に一度もない。
 むしろこの状況はどこかで見覚えがある。
「あ……」
 そう、ここは彼女と遊びに行くと予定していたテーマパーク。
 自殺から四日後にあったはずの予定だった。
 つまり僕は何らかの手違いで……"未来"に飛ばされてしまったのだ。
 エピゴーネンへの連絡手段も渡されておらずクレームを入れることもままならない。
 まぁそれはそれとして、まず気になることがもう一つある。
 "何故、死んだはずの彼女が未来の世界で生きているのか"。
「……」
 エピゴーネンは虚構世界と言っていた。
 基盤となっている地球の記憶にはいくつか分岐点があり、その一つに彼女が死ななかった未来があるということだろう。
 その未来を虚構世界が模倣して、この世界を形成した……という原理なのかもしれない。
 ぼそぼそとそんなことを呟いていると、彼女が伏せていた僕の顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、大丈夫? さっきからずーっと何か考えてるけど」
「あ、あぁ! そろそろ中に入れそうだから何乗るか考えてたんだ」
「そうなの? うん! 私もね! 君と一緒に遊園地にこれて嬉しい! こういうデートも久々だしすっごく楽しみ!」
 そういってキラキラと目を輝かせながら、僕に微笑んでくれる彼女。
 服装を見れば、どれだけ楽しみで、デートに気合をいれてくれているのかが分かる。
 嬉しい。今の感情はただそれだけだ。
 ……故に罪悪感がくる。こんなにも一途な彼女を呪いのように扱い、疑ったり、責めたりした自分はどれだけ卑劣だったのかと。
 だからこそここで白黒つけなきゃいけない気もした。
「……なぁ」
「ん、なぁに?」
「お前にいま、希死念慮というか……死にたいとかそういう気持ちにさせるものってなにかあるのか?」
「ぇえ? なにいきなり」
「……頼む。真剣に答えてくれないか」
「って言われても。今の生活にも、君との関係にも不服とか不満とかまるでないし。そんなことも一切ないかなぁ」
「……そっか」
 ……払拭できない不安は、僕の心を闇で包む。
 なんの変哲もない応酬に重苦しさを覚えていると、テーマパークのスタッフが出てくる。
 どうやら開園の時間のようだ。遊園地の中にぞろぞろと人が流れていく。
 僕たちも人混みに揉まれながらはぐれないようにと、無意識に彼女と手を握る。
 すぐに二人で気づいて、顔を伏せてお互い頬を赤く染めた。
 まずはアトラクションに乗る。
 僕は絶叫系が苦手だが、彼女は特別好きなようで僕を連れ回しては色んなアトラクションに乗りまくっていた。
 そんなことをしていれば、僕にも限界がくるわけで……。
 生まれたての子鹿のように足をぷるぷるさせる僕を彼女はすごく心配してくれた。
「大丈夫? ごめんね……君のことちゃんと考えてなかった……」
「あはは……僕こそごめん。ちゃんと一緒に楽しめれなくて」
「もー! そんなことないったら! やっぱり君は優しいね。そういうところ大好き!」
「僕もそうやって気遣ってくれるところすごく大好きだよ」
「ふふ、相思相愛だね!」
 そんな会話をしているうちに、彼女はハイペースなようで僕を気にかけながらも食事を済ませ再びアトラクションを乗り回していた。
「……」
 夢のようだった。
 こんなにも楽しく、何気ない幸福を彼女と共有して噛み締められる。
 そんな事実は、一瞬彼女の死を僕から取り払ってくれているような気がした。
 自販機で買った水を飲んでいると……薄暗い影がベンチに座っていた僕の影を覆い尽くした。
「どうでしょうか? 彼女とのデートは?」
「……とても楽しい。感謝してるよ、エピゴーネン
「えぇ、えぇ。順調なようで何よりです。私も貴方の私情を詮索するほど愚かではありませんが、時間の配分も考慮していただければ。達成できなかったからと、取引に支障が出るのも有益な形ではないので」
 なにもかもが読み取れない男。
 笑みを絶やさないエピゴーネン。遊園地には似つかわしくない容姿で、僕と背中合わせの状態で言葉を交わす。
「……なぁ、これどういうことなんだ?」
「どう、とは?」
「僕はあの時、過去に行くことを頭の中で強くイメージした。だけど、転移した先は未来の世界だったんだ。しかもそれは過去に予定していたはずの遊園地で……どうなっているんだ?」
 顎に真っ白な手を当てて、思案顔になるエピゴーネン
 胡散臭さを感じながらも、こいつが何かを工作するほど悪意があるとは思えなかった。
「はて……私には心当たりはありませんが。しかしながら私が作り上げた虚構世界です。地球の記憶を模倣しているとはいえ、コントロールを奪われるという失態は万に一つもございませんが……それ故の可能性なら一つだけあります」
「可能性?」
 エピゴーネンが鷹揚に頷く。
「虚構世界を何者かが、乗っ取りつつある……ジャックしている可能性があるということです」
「……」
 そんなこと本当にあるのか。
 虚構世界の構造を作り上げたのはエピゴーネンとはいえ、それをジャックするほどの存在。
 普通に考えれば、地球の記憶を模倣しているのなら、地球が何らかの悪影響を受けて防衛本能で妨害している、とか……そんなありきたりな理由しか思い浮かばないけど。
 エピゴーネンは特に焦っているという感じでもなく、飄々とした態度を崩さなかった。
「一応、私も対応に動きますが。……何かがあったら自分の身は、自分でお守りください」
 ここでセルフを言われるとは思わず、面食らいながらも無言で頷く。
 彼は音もなく、影にその体を溶かして消えていった。
「おまたせー! やー、楽しかったよ! 次何乗ろうかな!」
「……。なぁ!」
「うん? どうしたの急に」
「次で最後にしないか? ほら」
 俺が空に向かって指をさす。
 既に空は茜色で、周囲の人通りもちらほらとなってきていた。
 彼女は残念そうに肩を落とすものの、すぐに立ち直り僕の手を握ってくれた。
「わかった。最後はあれ、観覧車乗ろうよ。きっと綺麗だよ」
「あ、う、うん」
 ……見間違えだろうか。
 ここの世界線での彼女は生身だ。
 これで最後ってわけでもないだろう。
 でも彼女は、僕から目線を逸らす際に見たこともない表情を浮かべていた。いつも華やかに咲かした笑顔ではなく、冷たい、そして何よりも怒りと決意に打ち震えるような……。
 カラスの鳴き声が聞こえてくる。
 漆黒の翼がとにかく嫌で、不吉な音を立てていた。

 観覧車に乗った僕たちは、夕暮れで染まる景色を眺めていた。
 隔絶された、本当に二人だけの空間。
 そして何より……最期の時間。
 結局、彼女からは本音を聞き出せていない。
 むしろ……彼女が一方的に話させないようにしている気もしなくはない。
 これが単なる考え過ぎなのならよかったけれども。
 しかし、現状これはチャンスだ。
 大切なものを犠牲にする覚悟で望んだのならそれに相応しい対価を手に入れないと。
 そんな焦燥感が僕の重い唇を動かした。
「……なぁ、もう一度聞いてもいいか?」
「うん。なぁに?」
 彼女は景色から僕に視線を移した。
 差し込む夕日が少し眩しい。
 しっかりとした対面で、僕たちは向かい合った。
「本当にお前は、荷重じゃないんだよな?」
「なにその表現! 何度も言うけど、私は何も抱え込んでませーん。彼氏が彼女をちゃんと信じてあげられなくてどうするのよ」
 彼女は目をつむり、ブラブラと足を揺らす。
 自由気ままな彼女に、僕も感化されていた。
 そうだ。
 僕に一度も嘘なんてついたことないし、それも何個もある美点の一つじゃないか。
 それなら、何故彼女は自死なんて選んだ。僕はその真意を知るためにきた。
 でも彼女はそれを否定し続ける。
 ……エピゴーネンとの交渉の際、自分の正体つまりは虚構世界のことを話すな、とは言われていない。
 ならば僕が別世界から来たことを言っても、さして問題視はされないんじゃないんだろうか。
 そのほうが話としても早いかもしれない。
 僕は意を決して、彼女に語りかけた。
「なぁ、実は僕は……」
「やれやれ……見つけましたぞ。虚構世界の害意め」
 僕と彼女の狭間に現れたのは間違いない。
 黒のスーツとシルクハット、そして杖を持った食えない男"エピゴーネン"だった。
 何より僕が動揺したのはそこではない。
 エピゴーネンが害意と称して敵意を向けたのは、紛れもなく彼女へであった。
エピゴーネン
 すると彼女は立ち上がり、その瞬間観覧車だった場所が真っ白な空間へと移動していた。
 一瞬の出来事に、僕は頭の処理がおいつかない。
 唯一分かるのが、彼女は虚構世界の中で敵として認知されていることだ。
「貴方は悪意をもってここにいるというわけではないようですねぇ。むしろ性質は真逆。自分と同じ境遇のものを作らせないという意志なのですね」
「……え、は? どういうことだよ……!?」
 自分と同じ境遇のものを作らせない?
 まさか……彼女もエピゴーネンと取引をしていたってことなのか!?
 それに、ならここにいる彼女の正体は一体何者なんだ!?
 様々な疑問点が頭を満たす中でみた彼女の表情は、憎悪に滾っていた。見たことがない、恐ろしく怖かった。
「……分かっていたわ。私が死んだら、彼の前にエピゴーネン、貴方が現れることは。私は貴方と出合い取引をした時、虚構世界がどれだけ危険な世界なのかを知った。故に私は、"自分の命を対価に出すことで地球の記憶と一体化して貴方の世界をジャック"したの」
「ククッ、なるほど。つまり、彼は私と虚構世界を破壊するための餌だったと言いたいのですね?」
「……捉え方によっては、そう捉える人もいるわ。けれど、仮に私が別の要因で死んでいたとしても、貴方は彼の目の前に必ず現れていたでしょう? そして虚構世界に導き、その幸福を対価に彼の大切なものを奪う。安い商売ね」
「奪う、とは失礼極まりない! 対価としては充分でしょう。その対価が私の生きるための源になるのですから」
 二人の会話に僕はついていけなかった。
 けれど一つは分かる。
 彼女は、エピゴーネンを排除するために動き僕を利用していたということ。
 それでも都合のいい解釈をすれば、彼女は僕と同じような被害者を出さないために動いてくれてたことも。
「さて、話は終わり。エピゴーネン、貴方もここで終わりよ」
 するとエピゴーネンの背後に黒い穴がぽっかりと口を開いた。
 そして彼は徐々にその穴に引きずり込まれていく。
 それでも尚、エピゴーネンは笑みを絶やさず真っ白な歯列を剥き出しにしていた。
「はは!! これはこれは! 世界が虚構世界を害と見なして強制的に"なかったこと"にするための修整が行われるとは! これが地球の防衛本能ですか……良い! しかしながら、私のような死神はあらゆる時に場所に時局に現れるものです! これで終わったとはお思いになられないことだ。では、私は素直に引きずり込まれるとしましょう! それでは!!」
 エピゴーネンはそういうと完全に吸い込まれ穴も姿を消した。
 僕はどこか寂しい気持ちで、立ち尽くす彼女を見つめる。
 彼女は背伸びをすると、僕と真正面になるように近づき止まった。
「今まで黙っててごめんね。それと一人にして……置き去りにしてごめん」
「……そんな」
 お互い、後に掛ける言葉を模索しながらも僕の唇は自然と動いてしまった。
「……僕、やっぱりお前に守られてばっかりなのかもな。支えてやることも、救ってやることもできなかった」
「違うよ。たくさん支えてくれた、救ってくれた……だから失うのが怖かった。私、どがつくほどの小心者なんだ」
「そんな臆病にはみえなかったけどな。エピゴーネンを追い詰めたところ、ドラマみたいですっげぇかっこよかったし」
「え、え? そ、そうかな? なんかなし崩し的に、というかそうなっちゃったんだけど……」
 恥ずかしそうにモジモジとする彼女。
 僕は微笑ましく感じてしまって、思わず寄っていた眉がゆるくなる。
 このギャップも彼女の魅力の一つだ。
「俺を未来に導いたのがお前なら、なんで未来だったんだ?」
「え? そりゃあ、最期くらいは貴方と思い出を作って未練なくいきたいじゃない?」
「……そういうことかよ」
 なぜか怒ったりする気分にはならず、僕は肩をすくめた。
 それよりも、もっと気になることはある。
「すごい気になるんだけど、もう彼女が死んでいるのだとしたらお前は何者なんだ?」
「……私は、地球の記憶を守るための防衛装置そのものようなもの。肉体はもう死んでるけど、魂は地球と一つになってるから君の前にいる私は純粋ではないけれど、君の知ってる私だよ」
 ……それをすんなり受け入れるほど、僕も要領が良いわけじゃない。
 でもそれでも納得したように頷く。彼女が自分のことを偽らないのなら信じてあげなくちゃいけないのだ。
 そして僕は何かを思いついたように彼女に質問する。
「なぁ。お前がエピゴーネンに頼んで見たのって過去なのか? 未来なのか?」
「さて、どっちでしょう?」
「質問に質問でかえすなよ」
「あはは。どっちかとか、見たものとか……具体的には言えないけれど」
 何を見たのか。
 悲しそうに目を伏せる彼女から聞き出すほど僕も無神経ではない。
 しかし、すぐに彼女の表情はいつもの僕にしか見せない満面の笑みでこういった。
「君と一緒にいた世界の私は、ずっと幸せそうに笑ってた。それだけで私は満たされてるの」
「……そっか」
「さて。君も元の世界に戻ろう。あ、私との記憶は消しておくよ。……ずっと辛そうにしてたのこっちだって苦しかったんだから」
「……わかった。手間かけさせてごめんな」
「うん、これで本当にお別れだね」
「……ありがとう」
 あんなに未練がましかった自分が嘘で、大袈裟だったかのようだ。
 手を握る。
 その忘れられない温もりを感じながら、おでことおでこをくっつけた。
 焼き付けるように、僕たちの視線は交わる。
「ばいばい」
「さようなら」
 万感の想いとはこのことだ。
 まだ彼女を諦めきれない自分、あっさりと決別した彼女との記憶に縛られる自分、それでもこの別れを受け入れようとしている自分。
 複雑にからみあいながら、俺の意識は真っ白な場所から真っ黒に落ちていった。


 起きたときには朝だった。
 久しぶりに浴びる陽光。
 気持ちよく体を伸ばす。

 すると、パタンと何かが落ちる音がした。
 小さな写真立てだった。
 そこに映っているのは女の子と自分。
 幸せそうに二人揃ってピースをしている。
 ……。
 …………。
 分からないとか知らないとか。
 そんなものは簡単に言葉にできる。
 けれど、それでも胸の中に残り続ける。
 生き続けるものがある。


 だからこそ、僕はこう言ったのだ。

「忘れるわけないだろ、バカやろう」